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下書きの下から十七番目

「自己表現、自己表現、本当に自己を表現しているのかしら!他の目から見て自己表現って言われるであろうことをしてるんじゃないの」


また怒っている。

これは、無計画かつ、人に迷惑をかけていることを忘れてしまって、世界一周します!とか、旅に出ます!とか、海外行きます!とか、もう学校行きません!とかを、あたかもこれが自分なんです!!!と正当化している人たちを見てうんざりしていたときに書いたもの。

本当にこういうの、苦手。SNSの普及で自分がしていることを共有することが増えて、それが生活の軸みたいになっている人は増えた。いわゆる、インスタ映えのために豪華な見た目の食べ物を注文し、食べずに帰る人たちが増えた。私がこの下書きで腹を立ててた人たちは、このような人たちと同じ分類の中に入る。

人の評価が前提なのだ。何をするにしても、自分がどうしたいのかではなく、自分がどう見られるのかが大事なのだ。それは悪いことではないと思うし、私もそういう考えで動くこともある。だけど、こう見られておきたいからこうせざるを得ないんだと自分で納得していないと、行動とその行動の理由がちぐはぐになっておかしなことになると思う。

多くの人がしていることを、あえてしないということは自己表現ではない。ただ違うことをしているだけだ。(そこに何か自分なりの筋の通った理由があるならば話は別だけど)

違うということと、個性的であるということは別物。

今、マイノリティが注目されている。少数派の意見を大切にしよう、というような流れである。これまで耳を傾けることができなかった人たちが、自分と違った感覚を持つ人々の存在を認知することになってよかったと思う。知らないということはとても怖いこと。知らないことで無意識に傷つけてしまうこともある。このトレンドによって多くの人が新しい知識を得ることができただろう。

問題はこれからである。その知識を雑に扱う人が増えていると感じる。少数派を大切にしなければならない!!!と大声で言うときには注意してほしい。それに、心から問題だと感じて意見を持っているとは思えないようなことを主張する人もいる。これはきっと問題として取り上げ得るものだ!と思うことと、これは悲しいできことだ、何か打つ手はないだろうか、と感じて意見を持つことは全く違うことだ。

私は所謂バイセクシャルだけど、これが原因で傷ついたことはない(失恋したことはあるがその理由は納得できるもの)。数少ない友人は、私の性格、私の好みの一部、というくらいにしか思っていない(多分)。そんな友人のおかげもあってか、自分がそうであることに恥ずかしさを感じたこともない。だけどなぜどこかで隠そうとしてしまうのか、考えてみた。

性的マイノリティのトレンド感と苦しいものという固定概念

が原因だ。

私は苦しんだことがない。むしろバイであることで少し視野が広い感じが自分で嬉しい。

隠そうとしてしまうのは、憐れみの目で見られたくないし、はやりに乗ってるね、という風にも思われたくないからだ。

自分がそうでないと思っているからいいじゃない、では済まされない域なのだと思う。ここでは自分がどう見られるのか、を重視してしまっている。

(わざわざいう必要がないというのが一番の理由だけど。)

それぞれがそれぞれの好みを尊重できる雰囲気になればいいなと思う。

バイセクシャルに対して気持ちが悪いと思う人もいるだろう。それは仕方がない。好みだもの。相性が悪かっただけ。

好き嫌いがあるのは当然。それに対する接し方や向き合い方を考えたい。


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