【田舎暮らし】なぜわざわざ不便で何もない場所に住むのか(ワタナベの答え)
ただいま浜益は「さくらんぼ狩り」のピークを迎えています。
新型コロナウイルスの影響で、海水浴場の開設は中止となっていますが、隣接するキャンプ場は解放されているので、週末になるとたくさんのテントが立っていて、いつもとあまり変わらない景色です。
時々キャンプの人と会話をする機会があるのですが、みなさんだいたい「浜益好きなんです」「毎年ここに来てます」と言ってくれます。帰ったあとのゴミなんかも、まあ時々少しは残っていたりしますが、すごくマナーが悪いということもないので「浜益の愛され感」がうかがえます。
しかし、キャンプで訪れるのには好きな場所であっても、そこに移住しようとまで思う人は本当に少ないでしょう。
住むには不便すぎる。何もなさすぎる。と思うでしょう。
浜益の不便なところ
そんな不便を承知でここに暮らしている私たち。公共交通は1日に数本の区内バス、予約制で隣町まで行けるワゴン車、道北から通りかかる朝1本夕方1本の長距離バスしかありません。
ハイヤーは十数年前に廃業。食品は地元商店か唯一のコンビニ、移動販売や宅配定期便で購入。衣服その他暮らしに必要なものはどこか町に買いに行くしかありません。(今はネットでポチっと買えるからすごく便利になりました)
卵ひとつ切らしても、お店で確実に買えるとも限らない。そんな生活をしています。(買いだめ必須)
食堂は数件あれど、夜にご飯を食べられるのはお寿司屋さんか居酒屋さんくらい。(忘年会など集まり事は要予約で開催可能ですよ)
子どもが少ない、高校がないから中学卒業とともに親元を離れなければならない(または一家でお引越し)
そんな場所であるにもかかわらず、私たちはここを離れられないのです。
ここで暮らす人それぞれに理由があったり、もしくはなかったりするでしょう。そういう人々のなかで、私ワタナベはなぜここにいるのかをお話しようと思います。
都市に憧れて田舎を脱出した若かりし私の話
幼少の頃の我が家は転勤族だったので、北海道内の違う町に住んでいたことがあります。とはいえ地方の小さな町だったので畑もあり田んぼもあり、そんな中に商店街がありという、ほどよい町で今でもふるさとのように思っている場所です。
その後はずっと浜益で暮らすのですが、高校生にもなると都市への憧れが強まります。(その頃は地元に高校があったので、高校卒業までは親元にいる子がほとんどでした)ちょうど就職氷河期の時代。家の事情で進学したいとも言えず、かといって就職も決まらず、の状態でしたが卒業とともに札幌へ引越し。
兄と一緒に暮らしながら、仕事を探す日々でした。
何回も何回も、正社員からアルバイトまで面接を受けてようやく働き始めたのですが、憧れの都市に住んでいても、ただ働いてたまに友達と遊ぶだけ。
ここで暮らしたいためだけに、仕方なく決めた仕事を仕方なくこなしていたある日、どこまで歩いても家とお店しかない景色にうんざりしてしまいました。
建物がぎゅうぎゅう立ち並んでいる都市に憧れていたのに、なんだか逃げ場がないようで呼吸が苦しくなったのです。
自分が求めていた暮らしって、何だった?
人の多さ?遊べる場所?いつでも欲しいものが手に入る便利さ?夜でも明るい?近所は知らない人ばかりで田舎みたいに干渉されない環境?
ずっと憧れていた生活がここにあるのに、毎日心が弾まない。
自分をだますみたいに暮らしを続けてみましたが、最終的には仕事に行くことが怖くなってしまいやめてしまいました。軽く病んでいたのかもしれません。職場の人たちは突然のことに何かあったのかと心配してくれて、本当にいい会社でした。今思えば若さゆえに社会人としての自覚も薄く、突然にやめてしまったことを本当に申し訳なく思います。
そんなところにちょうど、祖母がやっていた民宿の人手が足りないという話があったので、都市での生活をやめて田舎に帰ったわけです。
生活が不便でも、周りの干渉が鬱陶しくても、景色に余白が欲しい。海と緑を見ていたい。
札幌から浜益行きのバスに乗って、浜益の海が見えたときの安心感は今でも忘れられません。
そんな経験から10年近く経った20代の終わり頃、私は再度浜益を出ることになります。
石狩市に合併して間もなく、市中心部でコミュニティレストランを開くことになり、友人とともにその事業に参加したのです。
この頃には若い私にも浜益の過疎化が目に見えてきていて、自分たち世代がなんとかしていかなきゃ、と思っていました。なので言わば「将来のための勉強をしてくる機会」であり、数年後には田舎に戻る予定での「期間限定移住」でした。
ただ、思い出すのは若かりし頃の苦い思い出。「札幌じゃないから大丈夫」「仲間もいるし何とかなる」そう言い聞かせて新生活をスタート。
仕事ではたくさんの出会いがあり、責任の重いことを任されたりと日々充実していましたが、やはり四方八方を建物に囲まれた環境には呼吸が浅くなることもありました。地域密着型の食堂という特性のために町内会役員を引き受け、行事にも参加して、顔見知りも増えた、それでもやっぱり私は住宅に囲まれた環境が息苦しく、家と家の間がゆったりと離れている田舎暮らしがいいなと再確認しました。
仲間がいて仕事のやりがいがある、それが大きな支えとなって、何とか自分の決めた期間はそこで過ごすことができました。
大義もあるけれど結局は自分の平穏のため
「過疎の進むふるさとをなんとか未来に残していきたい」
そんな大いなる目的もありますが、ここに暮らす一番の理由は自分の心の平穏のためだろうな、と思います。
時間は平等に進んでいるのに、ここでの暮らしは少しゆっくりしているみたい。
や、それっぽく言ってみたものの、正直言えばそんなキレイごとでは済まない日もあります。繁盛期には朝起きた瞬間から寝るまで追われるような生活をすることも多々あります。スローライフ?田舎にいるけど憧れますねえ、と思うことの方がほとんどかもしれません。
ただ、毎日海沿いの道を車で走って仕事に行き、夕日が落ちるのと競争しながら家に帰る、それだけで心が落ち着くのは確かです。
海と山があればどこでもいいのでは?に私の答え
日本は島国だから、海と山のある過疎地域なんてたーくさんあることでしょう。
それなのに、ここ浜益がいいのは、もちろん住み慣れているというのもあるのですが、私はここの人柄が合うんだと思います。
田舎は山ほどあれど、そこに暮らす人々の気性には違いがあります。デジャヴかと思うほど景色が同じであっても、人の雰囲気は変わります。昔ながらによそ者を受け入れられない田舎もあれば、ウエルカムな田舎もあるように。
ここの人はよそ者のことを「旅の人」と呼びます。冷たい感じがなく、とても好きな言葉です。
こんな辺鄙な田舎に転勤でやってきた人たちは、たいてい転勤で去っていっても遊びに来てくれます。ただの住みにくい田舎だったら、わざわざまた行こうなんて思わないはず。そこにはやっぱり景色や食べ物以外の魅力と、良い思い出があるからではないかと思うのです。
もちろん、100人いたら嫌な思いをして行く人もゼロではないと思いますが。
噛めば噛むほど味が出るようなこの浜益の雰囲気、人が素直に好きです。
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