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45話 フルメタルのハーモニカ

トップハーモニカ奏者八木のぶおさんのライブの幕間に、僕がいつも見つめていたもの、それは毎回演奏後に腰から外され、ステージの椅子に置かれるハーモニカベルトに差し込まれた、8本のハーモニカだった。
当時、八木さんの使っていたテンホールズハーモニカは、ホーナー社の「マイスタークラス」という特別な機種で、当時で1本 9800円もするテンホールズの最高級品だった。名前にふさわしく、重厚さを伴った独特の艶を持ち、その音色は当然、見事なものなのだろうけれど、僕は八木さんの演奏でしかマイスタークラスの音色を聴いた事がなかったので、ハーモニカの神様の技量だからなのか、楽器ゆえのものなのかまで、判別なんてできなかった。
ただ遠くから憧れる八木さん信者のひとりとしては「何としてでも同じものを持ちたい」と思うのは自然な事だった。

ある日、学校の課題提出もひと山を越え、授業が早めに終わったのどかな昼下がりに、いつもの楽器専門店のハーモニカコーナーに立ち寄った。
久し振りに顔を合わせたUさんと、最近観に行ったハーモニカのライブ話などをする。「八木さんもこの売場に来た事がある」との意外な話から大盛り上がりをする僕は、アニメ・漫画ヲタクを卒業して、すっかりハーモニカ・ヲタクとなっていた。

もちろん専門店なので「マイスタークラス」は当たり前に取り扱われていた。しかもまるで、銀座辺りのブランド店で高級腕時計を置く時のような、ビロードの台の上でライトを当てて輝かせるという最高の見せ方で。
ひとしきりハーモニカ話をした後、所詮は買えない「マイスタークラス」でももう一度眺めてから帰ろうと目をやると、その隣に珍しいハーモニカの箱が置いてあった。
横長の卵のような楕円形でまるで有名デザイナー「シド・ミード」を思わせる、しなやかな曲線美がある箱だった。ハーモニカの箱と言えば大概はこれといって面白味のない四角い物。この商品は箱からして他のものとは明らかに違っていた。

箱への興味から、中のハーモニカ自体を見せてもらう事にする。すると、なんと出て来たのは箱とは真逆の、どのテンホールズよりも四角ばったフォルムの「フルメタル」のハーモニカだった。ずっしりと重く、それはまるで小さな缶ペンケースのようだ。
Uさんは「プロマスター」という、日本の楽器メーカー「スズキ楽器」のテンホールズハーモニカだと教えてくれた。僕は初めて知るメーカーだった。
当時、他のハーモニカが2500円くらいだったのに対し「プロマスター」は3800円と、かなり高額ではあるものの、同じフルメタルの「マイスタークラス」ほどではなかった。
さすがに顔見知りのUさんでも試し吹きまではさせてくれなかったので、無限に質問を繰り返した末、清水の舞台を遥かに超え、当時の最高峰、池袋の「サンシャイン60」から飛び降りるくらいの覚悟で、僕はまだ持っていなかったDのKeyのスズキのプロマスターを購入する事にした。

その日から、僕はこのプロマスターの音色に夢中になった。フルメタルのせいか、音の立ち上がりに今までにない輪郭が感じられ、明らかに響きが鮮やかで、吹いている自分がうっとりするほどの感動があった。しばらくは他のハーモニカを全く使わなくなったほどだ。
ハーモニカを吹くのはレコードを流してひとりハーモニカのコピーや練習をする時くらいのものだったけれどDのKeyはブルースで使われる頻度も高く、結果、それまで持っていたトンボ楽器、ホーナー社のハーモニカをおさえ、スズキのプロマスターは最も自分が愛用する機種となって行った。およそ弱点などないこの無敵のハーモニカは、いずれ全てのKeyを揃え直したいとすら思わせるものの、値段だけがネックだった。

密かに満ち足りていた僕に、ある日、突如として悲劇が訪れる。それは家でレコードを流しながら、お気に入りのフルメタルのハーモニカ「プロマスター」でハーモニカのコピー練習をしている時の事だった。
いきなり響く狂った音の耐え難い違和感に、肩をすくめる。最もよく使う4番穴の吸う音だった。
「え、うそ?マジで?そんなの聞いてないって、ダメでしょう!それはダメでしょう!」
それは僕が初めて経験する、テンホールズハーモニカの故障だった。プロマスターの響きの良さから来る、まるで滝の前にでもいるような爽快感から、毎日ベンドだけを無駄に楽しんだための金属疲労が原因だろう。

とりあえずミニドライバーセットを持って来て分解をしてみる。何がどうなっているのか、全く解らない。
わからないなりにもバラバラに分解し続け、いろいろいじくり回した挙げ句、何ひとつ解決策が浮かばないので(あわよくば、ひょっとして、直っているのでは?)と、一旦元通りに組み上げてみると、やや狂っていた音が、完全にズレてしまっていた。
翌日の学校の授業終わりにいつもの楽器店に寄り、店員のUさんに相談してみる。けれどもたった一言、「そりゃ寿命だよね」と言われるだけだった。
Uさんはそこはかとなく嬉しそうで、僕には初めて見せる表情をしていた。そう、Uさんはハーモニカを売る立場、新しいハーモニカが1本でも多く売れる方が、都合が良いのだ。一瞬にしてUさんはハーモニカ吹きの敵だったと悟り、僕は今までいろいろと教えてもらった恩を全て忘れるのだった。

「楽器って壊れるんですか?」
「そりゃあ、壊れるでしょうね」
「それは、誰でも知っている事なんですか?」
「そうだと思うよ。友達に聞いてみたら」
売り場にいた全ての人達が一斉に振り向くほどの、愚かな質問だった。
この日、Uさんの説明から、僕は初めて「ハーモニカが消耗品だ」と知る事になった。

ライブに通い始めたせいもありお金も無く、すぐには新しいDのKeyは買えず、一番良く使う4番穴の吸い音だけをできるだけ使わないよう練習を続けるしかなかった。けれどもやはりすぐに限界が来て、やがてはその音自体が完全に出なくなってしまった。
最も高額だったハーモニカを壊してしまった僕のショックは大きく、次にスズキのハーモニカを買うまでに、数年の傷心期間があったほどだった。

その後は少しずつ、どの機種もどのKeyも、別け隔てなく音が狂うようになって行き、「ハーモニカは消耗品だ」と納得せざるを得なくなる。その後、修理の仕方などをおぼえて、ある程度の故障ならハーモニカを復活させられるようにはなったものの、一度調子が悪くなると、やはりハーモニカの寿命は見えて来る。残念ながらそういう楽器なのだ。

つづく


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