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逢魔の子 新しい日々

 夜から昼の狭間か、それとも、昼から夜の狭間か。

 明るいのか暗いのか分からないところを、僕は走っている。
 光と闇がせめぎ合う場所を、僕は恐ろしい速度で走る。

 急がなければ、間に合わない。
 間に合わなくなってしまう。

 光の場所に出られるのか、それとも、闇に呑まれるのか。

 暗転。

 今、僕はなにかに追い掛けられている。

 何千何万のなにかが蠢いて、僕の後ろから迫っている。
 体中に空気が纏わり付いて、水の中を走っているように重い。それでも一歩一歩足を進める。
 だけど、その足は急に地面にめり込んで、抜けなくなってしまう。ドロドロの干潟に足を突っ込んだときと同じだ。
 渾身の力を込めて右足を引き抜き、そして前に出す、次は左足、そしてまた右足。
 さっきまで走っていたのに、もう歩くより遅い。前に進まない。

 追い掛けてくる何者かが、僕の後ろに迫る。

 怖い
 恐い
 コワイ
 こわい

 僕は助けを呼びたくて、力の限り叫ぼうとするんだけど、声は全然出ない。
 それでも僕は、大切な人たちを呼ぶんだ。

 かあさん!
 安座真さん!
 太斗!

 言葉!!

 おとうさん!
 おかあさんっ!!

 何千何万のざわめきは、動けなくなった僕に近づく。大きな声、ワンワンワンワンとリズムを刻みながら僕を圧倒する。それは更に近づいて、ついに僕は、その声に包まれる。

 助けて!
 おかあさん!!

 ハッと目が開いた。体中に汗をかいている。
 夢の中で聞こえていた何かの声は、目が覚めても聞こえていた。ワンワンワンワンと鳴く声は、何匹いるかも分からない数でその密度を増している。 
 その声の主は、蝉だった。家の周りの木々に群がる何千匹のクマゼミが一斉に鳴いて朝を告げている。

-夢だった。蝉の声が化け物の声に聞こえたんだ。

 そう思いながら天井を見上げていると、僕が寝ている二階の部屋に、トントントンっと足音が近づいてきた。

「うるまくん、起きてる?朝ご飯できてるよ?」
「あ、はい、起きました。すぐ降ります」
「はいはい、じゃ、待ってるね」

 僕は部屋着に着替え、階下の洗面所で身支度して居間に向かった。

「お、うるま、おはよう!どうした?髪がボサボサーしてるぞ?」
「はい、なんかちょっと変な夢を見ちゃって」
「そうね?今朝は蝉がうるさかったからかねぇ、夏休みだし、もっと寝かせてあげてもよかったかねぇ」
「いえ、目は覚めてたから。それより朝ご飯、お待たせしてごめんなさい」

 僕の目の前に座っているのは、安座真雄大あざまゆうだいさん。安座真さんの父親だ。僕は今、安座真さんの実家にお世話になっている。

「なんねぇうるまくん、もう結構経つのに、まだそんな他人行儀な言い方して。もうここはうるまくんの家さぁ、な~んにも遠慮はいらんよ?」

 そう言いながら僕の目の前にベーコンエッグとトーストを置いてくれたのは、安座真伸子あざまのぶこさん。安座真さんの母親だ。

「それよりさ、うるまくんはパンだけど、お父さんはどうするね?ご飯ね?パンね?どっちね?」
「はっさ!伸子、何を言ってる?もう何十年も一緒にいるのに!朝はパン、こんがり焦げたトースト!4枚切り!!」
「ああ、だぁるねぇ、そうだったねぇ」
「あ、米でもいいぞ?目玉焼きに醤油とマヨネーズな?」
「ああ、そうねぇ、じゃあそうしようねぇ」

 なんだかとても良い雰囲気のふたり。遠慮のない会話の中に、優しさもにじむ。そんなふたりを見ながら、僕は自然と笑顔になっていた。

「ところでさ、うるまくん、さっきも言ったけど、そろそろ遠慮しなくてもいいんじゃない?ここはうるまくんの家よ?それにお父さんと私は、あなたの家族」
「ああ、そうだなぁ、うるま、呼んでくれていいんだぞ?ほら、呼んでごらん」
「もう、おとうさん、そんな急かさんで。でもうるまくん、もしあれだったら、呼んでみてもいいさね?」

