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地獄って、カジュアルにありふれている

ふと、思い立って「地獄」という言葉について調べてみた
そもそもどういう言葉なのかと、ふと気になってしまったのだ。

地獄(じごく)は、宗教的死生観において、複数の霊界(死後の世界)のうち、悪行を為した者の霊魂が死後に送られ罰を受けるとされる世界。厳しい責め苦を受けるとされる。素朴な世界観では地面のはるか下に位置することが多い。

主な宗教における地獄は、以下の通り。
●仏教
六道の最下層。閻魔の審判に基づいて様々な責め苦を受けるとされる世界。対比されるべきは、本来なら六道の最上層・天界のはずだが、実際には、成仏した者が行く六道のいずれでもない浄土(浄土は数多くあり、極楽はその一つ)と対比させられることが多い。
●ヒンドゥー教
聖典のひとつである『ヴィシュヌ・プラーナ』によれば、生前に行った行為に因って陥る地下世界が28か所あり、全体でナラカと呼ばれる。責め苦の内容が各世界の名となっており、審判者となるヤマ神の存在など、仏教の地獄と共通する要素も多い。
●キリスト教
一般的に、死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所とされる。しかし、キリスト教の教派により、地獄の概念や解釈は多少異なる。
反語は「天国」である。
●イスラム教
「ジャハンナム」と呼ばれる。世界の終末に際しての審判において、不信心者や悪事を成した者が灼熱の責め苦を受けるとされる世界。
反語は「天国 (イスラーム)」である。
●北欧神話
女神ヘルが支配する、名誉の戦死を遂げられなかった者が行く世界。対比されるのは名誉の戦死を遂げた者(エインヘリャル)が行くヴァルハラ。
一方、地獄がない宗教としては、以下のような事例がある。
wikipediaより

どうやら「生前の罪によって、責め苦を受ける世界」
ということが共通しているようです。

しかもけっこう行われる事が苛烈なのも前提としてあるみたい。

じゃあ、「生き地獄」は?

生きながら地獄にあるようなひどい苦しみにあうこと。また、そのありさま。
goo辞書デジタル大辞泉より

じゃあ

「そこにいたらそれ自体が責め苦になってしまうような環境」ってそれだけで一種の地獄って言っちゃっていいって事なんじゃなかろうか。


そんなに大層なものじゃなくても、言ってしまっていいんじゃないだろうか
ジリジリと、継続的に与えられる「責め苦」があるような日々ならば。

「こんなん、生き地獄じゃん……」と、思わずつぶやいてしまうような瞬間があったなら、それはもうその人にとっての地獄なんじゃなかろうか。


どんなに散財したって、贅沢したって埋まらないような
ずっと化膿し続けて、毎日塩が振りかけられるような傷が、そこにあるならば


だから
おそらく確実に
地獄ってどこそこにいっぱい転がってて
ありふれた
ほんのひとつの失敗でヤァ! ってカジュアルに訪れてしまうような
そんな日常のすぐそこにある、もの、なんだ


気づいてしまえば地獄としか言えないようなものでも
きづくまでは「当たり前」とか「日常」とかの姿をしてしれっと存在している
そういう、ものなのだ


ただ、死後の地獄と違うのは
大きくちがうのは

生き地獄なら、逃げ出すことができる、って事だよね 

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生きているなら、未来は変えることができるんだから。


子供たちがいると、自分だけの過去じゃなくなるから、余計にね
そして、逃げるも捨てるも耐えるも
そこは自分自身だけにかかってきて、しまうのだ

それが、この世の残酷
そしてイコールで結べる権利と自由でもある、のですよね


さあ、いおさんはどうするんんでしょうね。
ゆっくりと自分に問いかけるような余裕はなくても捻り出すべきなのでしょうと
そう言いながら、皮肉に笑っていても、何ひとつ物事は動かない

サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。