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Saint Snowでいたい立ち位置から

 「ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow」皆さんは劇場で何度観ましたか?そして何度涙を流しましたか?僕は11回観ました。涙の数は覚えておりません。自分が岡本真夜だったらどれほど強くなったのでしょうね。ネタが古くてすみません。

 中には20回以上、30回以上観たという方も居ると思います。凄いです。私は雑魚オタクなので、6~7回ほどで今度は何に注目してみたらいいのか真夜ってしまい…失礼。迷ってしまいました。まぁそんなことは言っても結局は同じシーンで感動して泣いていたのですが……。

 鑑賞が10回目となった時のこと、私は10回も観た一つのシーンに、急に引っ掛かりを覚えました。なるほどそれじゃあ次はそこに注目して観てみようと思ったら、地元の映画館はその週で上映を終了。確認出来ずじまいとなりました。

 それから4ヶ月が過ぎ、沼津での自分自身最後となる11回目の鑑賞。気になっていたシーンもちゃんと確認するぞ!という意気込みよりも、久しぶりの劇場版&沼津での鑑賞ということでテンションが上がりきってしまい、ただただ映像の光と音を浴びる屍となってしまいました。さすが雑魚オタクです。

 要するに、Blu-rayが出るまで、それを確認できずじまいとなり、公開から約10ヶ月経った今、今更ながら劇場版の感想としてこの記事を書き始めた次第であります。それじゃあ、前置きはここまでで今回も妄想にお付き合いくださいませ。

 御託を並べてきましたが、僕が気になっていたシーン。それはSaint Snowのライブパート「Believe again」の終盤で、二人が立ち位置を入れ替わったあと、またすぐにもとの立ち位置に戻るシーンでした。ただ振り付けの一部で立ち位置を入れ替わるのならば特に不思議には思わないのですが、その後元の位置に戻る時、二人の目元のアップが、まるで格ゲーの必殺技を出す前みたいに表現されていました。

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 なんてことのないシーンにも見えるのですが、なんてことのないシーンにも拘りが見えるのが、ラブライブ!シリーズの魅力です。私は感情のままに観た11回目に少し後悔しながらも、Blu-ray版の発売を今か今かと待っていました。

 Blu-ray版が届き、例のシーンを観てみます。入れ替わりながらも結局は、聖良の左(我々が画面から見て右側)に理亞がいます。それはまるで、聖良が左に、理亞が右の立ち位置にいることに何か意味があるように感じました。もう一度二人の立ち位置に注目して、劇場版を観てみます。


 改めて観て分かったのが劇場版において、聖良が左、理亞が右に位置するシーンはBelieve againで初めてその位置に綺麗に並んでおり、それは逆に言うとライブパートまでは「ほぼ」聖良は右に、理亞は左に居るということになります。

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 先ほど「ほぼ」と付けた理由を説明する前に、何をそんな右か左かのどっちでしかない立ち位置にウダウダ言ってるのかも述べておきます。Aqoursのような大人数のグループとは違って、Saint Snowの「2人組」だからこそ意味が出てくる立ち位置。アプローチを替えてちょっとだけお笑いの話をさせて下さい。

(前略)お客さんから見て左側の下手が華丸で、右側の上手が僕。テロップ通り、画面の左から右へ華丸と大吉は並んでいる。不思議なもので、コンビ結成26年目の今、僕は普段から相方とは逆の位置、つまり左側に立っている人との会話に違和感を覚えてしまう。(中略)それで会話が成立しないわけではないが、それでも、長時間の立ち話は本能が避けているのだろう、いつの間にか相手とポジションを入れ替えているし、それが不可能だった場合には、自分が座ったり、相手を座らせたりして会話を続けている。これらは意識してやっているわけではない。左に立たれるとイヤだなあとか、僕が左に行った方がしゃべりやすいのにとか、せめて目線の高さを変えようとか、そんなことは実のところ思ってすらない。気がつけばそうなっているのだ。(中略)ある種の職業病だと思えば気も楽だが、この意味不明な決まりごとは一生背負っていくと思う。
                   「博多華丸 『疑心暗鬼』より」




