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【なぜ勉強するの?#3】様々な人の納得解を紹介(4/22更新)

※この記事は随時更新していきます。(最終更新日:2021/04/22)
※全文を公開している「投げ銭」スタイルのnoteです。

「なぜ勉強するの?」誰でも一度は考えたことがある問いだと思います。この問いに対して,「自分なりの正解」をもっておくと勉強に対するモチベーションが高まると思います。

さて,このページでは,いろいろな人が考えた納得解を紹介します。

その前に,この問いを考えるにあたって土台となる考え方を知っておくと良いでしょう。(別ページ)。

○インタビュー「どんなときに勉強する意味を感じられたか?」

「なぜ勉強するの?」という問いでは,唯一絶対の正解を考えてしまいがちであると苫野氏は言っています。そこで,「なぜ勉強するの?」ではなく,「どんなときに勉強する意味を感じられたか?」という問いに変えて答えてもらいました。

自分の過去の苦い経験から

高校受験,大学受験,就職試験,これら全て,第1希望は落ちました。
自分がもっと勉強出来れば,もっと違った選択が出来たのではないかと,今になって思います。
また,人と話をする上で,「話の幅」を広げる必要がある時,知識を付けるべきであったなあと思う事があります。

アンパンマンさん(濱塾入学生(中1)の保護者)

仕事に役立ったり,後の自分の自信につながる 

 文章を正しく理解すること,わかりやすい言葉で相手に伝えること,などの国語の力や,数学や理科で身に着けた順序立てて考えて解決する力などは仕事をする上でも役立っています。
 また,受験勉強自体を妥協なく頑張れたことは後の自分の自信になっています。

レバニラさん(濱塾入学生の保護者)

勉強していない自分と比べて充実した毎日を送れていると実感したとき 

①自分の知識(勉強したこと)がだれかの役にたった時
日々仕事をしていると自分の知識をいかに提供しよろこんで頂けるか、お客様の喜びが、私の原動力となり、逆によろこんで頂けていないときは、自分の知識不足を痛感する、そんな毎日です。

②選択肢が広がる
ひとつでも多くの知識が増えると、その分だけ、友人や経験が増えまた、そこからまた、輪が広がるのを感じます。
集中力についての本を読んだら、高濱先生と、共通の話題ができて嬉しい気持ちになり、もっと沢山の本を読みたくなりました!

③{楽しさ・楽しい時間・有意義な時間}をだれかと共有できた時
あるスポーツのルールをまったく知らなかった私が、必要にせまられ、スコアの付けなどを勉強しました。すると、ゲームの楽しさをより理解できるようになり、はじめは難しいと思っていたことが難しく無くなり、嬉しくなりました。

 以上、ほんの些細な、学校の勉強とはつながらないようなエピソードではありますが、学びの枠はとても広いと、日々痛感しています。
 これからの長い人生を子供自身が、よりワクワクしたものにする為に、学びグセとその楽しさをこの濱塾で、身につけてほしいな。と、思っております。

Hoki Pokiさん(濱塾入塾生の保護者)

考えるメガネを得たと感じたとき

例えば,1本のペットボトルに入った水があるとしたとき,何にも学んでいない人からすると「飲めるのかな?」や「いくらかな?」などという疑問が浮かびます。
それに加えて,数学を勉強していると「この水には何ml入っているかな?」とか,「水の上部は円錐で下部は円柱だから表面積は〇〇ぐらいかな,確かペットボトルは石油からできると聞いたことがあるから,石油何mlで1本のペットボトルができるのなかな?」などと図形的な側面からペットボトルを分析することができます。
あるいは,社会を勉強した人であれば「今は水はペットボトルだけれども,過去は同じようなものは何に入っていたのかな?」や「水を買うということはいつ頃から始まったのかな?」などと考えたりするかもしれません。もちろん教科を横断的・複合的に考えることもあるでしょう。
このように,勉強することで,「もの」や「ことがら」を見るときの枠組みとして,つまり考えるメガネを得ることができたときに,勉強したことの意味を感じられた瞬間だなと思いました。

濱塾代表 高濱良匡

努力が成果につながったとき(勉強は怒られないゲーム)

