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留まって言葉にする

消えたと思ったら、ちゃんと保存されていた。今日(昨日)の投稿をしてから、残っているのだということに気づく。どうしてこの写真にしたのか。それは今日の投稿とも通じている。

生きている、その道を進んでいくこと。立ち止まっても、前を向いて歩くこと。一つ一つのことを積み重ねていくその先にしか何も拓けてこない。だけど、なんか動きの鈍さを感じている。

どうしてこんな状況になっているのか。いつからこんな状況になっているのか。生き生きとしている人たちを見ていると、どんどんと凹んでくる。自分と比較をしていると、どんどん沈んでいく。

今の自分のこの感じをしっかりと見ていくこと。言葉をスルーしたり、ちゃんと返さずにフィルターをかけていたりしている。そんな状況のことを、ちゃんと見ていかないといけない。

ちゃんととか、しっかりとか、なんかそういう言葉ばかりを使っていることに、窮屈になっている自分。自分で自分の首を絞めている。なんかそんなことに関係なく、伸び伸びとやりたいと体は、疼いている。

決めたこと。自分にとって、決めたということは、どの地点のことであるのか。決めるということの、その重さが、どうもずれてしまっているようにふと今日感じたのだった。

決めたというその瞬間が曖昧だから、決めた地点がはっきりしていないから、整理をしようと思っても、どの地点のことなのかを自分では把握することができていない。

いつもそうということではないのだけど、どうも決めるということへの姿勢というものが、今の自分の在り方を規定してしまっているように感じる。これは結構、的を得たことなのではないかと思う。

今の自分の在り様をかなり的確に現しているように思う。だからこそ今の自分に愕然ともする。だけど、そのことに気づいてさえも、自覚してさえもいなかった時よりはましである。

自分で決めるということは、普通の日常なこととしてもやっているけど、かなりすごいことだ。1つ1つを決めることにはエネルギーがいる。小さな決めるも、数が多いとそれだけで大変になる。

苦しさを感じて、決めるということが嫌になってくる。余計な決めるはできるだけ減らしていくことが必要だ。数が減ると、それだけで負担感を減る。自分が感じているのだから、そのことは場に出したほうがいい。

曖昧な表現ではなく、1つ1つをしっかりと規定していくこと。どうするといいか。しっかりと1つ1つを判断していくこと。決めていくこと。意思決定に責任を持つこと。

そんな大それたことではなく、1つ1つの決めると言うことをスリリングさを感じながらも楽しんでできるといい。予定調和だとただただ、同じくことの繰り返しにしかならない。

そうではなく、日常を更新していくこと。日々をアップデートしていくこと。昨日よりも今日。今日よりも明日。少しで前に進んで、積み上げていくこと。自分を磨いていくこと。地道にコツコツとやっていこう。

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