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クロノスタシス


クロノスタシスは眼の錯覚。
時間が止まるなんてあり得ない。


遠い日、今がずっと続けばいいのにと祈るように思ったことがある。
もちろん、続くはずはないけれど。
幼かった頃、両親と弟と行った海辺のドライブ。
高校の美術部で、みんなでひたすらモデルを描き続けたクロッキータイム。
恋人と河川敷で黙ってただ夕陽を見つめていた黄昏。
そのまま時間が止まればいいと思っていた。
時間は止まらなかったけれど、そんなひと時は思い出として、私の中で今もとびきりきらきらしている。


時間が止まるなんてあり得ない?
いいえ、あり得る。
人が死ぬとその人の時間は止まる。
そして、大切な人を失ったときにも時間は止まることがあるという。
ずっとそのときまで続いてきた日常が切断される。
再びその人の時計の針が動き出すのにはエネルギーも要るだろうし、時間もかかるに違いない。


海の向こうで始まった侵攻では、攻める国の人たちですら戦争反対を謳っているという。
誰かの意思によって始められた戦い。
それは死によってその人の時を止めたり、大切な人の命を奪うことにより遺された人の時を止める。
そんな権利は誰にもない。
そして、抗戦する側ばかりではなく、侵攻する側にも犠牲者は出る。
とはいえ、私は、私たちはあまりにも無力で、報道を目にするたび、そんな自分に対しても憤りに似た思いで胸が苦しくなるばかり。


せめて、誰にも等しく今日の後には明日が来るように、誰もがその明日を生きられるように、そして、止まらない時の中で、ああ、この今がずっと続いてほしいと願うような時間を誰もが持てる世の中が戻ってくるように、心からお祈りします。

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