マクロとミクロ
両方の視点をバランスよく、というのが理想なのだろう。
とはいえ、個人的に難があるのが、マクロの方。
どうもすっと入ってこない。
全く必要ないとは思わない。
でもなんかウソっぽく感じる。
今現在私たちが暮らす社会のシステム(国とか地方公共団体とか企業とかその他組織から成る)では、マクロの視点からでないと計画すら立てられないだろう。
どれほどの資源(資産)があって、どれぐらいの人口で、どうやって配分していけるか?
資源や人口はどのように変動していくだろうか?
過去からの流れはどうであるか?
こうしたマクロ的視点からの計画やモニタリング・評価によって、私たちの生活はより良いものになったと言うことはできる。
奥歯にものが挟まったような言い方だが。。。
だってさ。。。
良い生活って。。。
むっちゃむずいやん?定義するの。。。
モノカネありゃあええんか??って話は代表的だけれど、ほんっまに考え出すとキリがない。
ならばマクロの計画というのは、そういった千差万別、百花繚乱?の人によって多分全く同一ではありえない「良い生活」を追求できるようにするための土台作り??というような説明も可能なのかもしれない。
まだまだ挟まっとるね。。。奥歯に。。。
だって。。。
マクロの計画で達成されたものって、あくまでも物量的なデカさ?多さ?やん???
その圧倒的物量って(医療のお陰で救われた命何億人分とかも含め)ほんまに「良い生活」追求のための土台になっとるんかいな???ってのがさ。。。
そりゃ死んじゃったら追求も何もないわけだから、もしも私たちが今享受しているような現代の医療サービスのお陰で生きていられるんだというのなら、そりゃチャンスはもらっていると言える。
でも肝心の命であったとしたって(いや肝心の命だからか)、こういう言い方って、個々人がみずからのイニシアチブでもって「良い生活」を追い求めてもいいんだよっていう方向性にそぐわない。
端的に言うなら、(医療とかなんとかのお陰ではあったとしても)「お前のお陰ではないで」ってこと。
「チャンスもらっとんやで~。ちゃんと生かさな~。」
他人にそんなのとやかく言われたくなくない??
マクロってそういうのがどうしても顔を覗かせてこざるをえないように思えるのよね。
別に悪意満点ってわけではないんだろうけども、、、。というよりもスーパー純粋に世のため人のためを思ってマクロ計画を洗練させようと努めた結果、、、「やっぱ俺らのお陰じゃん?」って思わない人間の方が少ないんじゃないのかなぁ~と。現代。
思い過ごし??
いやぁ。。。どーかなー?
それなりの報酬もらっとるやんねー
マクロというか、、、モデルとかテンプレートとか、、、なんやら方式とかの発明者??唱道者たちって。。。
そういう目立った人でなくたって、、、サロンっての???組織したりしてさ。。。
組織力?動員できるネットワーク・リソース???に見合う?リターン??を得たりとか。。。
まあいかがわしい。
夢物語でしかないのかもしれないけれど、個々人の中により壮大なマクロが描かれるような。そんなアプローチだなぁ。私が採りたいと思うのは。
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