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38話 初めてのスタジオ②

僕はどうしていいのかわからず、しばらくはただ呆然としていた。メンバー達は慣れた調子でおのおののアンプ類を選んで操作し、忙しく自分の楽器のセットを始める。
すぐにドラムの「バスバス!!」という衝撃的な破裂音が響き始め、数十秒もすれば学級崩壊のような騒ぎになって行き、もう誰も振り向いてお互いを見たりもしなくなった。
Q君がボーカル用のマイクをつなぐと「キーン!」と耳をつんざくようなハウリングが始まり、全員が一旦「うわっ」となって一瞬黙る。次第にハウリングが収まって行くと今度は「あーっ、あーっ」と声を張り上げ、Q君はPAのボーカル用の音量調整を始める。

僕はかつて通販で買った「ハーモニカ専用マイク」を失くしてしまっていたので、この日はスタジオのボーカルマイクを借りて、ギターアンプから音を出す事になった。ボコボコにへこんでいるスタジオのマイクは、まるで梅干しのような見た目のボロい中古だった。
つながったシールドの先のジャックをアンプに挿し「ボウン」という電気が入った音を感じると、さすがに不満だった僕の気分も一転、兄のアンプを内緒で借りたあの日が蘇る。
(そうだ、今はいろいろと考えている場合じゃない。3つの謎を解き明かした今の僕なら「テンホールズハーモニカ」の「セカンドポジション奏法」で「エレクトリックサウンド」が出せるんだ。それに、今では人にハーモニカを教えているくらい、吹けるようになったんだからな)
僕は待ちに待っていた瞬間である事を今一度思い出し、自分のアンプの調整に神経を集中させる。

5分、10分と、時間は確実に過ぎていった。「キュィーン!!」という耳をつんざくようなアンプからのハウリング音と、ドラムの「バスバス!!」という強烈な破裂音はいつまでも続き、演奏の方は一向に始まる気配がなかった。
昔高校の学園祭のステージで「早くしろよ!」というヤジが飛び交う中でもギターのチューニングをやめなかったQ君は、相変わらずのマイペースぶりで、ようやくボーカルマイクの調整を終え、今度はギターのエフェクター類の調整に入って行くところだった。

あの時は、ただギターの調整の終わりを待っているだけだった僕も、この時ばかりは違っていた。自分だって、テンホールズハーモニカの音を出すアンプの調整に、夢中だったからだ。
こっそり兄のアンプを借りた時はヘッドフォン越しだったけれど、今回は直接アンプのスピーカーから音が出ているので、その破壊的なド迫力は初めての経験だった。厄介なのはアンプによって調整ツマミがそれぞれ違うため、一つ一つ実験を積み重ねて行くところから始めなければならない事だ。わからない言葉だらけでそれを他のメンバーに聞ければ良いのだけれど、誰もが自分の事に夢中で、まるでコミュニケーションがとれない状態が続いていた。

そんな時間が15分ほど経った頃だろうか、さすがに我に返り、お互いが気まずそうに目を合わせて、ヘラヘラと笑い合う。
「時間、もったいないよね。まず簡単な曲からやろうか?」というQ君の仕切りで、ようやく曲を演奏する段階へと進む。
けれど、驚いた事に、今から「演奏する曲」をベースとドラムのメンバーは知らされておらず、改めてその場で、いちからの打ち合わせが始まったのだ。僕はQ君を挟んでの付き合いなので、てっきり3人では曲の話がついているものだとばかり思っていて、まさかの展開に唖然とし、なおかつ、この時間にもお金が発生しているという事実を思い出して、今度は無性に腹が立って来る。

ハーモニカの僕はどの曲であれ受け身な立場で、Keyさえ決めれば後は「セカンドポジション奏法」で適当に合わせるというだけのつもりだった。そのため曲の打ち合わせにまでは入る気もなく、いつまでもその3人のやり取りを傍観しているだけだった。
なかなかQ君の曲の説明が伝わらず、何度も説明をし直しては2人が首をひねるという繰り返しがいつまでも続き、ようやく妥協点が見つかった頃には、僕にはもうこの先の展開が見えていた。
案の定、Q君の「1、2、3、4、」というカウントから始まり、すぐにイントロが上手く行かないと言い出し、また改めてカウントからスタートする。いつになってもイントロの部分すら終わらず、僕は一向に、何の曲かもわからないままの状態だった。これでは高校の頃の2人で練習していた佐野元春の「サムデイ」の時とまるで同じ状況ではないか。いや、それよりもっと状況は悪い、今回は待つだけでなく、その分のお金まで払うのだから。

僕は耐えきれず「ブルースからやろうよ」と提案をする。いつまでも始まらないのだから、これは妥当な提案だった。高校の頃のように「ジャッカ、ジャッカ」をやれば、すぐに全員が音を出せる。しかもスタジオの大音量でやれれば、今回はそれで十分じゃないか。
ところがQ君は今までに打ち合わせに掛けてしまった時間があるので、もう引っ込みがつかない状況だった。どんどん雰囲気は悪くなり、借りていた2時間中、すでに半分が過ぎているのを察したベースのメンバーが「ジュースでも飲もう」と休憩を提案し、僕以外の3人はぞろぞろとスタジオの外へと出て行った。

静まり返った部屋にひとり残った僕は、再びアンプの調整を始めた。結局、よくわからない曲のイントロを延々とやり直しただけなので、僕はまだハーモニカの音すら出せてもいないのだ。かと言って、自分にとってアンプで大音量を出せる初めての機会に、休憩なんて冗談じゃない。

僕はマイクを握り、いつものようにテンホールズに息を入れる。すると、いきなりアンプから「あの音」が爆音で響き渡った。割れるというか、歪む感じの。しなるように伸び、もったりとこもるような音色。まさに僕が憧れていた「ポール・バターフィールド」のような感じだった。どうやら脇に力を入れるとできるようだ。僕はようやく、ハーモニカのエレクトリック奏法の突破口を見つけた喜びの中にいた。
ちなみに、脇に力をではなく、正確には「両手で、空気を漏らさないようにハーモニカとマイクを包み込む」と独特のこもった音になるという「握り方」のコツなのだけれど、この時はまだ、それらの理屈がついて来なかった。
僕はただただ、脇がつるほど力を入れ続けた。

つづく



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