 そうなんだ。僕はもうこの二人の家族。ここに来てもう2ヶ月も経つのに、僕は未だに他人行儀だ。こんなに良くしてもらってるのに、にこにこと僕を見るふたりの顔を見ていると、僕も思い切らなくちゃ。

「うん、ホントだね、僕の家族はずっと優梨かあさんだけだったから、なんとなく恥ずかしかったけど、おかしいよね。ね!じいちゃん、ばあちゃん!!」

 僕の言葉を聞いて、ふたりは顔を見合わせた。目がまん丸になっている。

「じいちゃんてよ?」
「はぁ、ばあちゃん、てさぁ」

 まん丸に見開かれたふたりの目は、みるみる潤み、今にも涙がこぼれそうだ。じいちゃんがグスッと鼻を鳴らし、手近のティッシュを掴んで目と鼻を拭き、それをばあちゃんに渡した。ばあちゃんはそのティッシュをすかさず屑かごに放り投げ、新しいティッシュを2枚抜いて、やっぱり涙を拭く。

「そうそう、じいちゃんでも、じぃじでも、そふでも、何とでも呼ぶといいさぁね」
「あい!そふはおかしいさぁ、でも私のことは、グランマがいいかな?」
「グランマて、おまえはアメリカーか?」
「あはは!もういいじゃん。じいちゃん、ばあちゃん。もう朝ご飯食べよ?冷めちゃうから」

 東京での“大人の花子さん”との闘いの後、母さんと安座真さんはすぐに結婚したんだ。じいちゃんとばあちゃんはもちろん、母さんと僕の経緯いきさつを知っている。

 僕は母さんの事がずっと気に掛かっていた。僕のために結婚もしなかった母さん、真鏡優梨まきょうゆうり。僕が高校を卒業して独り立ちすれば、母さんは自分の人生を歩めるのかもしれない。そんなことも考えていた。
 でも、あの闘いで出会った安座真雄心あざまゆうしん、僕の剣道部の監督は、真鏡優梨の運命だったようだ。まるで、ふたりが出会うために僕が存在したような。

 そして今、母さんの名前は、安座真優梨あざまゆうり
 そして僕の名前は、安座真漆間あざまうるま。この家はもう、僕の実家だ。
 じいちゃんとばあちゃんと僕の三人は、美味しい朝ご飯を囲んで、笑顔だった。

「ところでよ?うるま、今日のバイトは昼からか?」
「うん、昼の1時から。夕方の6時までだから、7時過ぎには帰れるかな?」
「そうか、こっちに来て買ったバイクの調子はいいんだろ?でも気を付けてな」

 僕は沖縄に来てすぐコンビニでバイトを始めていた。安座真家でお世話になる限り生活費は掛からないし、じいちゃんはお金はいらないって言ってくれたけど、食費として一ヶ月1万円を受け取ってもらうことにした。大学はある程度時間に余裕があるので、それに合わせてシフトを入れられる。頑張れば月7万から8万にはなるから、学費には十分だ。それに沖縄に来てすぐバイクを買った。通学に必要だし、沖縄本島のあちこちに行きたかったからだ。

「でもねぇ、雄心が結婚するなんてねぇ、あんな良い子とねぇ。それに、こんなすぐに良い孫ができるなんて、ばあちゃん嬉しいよ」
「ははは、伸子は最初から大賛成だったさぁね。しかし、じいちゃんも嬉しいぞ?まるで高校生の雄心が帰ってきたみたいさぁ」

 安座真さんは高校大学と県外に行ったから、じいちゃんもばあちゃんもその頃の安座真さんとは暮らしていない。だから僕が来るのが嬉しかったらしい。それもあるのか、じいちゃんもばあちゃんも僕のことをすごく可愛がってくれる。本当にありがたいことだ。

「そう言えばうるまは、優梨さんの名字の意味、知ってるか?」
「え?母さんの名字、真鏡まきょう?」
「ああ、あの名字はな、本来、マコトカガミと書いて“シンキョウメイ”、“マキョウナ”、“マキョウメイ”、“マジキナ”と読むんだが、優梨さんは真鏡だけだろ?まぁ今は安座真なんだから考えることもないんだけどな、じいちゃん、ちょっと気になってなぁ」