勉強は,自分が努力したことに対して,よくできたのか,できなかったのかがハッキリ分かります。その点で勉強はある種のゲームだと思います。
例えば,バスケットボールが上手くなりたいということに対してたくさん努力したとしましょう。その努力によってバスケットボールが上手くなったかどうかを判断することは難しいです。なぜなら対戦する相手によっても違いますし,上手さの見方によっても違います。ある人はドリブルが上手な人がバスケットボールが上手であると考えるかも知れませんし,ある人はパスが上手い人がバスケットボールが上手であると考えるかも知れません。
一方で勉強は,基本的にはテストの点数で善し悪しが決まります。つまり,勉強は他と比べて自分の努力を可視化しやすいものであると思います。また,テレビゲームなどでも自分の努力に対して善し悪しの判断が容易ですが,テレビゲームをたくさんやってしまうと,親に怒られますし,社会的にも良しとされていません。
このように,自分の努力が成果となって現れたときに勉強した意味があるなと感じました。

濱塾代表 高濱良匡 (が高校生時代に思っていたこと。)

○書籍から

以下は,勉強する意味・目的について書籍からの引用を紹介します。

「魔法」の力で未来を変えるため 瀧本哲史

みなさんは学校に通いながら、なにを学んでいるのでしょう?
なんのために、勉強をしているのでしょう?
いい高校、いい大学に進むため? そしていい会社に就職するため?
……そんなつまらないことのために勉強するなんて、あまりにも寂しい話ですよね。

正解はもっと別のところにあります。みなさんが学んでいるものの正体、それは「魔法」です。
ハリー・ポッターと同じ、「魔法」を学んでいるのです。
いま、みなさんは「魔法」の力で未来を変えるために、学校に通い、勉強をしています。(中略)
どんな大発見や大発明も、すべては学校で学ぶ知識をベースに成し遂げられてきました。国語、数学、理科、社会、そして英語。これらはすべて、みなさんがあたらしい未来をつくっていくための「魔法の基礎」なのです。
勉強の目的は、いい高校や大学に合格することでも、いい会社に就職することでもありません。もっと大きな、もっと輝かしい未来をつくるために、勉強しているのです。
学校は、未来と希望の工場である。そんなふうにいってもいいでしょう。

瀧本哲史 「なんで勉強しなきゃいけないの?」と子供に聞かれたら、こう答えよhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/49003?imp=0

 自分の基準を持って,自分で判断するため 田中優子

「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」と言う疑問を、大人にぶつけてみようと思える時点で素晴らしい。 周りの大人の考えを受け入れたり、否定したりしながら、自分の基準を少しずつ作っていくことで、子どもはだんだんと大人になっていきます。だから、納得できないことがあったら何度でも大人に聞き直してほしい。問い詰める位の気持ちで良い。そこで、納得できるまで説明しようとしてくれて、それでもわからなければ一緒に調べたり、考えたりしてくれる大人は、きっと頭の良い大人です。
逆に、めんどくさがって、「そういうものなの!」とか「いいから従いなさい!」と言う大人は、あまり頭が良くないのかもしれません。そういう大人の言うことには、必ずしも従う必要はありません。自分はそういう大人にならないように気をつけましょう。そのためにはやっぱり勉強しなければなりません。
勉強をすればするほど、周りの大人が本当に正しいことを言っているのか、間違ったことを言ってるのか、自分で判断できるようになっていきます。周りの大人の意見だけでは心もとないと思った時に、自分で必要な本を探して読むこともできるようになります。
そうやって自分で自分の基準を作り、自分で選べるようになることこそが、大人になると言うことです。そしてそれこそが自由になると言うことです。
「もし大人から『いい学校に入りなさい』と言われたら、『いい学校ってなんですか?』と聞き返しなさい」と、子供たちは勧めたいと思います。もしかしたら「偏差値の高い学校がいい学校だ」と言う答えが返ってくるかもしれません。そしたら、「偏差値って何?」「偏差値の高い学校に行くとはどういういいことがあるの?」と、また聞けばいい。そういうやりとりをしているうちに、子どもの中に「いい学校の軸」ができてきます。その軸は答えた大人の軸とは違うかもしれませんが、自分の軸に従って子ども自身がどこの学校に行くのかを判断すればいいのです。 自分の基準を持って、自分で選ぶと言うことこそが自由になると言うことです。それが大人になると言うことです。大人になるためには、自分の基準を自分の中に構築していかなければならないのです。