 こちらは国木田ではない華丸さん…でもないそのお隣の博多大吉さんのお話。大吉氏のお話を借りて述べたいのは、「漫才」と「歌って踊る」というパフォーマンスは違うにしろ、舞台に立っている2人組という点において、相手の右に立つか左に立つかという選択は実はほとんど決まっていて、その選択は無意識に行っているということを覚えていて欲しいです。

 では話を劇場版に戻します。私が先ほど「ほぼ」と付けたのは、今から挙げる二つのシーン。鞠莉の母がヘリで登場するシーンと鞠莉母がイタリアに行って欲しいと頼むシーン。この場面以外ではBelieve againまで聖良が右で、理亞が左なのですが、二つのシーンでの立ち位置は聖良が左で理亞が右。いきなり説、不成立やんって思われるかもしれませんが、ここで見てほしいのは二人の「距離感」なのです。

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 画像にある通り画面から見て2.3.4枚目は聖良が左で理亞が右なのですが、1枚目の画像などを参考にして、例外であるパターンで立ち位置についている場合は「奥行き」があるのが分かります。それは画面から見た、左が聖良で右が理亞である立ち位置は、ある程度の距離感があれば立てることができ、それはその距離感が無ければ立てられないとも考えられます。

 では2人のうち、ある立ち位置に着く場合、どちらがその距離感を保とうとしているのか、それは鹿角理亞でした。理亞は画面から見て右に立つ時にはある程度の距離を置く必要があったのではないでしょうか。

 劇場版では、AqoursだけでなくSaint Snowの物語も描かれていました。ラブライブ北海道地区予選でミスをし、それをまだ払拭できなかった鹿角理亞がまた自由に輝きを追いかけられるまでの物語。
 理亞ちゃんには悪いのですが、立ち位置に対して距離を置いたきっかけとなったであろう北海道地区予選でのライブを振り返ります。

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 こちらは痛々しい現場の画像。画面から見て聖良は右、理亞は左にいる状態です。私は先ほど「理亞は、画面右に立つ時に距離を置いている」と述べました。このままだと理亞は画面左。右にいないではないかと思うかもしれませんが、画像の2人の様子を見るに2人共倒れています。これは何らかが起きて、2人とも倒れたということ。となると、2人が接触しぶつかったことでお互いが倒れたということも考えられます。
 Saint Snowの持ち味と言えば、やはり派手なアクロバティックで他を圧倒するパフォーマンスです。2人ともに倒れたことから理亞が派手なパフォーマンスをした際にぶつかってしまったのではないかと考えられます。
 理亞が倒れた勢いから考えて、それなりの助走も必要だったということ。では一体彼女はどこから飛んだのか、そして飛ぼうと助走をつけた時、その時の彼女はどこに立っていたのか。

 おそらく彼女は姉の左隣り、画面(客席正面)から見ると、右側に位置していたと考えられます。このライブの後、一度はSaint Aqours Snowを経て立ち直れたはずのトラウマが、なかなか新グループのメンバーが集まらない現実の厳しさと姉の卒業を迎えて、それらの焦りと不安からまたやってきてしまったのです。

 だからこそ劇場版では、理亞は聖良の左側(画面右)の位置に立つのを拒み、立つとしても前後にズレて距離を置いていたのでしょう。そしてそれは、先述の大吉氏の引用にもあるように、意識せずとも気づけば無意識のうちにそうしていたのではないでしょうか。舞台上だけでなく普段の生活も一緒にいる姉妹だからこそ、毎回訪れる姉の左に立つか右に立つかの選択。あの失敗した日を思い出さないために、自分が苦しくならないために、いつの間にか特定の立ち位置を避けていたのでした。