 母さんの名字、真鏡は沖縄でも珍しかった。じいちゃんの言うとおり、元はマキョウナかマキョウメイなのだろうが、母さんの両親が改名したらしい。それは母さんに聞いたことがある。ただ、母さんの両親、僕にとっての母方の祖父母は、母さんが小さいときに亡くなっているらしいのだ。母さん自身は叔父のところで育ったらしいけど、僕も詳しいことは聞いていない。
 でも、僕を引き取るときに親族の大反対に遭って、母さんは僕を連れて東京に移り住んだんだ。

「うん、母さんには改名したんだって聞いたことがあるけど、親戚にも会ったことないし、僕も分からないです」
「そうなんだよなぁ、じいちゃん、そこもちょっと気になるんだ。優梨さん方に挨拶しようにも、なんの伝手もなくてな。優梨さんも“それは大丈夫です”って言うしな」
「じゃあ、僕からも母さんと安座真さんに言っておきます。僕も一度会ってみたいし」
「そうだな!じいちゃんからも雄心に言っておくさぁ」

 僕とじいちゃんの話を聞いていたばあちゃんが、やれやれという顔で話に割り込んだ。

「もう、なんねぇうるまくん、安座真さん、じゃなくって、おとうさん、でしょ?」
「あ!はい、そ、そうです。ねぇ」

 そうだ、僕はまだ、安座真さんのことを“おとうさん”と呼んだことがない。だって、高校1年で出会ってずっと、監督か安座真さんとしか呼んだことないから。
 逆に、まったく初対面の方が呼べるんじゃないだろうか?おとうさんって。
 僕はそんなことを考えていたけど、呼べるのかなぁ。

 安座真監督、安座真さんのことを「おとうさん」って。


 近所の家の玄関前に、僕は立っている。
 庭に大きなガジュマルがあって、大きな窓が並んでいる家。
 ばあちゃんにお使いを頼まれたんだ。レジ袋にパンパンに詰められたゴーヤーをお裾分け。小学生でもないのにお使いなんてちょっと恥ずかしかったけど、もちろん断ることはない。僕は安座真家の孫としてここに住んでいるんだから。
 それに、僕はこの家のことを、前から知っている。
 少し目を瞑り、集中して、ふぅ、と息を吐いた。そしてチャイムを押すと、ほどなく女性の声が聞こえた。

「はぁ~い」
「こんにちは、安座真ですけど」
「はいはい、安座真さん、お孫さんね?ちょっと待ってね」

 出てきたのはこの家の奥さんだった。安座真家に孫が来た、という噂はこの小さな集落ではすぐに広まる。奥さんはニコニコと沖縄での暮らしぶりや大学のこと、同じ琉大にあそこの子とここの子が行っている、などなど、結構な時間世間話をすることになった。
 でもそれは、僕にとっても好都合だった。家の中に残った気を感じる時間ができるからだ。

「・・・おばさんたちもここに越してきてそんなに経ってないから、安座真さんには良くしてもらってるのよ~、おじさんとおばさんによろしく言っといてね?あ!そうだ、ちょっと待ってね!」

 奥さんはおみやげを持たせようと奥に入っていった。ようやく僕を解放してくれるようだ。ちょうどいい、少し集中を高めて、もう少し詳しく気を感じてみよう。


「はいはい、これ、うちで作ったサーターアンダギーなんだけどさ、持って帰って食べてね!」
「は、はい!ありがとうございます!」

 そうか、そういうことか。
 僕は奥さんに頭を下げて、家に戻った。

「あい!うるまくん、サーターアンダギーもらってきたの?じゃあお茶入れて、早速いただこうねぇ」
 ばあちゃんは嬉しそうに台所に立った。
「ねぇ、ばあちゃん、あの家さ、ちょっと新しかったけど、昔からある家なの?奥さんはこっちに越してきたって言ってたけど」
 僕はさりげなく、あの家のことを聞いてみた。
「え?うん、そうだねぇ、あのおうちはさ、だいぶ古いんだけど、2回リフォームされててね、今の佐久本さんは、越してきて5年くらいかねぇ。2回目のリフォームは最近だよ?でも、なんでね?」
「うん、あそこの奥さんがね、こっちに越してきたときお世話になったから、おじさんとおばさんによろしく言っといてって」

