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KAT-TUNシンドロームの末路

前回の続き。訴えられたら最終回。
記事もギリギリを攻めていく。

と言っても割と真面目に「もしかしてそうなんじゃないかな?」と考えついて書き始めたので、実はKAT-TUNの名は釣り針に過ぎない。
中身はスカスカのレンコンです。


前の記事の通り、というよりもいつもそうなのだが自分はギリギリまでやる気がまるで出てこない。

さらに悪いことに、そのギリギリのやる気ゲージが年々バカになってきている。要するにやり始めるまでがだんだん遅くなっている、ということだ。
前まではなんだかんだ間に合っていたものが、ここ1、2年間に合わない案件が増えてきている。
前回はまさにそれだ。

だからこそ、少しネタを仕込みながら、残りはガチでこの「KAT-TUNシンドローム」をなんとかせねばと書いているわけだ。
レンコン太郎という、中身がスカスカなレンコンと太郎冠者が由来で始めたこのnoteは、モラトリアムな自分を変えるべく書き始めたものだが、このモラトリアムも「KAT-TUNシンドローム」の症状の一つとして捉えて問題ないだろう。

※太郎冠者とは滑稽で間抜けな者を指す。そしてレンコン太郎の由来は後付けです。ホントは単なる音の響き。

そしてアルバイトしている最中に、ふとこんな説を思いついた。いわば「KAT-TUNシンドロームの正体」である。

自分はニセ成功体験という麻薬に引っかかっていたんじゃないだろうか。

調べてもらってもそんな名前は出てこないし、本当に麻薬をやっているわけでもない。大麻もやってない。
順を追って説明したい。
あともういい加減失礼の極みなので一切名前は使わないこととする。
本当にすみませんでした。


自分はまず、成功体験がない。
努力をしてこなかった。それはもう事実であり、自業自得とはいえ実際自分を苦しめている。
そして同時に成功体験を求めている自分もいる。
その成功体験欲をカンタンに埋めてくれるために自分が作ったのが、ニセ成功体験である。

〜ニセ成功体験ができるまで〜
例)大学のレポート課題

自分をなるべく追い込み続ける。その手段は「やらないこと」。
やらないことで自分はなんてダメなやつなんだと思い込み続ける。この思い込みが更に自分を愚鈍にする。より手が伸びなくなる。

そして「完成」自体は間に合うくらいの残り日数・時間で突如覚醒する。
うじうじと悩んでいたのが嘘のように元気になる。つまりは吹っ切れるわけだ。気持ち悪いのが、この吹っ切れる瞬間からとても気持ちが軽くなることだ。なんでも出来るような、そんな万能感に包まれる。

その万能感のまま突っ走り課題は完成。
完成した瞬間の、間に合ったという気持ちと達成感は本当に気持ちがいい。

この気持ちがどんよりして底をついてから駆け上がり、完成へ持っていくまでのカタルシス。この一連の流れでできるニセ成功体験が成功体験の皮を被って機能していたのではなかろうか。

成功体験として機能しているならそれでいいじゃないか、と思ったがそうではない。ニセ成功体験には三つの大きな落とし穴がある。

一つ目は今まで説明した流れはあくまでも「マイナスからゼロまでの」動きだということだ。追い込みをかけてラストスパートをかける、なんて言えば聞こえはいいが要はサボったツケを払っているにすぎない。
成功体験と思っているそれは全くの成長をもたらしてくれない。

自分で穴を掘って、そこから地面へ戻っているだけなのだ。

二つ目は、そんな駆け足で作ったものの出来などたかが知れている、ということだ。大体何かしらの穴、欠陥が見つかり、自分はなんでこんなミスをしたのかと結局落ち込むことになる。
ニセ成功体験は本当に一時的にしか機能しないのだ。

三つ目は、追い込みに慣れてしまうことだ。追い込み→追い上げの流れに慣れると大体小慣れていき、カタルシスはマンネリと化してしまう。ニセ成功体験は機能しない。
そこで新たなカタルシスを得るためには「より限界までやらない」選択することになる。
そうすると、自分はまた①焦り、②開き直り、③達成する。この黄金サイクルならぬ金メッキサイクルがまた復活し、ニセ成功体験を手にすることができる。

今まではそうして自分をごまかしてきたが、ここ1、2年間に合わない案件が増えてきている。
カタルシスを追い求めるあまり、現実の作業時間がもう限界を越してしまってきているのだ。
そうすると、より気分は落ちる。落ちていくまま。
そのさまは本当に麻薬のようである。


自分は愚かなことに、就活という、自己分析が必要となるこの時期に来るまでそれに気付いていなかった。
いや、何となくわかっていたけども目を逸らし続けてきた。逸らした方がラクだったからだ。
正直、今も目を逸らしたいし、ふと気が抜けると逸らしてしまっている。
いまあるのは手癖でやりくりしてできたハリボテの学歴だけである。
やりたいことがいつか見つかる、なんて言葉を盲信し続けてきたが結局見つからなかった。

幸か不幸か、今年の就活は例年よりもかなり変則的になってきている。もう遅いかもしれないが、自分の今できることを目を向けてやっていこうと思う。
皮肉にも、目の前の現実や、やるべきことに目を向けることが「辛い」、その事実がニセ成功体験の金メッキサイクルに乗っかっているわけではないと証明してくれている。

ニセモノじゃなく、本当の成功体験を、自分自身の手で掴み取りたい。
自分の愚かな性格と向き合いながら、愚痴りながらも歩いて行けたらいいな…

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