 では何故理亞はBelieve againを披露する際に聖良の左(画面右)に立つことが出来たのか。それは同じ妹の立場である黒澤ルビィの功績でした。

 「一緒に進もう、理亞ちゃん!甘えてちゃダメだよ。理亞ちゃんや花丸ちゃん、善子ちゃんと出会えたから、ルビィも頑張って来れたんだよ。ラブライブ!は遊びじゃない!」

 自分にとって居心地の良い立ち位置に甘えるのではなく、自分と向き合って進むこと。でもそれは理亞ひとりではなく、みんなと一緒に進むということ。Aqoursに加入しなくたって仲間と呼べるひとが、距離は遠くてもそばにいるということ。

 この時にルビィが述べた「ラブライブ!は遊びじゃない!」という台詞は、仲間たちみんなで歩んでいくホンキのぶつけ方で、理亞がそれまで放っていた同じ台詞は、ストイックに自分自身で歩んでいくホンキのぶつけ方。どちらも生半可な気持ちではないことが伝わります。

 でも、理亞はホンキのぶつけ方を少し間違ってしまって、周りが見えなくなってしまったようにも感じ取れます。自分自身で歩んでいくことを求めるがあまり、全部自分でやり遂げようとしていました。全部ひとりでやるのには限界があります。そもそも全部ひとりでやる必要もないのです。何故ならラブライブ!は「みんなで叶える物語」だからです。
 それを一人で抱え込んで解決しようとしていた。それで何とかなるほど、ラブライブ!は甘くはありません。

 ルビィの言葉で気づいた理亞は、聖良と一緒にSaint Snowでの最後のステージへと上がります。
「やっとね 気がついたみたい?あなたの中の消えない光」という聖良の歌に答えるかのように理亞は「That's right!」と叫び、そして聖良の左側へと歩み、画面右に並び立ちます。
 この瞬間、理亞はやっとあの日のステージでのミスをステージで取り返すことが出来たのです。

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 そして曲は進み、私が引っ掛かっていたシーンに差し掛かります。しかし今となれば、私なりの解釈ですがその疑問への答えを導くことが出来ます。
画面右の位置から動き、甘え続けることで、分かってはいてもSaint Snowから離れられなかった画面左の立ち位置に。そしてその後すぐ、トラウマを乗り越え払拭できた、新しい自分への立ち位置に戻ること。この一つのシーンそのものが劇場版で見えた鹿角理亞の物語そのものなんだということが分かります。

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 ライブ終了後、画面から見て左に聖良、右に理亞に位置して2人は抱き合います。おそらくこの時に零れた聖良の涙は、地区予選の時より何倍も温かいものだったでしょう。

 「ずうっと残っている」という聖良の言葉にハッとした後、理亞は聖良に抱き着くのですが、その時に理亞のコスチュームでかぶっていた帽子が落ちます。その帽子が落ちる乾いた音はちゃんと聴こえていて、雪国の夜明けに響き渡ります。

 この帽子の落ちる音が入っているのはその帽子が、Saint Snowのモチーフである雪の結晶に雪だるまをあしらったものであることから、その落ちる音は、Saint Snowというある種の呪縛から解き放たれた雪解けの音なのではないかと思いました。だからこそ自由になった理亞は、翼を大きく広げて飛び立つことが出来たのでしょうね。

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 最後にもう一つだけ。劇場版でのエンドロールの場面で、理亞が校門の前でビラを配っている様子が少しだけ観れましたね。その時に声を掛けられたときの立ち位置も画面右側でした。その声の主は私には分かりませんが、きっと今度こそ新しいグループとして上手くいくような気がしてなりませんね。だって全てを乗り越えた立ち位置から、始まっているのですから!

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理亞ちゃんに幸多からんことを……!






引用元
博多大吉 ブログ「疑心暗鬼」より「左右」


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