 僕は少しごまかし気味にそう言うと、ばあちゃんが入れてくれたお茶を飲み、おみやげのサーターアンダギーにかぶりついた。


 あの家は、猫たちがいた家だ。安座真さんの記憶で見た家。安座真さんが初めて対峙した怪異でもある猫たちの家。
 愛する飼い主、父母と娘の三人を突然失った猫たちは、飼い主たちの暮らしぶりを人の言葉で再現するようになっていた。それは猫たちが悲しさのあまり、マジムンになろうとしているかのようだった。

 それを、当時高校生だった安座真さんは救おうとした。

 でも猫たちは、飼い主の三人が虹の橋の向こうで待っていると言って、あの家を去った。

 猫たちはマジムンではなく、清らかな魂になろうとしていんだ。

 その後、猫たちは森を抜け、海に入ったようだ。それは安座真さんの記憶を見せてもらったときに分かった。

 でも今日、あの家で直接感じた猫たちのイメージは、少し違っていた。

 猫は確かに4匹いた。そして4匹とも飼い主たちを追って、海に入った。それは安座真さんのイメージと同じ。だけどあの家から感じるイメージはその後のことだ。

 沖縄の聖地、海の果てにあるニライカナイへ続く虹の橋、そこを渡るのは、3匹分の猫の影、三毛猫2匹と茶白猫1匹。そして、幸せそうに天国へ向かう3人と3匹の姿。

 だけど1匹は、あの大きな白い猫だけはいなかった。

 あの白猫は、父親の声で話す白い雄猫は、飼い主たちに会えなかったのか。
 僕は飼い主たちと再び出会った3匹を思い、そしてどこかに消えてしまった白猫のことを考えた。

 いったい、どこに行ったんだろう。あの白猫の魂は。

 サーターアンダギーを頬張りながら、つっと涙がこぼれた。

 ばあちゃんは、少し心配そうに僕を見つめていた。


 沖縄の8月。太陽は朝からジリジリと肌を焼いて、日なたで薄着は危ない。だけど、5月から6月に掛けて訪れる梅雨の季節より、ずっと過ごしやすいわ。

 海を渡る風は気温の割に心地よく、日陰ならそれほどの暑さを感じない。それが沖縄の真夏。でも、日焼け止めは必須だわ。だって、将来でっかいシミになるのよ?もう一生取れないのよ?って、大学の友達みんなが言うんだもの。

 今日は日曜日、そば屋さんのバイトを休んで、沖縄本島の北の方、ヤンバルにツーリングに出掛ける予定。でも、私ひとりじゃないの。

 うるまと一緒にツーリング。

 私もうるまも沖縄に来てバイクを買った。車も考えたけど、やっぱりバイクに乗ってみたいねって、高校の時から約束してたから。

 さあ!準備は出来た!あとはうるまが来るのを待つだけだ。


「おはよう、言葉ことのは。ガソリンちゃんと入ってる?免許証持った?お金はそんなたくさん持たなくていいから、スマホ決済が便利だからね、落としたら大変だから。あと、スーツとヘルメットは・・」
「もう!うるま!私、子供じゃないよ?そんなのちゃんとしてるに決まってるじゃん!お父さんみたいなこと言わないで!」
「あはは、ごめんごめん、ところで、日焼け止め塗った?」
「あっ!!忘れた!一生消えないシミができるのに!!」

 もう、やだわ。


 8月の沖縄は日差しに溢れてる。気温は30度を優に超えるようになって、夏本番だわ。日差しもすごいけど、入道雲というより、天空の城っていう感じの雲が湧き上がってる。これがスコールを降らせるのよね。

 スコールが降り出すタイミングはよく分かる。走ってると前の方に雨のカーテンが見えるの。それと、対向車が濡れてることもあるわ。そしたら要注意。そのまま雨に突っ込むと視界がなくなるし、タイヤがスリップするわ。

