ヘラ絞り職人 吉持さんのこと

ヘラ絞り職人 吉持さんのこと

mofumofuのアルミ筐体を作ってもらっている吉持製作所は、古きよき大阪の風情を残す生野区の一角に佇んでいる。ガラスの引き戸を開いて中に入ると、大きなモーターの回転音とともに、昭和の空気を大切にしまっておいていたような製造現場が現れて、鉄の煤のついた作業着を着た吉持さんが ”おう、なんや、よーきたな” とニッコリ笑って出迎えてくれる。

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吉持製作所のこれまでとこれから

吉持製作所はバブルが弾ける前まではご家族で営まれる家業だった。鳥取から大阪にでた親父さんが始められたのがヘラ絞りの仕事で、人に指図されて仕事する勤め人にはなりたくないと考えた吉持さんも、工業高校を卒業して親父さんの工房で一緒に働くようになったのが、モノづくり人生の始まりとなる。
ヘラ絞りで作られているもの、じつは生活のなかにたくさんあって、何気なくつかっているものがじつはヘラ絞りで作られているということが多い。茶筒やヤカン、ボウル、学校給食などに使われるアルミ容器、トランペットやトロンボーンのベル、大きいものだと初期型新幹線の団子っ鼻のような先端部分、目につかない産業用部品などを加えると、ヘラ絞りは広く身近に使われている金属加工技術の一つだ。
吉持製作所ではナショナル(現パナソニック)の照明反射板を孫請けとして製作しつづけ、その仕事だけで売上の8割を占めていた時代を長く過ごした。そのうちにバブルが弾けて、中国の輸入品ブームがやってきて、売上の大部分だった反射板の仕事はどんどんと数が少なくなり、そのうちに消えてなくなってしまった。
大阪府下で200軒はくだらなかったヘラ絞り加工の工場は、いまや大部分が廃業に追い込まれてしまった。吉持製作所も、最盛期には家族5人で創業する家業だったが、いまでは弟さんと吉持さん、二人きりの仕事になっている。ここに至るまでにさまざまな調整と試行錯誤を重ねてこられたことは想像に難くない。
これまでのように、大会社の需要にひっついてぶら下がっているだけでは、小さなモノづくり企業が事業を継続し発展させることができないと考えた吉持さんは、日中は職人としてつくる仕事を続けながら、夜にはいろいろな異業種の勉強会やセミナーなどに出向いて、自らの視野と活動領域を広げようと勉強を始める。
当時まだ、ほとんどの中小企業がSNSはおろか、自社ウェブサイトさえもたず、仕事が来るのをひたすら待つことが普通だったが、吉持さんは仕事の合間をみつけてはパソコンに向かい、コツコツと自社のホームページを自作した。多くの異業種の仲間と出会い、切磋琢磨しあう日々のなかで、吉持さんは大阪のモノづくり界隈ではちょっとした有名人になっていく。自作したホームページが新しい仕事を呼び込んで、典型的といえる下請け企業だった吉持製作所のあゆみを大きく変える転機になったことはいうまでもない。

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モノづくりに関わる多くの人に頼られる存在

吉持製作所で吉持さんと話していると、人がしょっちゅう訪ねてくる。あそこに行けばなんとかしてくれる、吉持さんに相談してみたら?ヘラ絞りも現場で体験させてもらえるよ、そんなおしゃべりをきっかけに多くの人が工場を訪ね、ヘラ絞りの加工を体験し、モノづくりに賭ける吉持さんの熱い想いを聞いて、その佇まいと人柄にはまってしまう。いまではさまざまな業種の方々から、商品開発の相談が吉持製作所に持ち込まれるようになっていて、大手一社に売上が集中していた昔の面影は残っていない。


カタチが複雑でそれを実現するために他所ではかけない手間をかけたり、注文数が少なかったり、このmofumofuプロジェクトのようにまだ商品化されるかもわからないプロトタイピングだったり。自分を頼って訪ねてきてくれる、モノづくりに真剣なひとたちに難しい相談されることが、吉持さんにはうれしくてたまらない。とくに町工場とクリエイターとの交流を強く提唱されており、会うたびに ”モノづくりする人間は、これからは進んでデザイナーやクリエイターと関わっていかなアカン、今までにない商品にチャレンジして作るのがおもろいんや。耕すことをしないでええ土はでけへん、モノづくりでも、自分のような年寄りでも、意欲のある若い人と交流してお手伝いせなアカンという想いでやってるねん。若い人、違う立場、違う発想が交わることで、日本のモノづくりはまた面白くできるはずや ” と熱く語る。

その言葉どおり、デザイン会社やフリーのクリエイターたちの間で吉持製作所は駆け込み寺のような存在となっていて、多くの開発プロジェクトが吉持さんに持ち込まれる。このmofumofuプロジェクトにおいても、クリエイティブチームの吉持さんへの信頼は厚い。

相談相手の要望につねに真剣勝負で向き合ってくれる吉持さんには、今日もまた新しいモノづくりの相談が持ち込まれているに違いない。収穫だけを拙速に求める時代に、耕すことを厭わず”ええ土”をつくることからまず始める。吉持さんの言う”ええモノをつくるええ土”とは、あらゆるモノづくりを支える基幹技術が身体に染み込んだ若い技術者と、柔軟であたらしい感性から生れるアイデアのことだ。今こうしているこの瞬間にも、吉持さんはその手の温もりの感じられるものづくりに励みながら、若い感性が工場の戸を叩くことを楽しみに待っておられることだろう。

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パッケージや什器をつくる会社を経営してます。 パッケージや什器にこだわらず、モノづくりする仲間たちと一緒に、 あたらしい価値やたのしさを追いかける日々です。 1972年生、48歳、大阪府在住、3子の父親 三栄ケース株式会社 代表取締役 www.san-ei-case.com