田中優子 『続 子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』おおたとしまさ(2014)

 「大人になるため」ではなく「すてきな人」になるため あさのあつこ

 広い意味での「勉強」を放棄してしまった人というのは、人としての魅力に欠けると思います。傲慢になるし、片意地になるし、人の話に耳を傾けることができなくなるし、自分に対する肯定感も持てなくなる。
 魅力のない大人には誰も近寄って来れなくなってしまいます。お金があれば、調子がいいときには人が寄ってきてくれます。でもお金がなくなればみんないなくなります。それは単なる損得勘定でしか自分を見てもらえていないということです。魅力のない大人になると哀れです。
 私にとって魅力的に見える人というのは、いつも勉強を忘れていない人です。自分が何も知らないと言う謙虚さを持っている人です。正直に自分の好奇心や知識欲を吐露していける、いい意味で「子どもみたい」と言われるような人が魅力的な人だと思います。やっぱり、勉強している人の事は「すてきだな」と感じます。
 その意味で言えば、すてきな人になるために人は勉強し続けるべきなのだと思います。10歳でもすてきな人がいますよね。50歳でもがっかりな人はいます。いやむしろ、10歳よりも50歳の方ががっかりしてしまう人の割合が多い気がします。「この人と話をしていてもしょうがないな」みたいに感じることがときどきあるのです。勉強を放棄してしまった人が増えるからでしょう。要するに、勉強するのは「大人になるため」ではないのです。「すてきな人になるため」に勉強するのです。

あさのあつこ 『続 子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』おおたとしまさ(2014)

 <自由>になるため 苫野一徳

勉強するのは,端的にいうと<自由>になるためです。
ここでいう<自由>というのは、「生きたいように生きられる」ということです。もうちょっというと、できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、生きたいように生きられているという実感のこと。これが<自由>という言葉の意味です。
<自由>というと、一切の束縛がない状態とか、なんでもやりたい放題のわがままな状態とかいったニュアンスもありますが、私がここでいう<自由>は、状態というよりは実感のことです。「生きたいように生きられている」と感じる、その実感のことです。(中略)
さて、重要なのはここからです。
だれもがみんな、<自由>に生きたいと思っている。
でも、<自由>に生きるためには、必ず何らかの「力」がいるのです。
例えば、読み書き算ができなかったとしたらどうでしょう?きっと、電車に乗ることも買い物をすることも困難でしょう。そればかりか、契約書が読めないばかりに誰かに騙されて、まるで奴隷みたいに働かされてしまうとううことだってあるかもしれません。
それはとても<不自由>なことです。
もちろん必要なのは、読み書き算などの基礎的な「力」だけではありません。スポーツ選手になりたいのであれば、そのための「力」がいるでしょう。学者になりたいのなら、膨大な「知識」がいるでしょう。世界で活躍するビジネスマンになりたいのなら、外国語力や世界についての「教養」がいるでしょう。
私たちは、<自由>に生きるために実に様々な「力」を必要としています。
だからこそ、私たちはこういうべきなのです。
私たちにとっての勉強する意味って一体なんだろう?
ーそれは最も根本的には、私を自由にしてくれる「力」を身につけることだーと。
このことを、皆さん自身を振り返ってぜひとも考えてみてください。
自由に生きるためには、そのための力がいる。その力をつけるために、私たちは勉強しているのです。
どうでしょうか?もし皆さんに納得していただけたら、私としてはとても嬉しく思います。

『勉強するのは何のため?ー僕らの「答え」のつくり方』苫野一徳(2013)

○その他コンテンツから

 Q~こどものための哲学「なんで勉強しなきゃいけないの?」

このコンテンツの目的は哲学的思考なので,なぜを掘り進めることがメインになっていますが,参考になると思います。



参考文献

引用元の本を紹介します。
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