 でも、前を走るうるまのライディング。

 カッコいいな。


 国頭村楚洲の海岸に差し掛かると、小さなカフェがあるの。私たちはその駐車場でバイクを止めて小休止。ヘルメットを取って息をついて、お互いの顔を見合わせて笑いあう。

 カフェは駐車場の真ん前がビーチになっていて、遠くに白波が見える。その手前はリーフの内側。すっごく良い景色。

 沖縄まで付いてきて良かった。お母さんは今ひとりで東京だけど、一人暮らしを満喫してるって強がってたけど、絶対寂しいはず。そのうちこっちに来てもらおう。そして、一緒にこの景色を見るのよ。

「ふぅ、暑いけど、この景色!いい気持ち!!」
「言葉、あれ見て、沖の方に人がいる!」

 うるまが指差す先には、リーフに立ち込んで釣りをする人たちの姿があるわ。腰まで浸かってる人もいる。

「ほんとだ~、あんなに遠くに行けるんだね!何が釣れるんだろ」
「う~ん、熱帯魚?」
「え?沖縄で釣れる魚なら、ぜ~んぶ熱帯魚じゃん!」

 取り留めもない会話だけど、うるまとはなんでも遠慮なく話せる。一緒に剣道部で稽古していた仲っていうこともあるけど、あの“大人の花子さん”との闘いの中で記憶を共有したせいもあるわ。

 私たちの間には、あの時までのことで隠し事はない。お互いに全てを知ってるの。でも、あれからこっちは分からないわよね。もしうるまに好きな人が出来たり、うるまを好きになる人が出来ても、私に知ることはできないのよね。サークルにはあの子もいるしなぁ。

 でもいいの!

 私、八千代言葉やちよことのはは真鏡漆間、今は安座真漆間と同じ琉球大学に入学した。そのことには全く後悔してない。高校1年の時からうるまのことが好きだったんだもの。これからどうなるかは分からないけど、絶対後悔なんかしないわ。

 だって、うるまだもの。


「ふぅ、美味しかったね。じゃ言葉、ここを出たら、西海岸に回って帰ろうか」
「分かった、58号線南下だね。今の時間からだと、少し早いのかなぁ。夕焼け、見えるといいなぁ。もう少し北上してから行こうか」

 うるまは私のことを、あの日から言葉コトノハって名前で呼んでいる。何年も千代チヨって呼ばれていたからまだ少し慣れないんだけど、千代って友達みんながそう呼ぶから、うるまには名前で呼んで欲しいなって思ってた。でも、コトノハって呼びにくいかな。あの子が呼ぶみたいにコトちゃんでもいいけど、コトって呼ばれるのも、嬉しいかな?

「言葉!なにボ~っとしてるの、行くよ」
「あ、待って待って!」

 カフェで食べたオムライス、美味しかったな。


 私たちは楚洲から更に北上して、本島最北端の集落近くまで来ていた。

 最北端の集落というと国頭村の奥だけど、ここはそうではないみたい。ちょっと手前だし、ここでちょっと止まって、自販機で飲み物を買おうかな。でも、人が全然いないわ。ヤンバルって、こんなに人がいないのかしら。

 バイクを小さな公園に止めて、自販機を探すんだけど、やっぱり置いていないのかなぁ。それに、こんなに歩き回ってるのに、やっぱり人に会わない。
 そうこうしていると、また同じところに戻って来ちゃった。まるで迷路に入ったみたい。私たちは狭い路地を行きつ戻りつ。どこをどう通っても、また戻ってくるわ。

 あれ?あそこに子供がいる。

 路地の角に小さな子供が見え隠れする。私は思わずうるまの顔を見るんだけど、うるまはまっすぐ前を見ているだけで、あの子供のことは見えていないみたい。
 あ、あの子、路地から出てきてピョンピョン跳ねてる。あ、跳ねながら私たちの方に近づいてきて。やだ、ピョンピョンピョンピョンって、私たちの周りを飛び回ってる。

 あ!

 子供が、私の背中に飛び乗ってきた!!
 なんだろ、私が好きなのかな。でも、下ろした方が良いのかな。

 ねぇ、うるま。

 ねぇ。

・ 
「・・・はっ!」
「・・のは!」
「言葉っ!!」

 「あっ!!うるま?」
「言葉、気がついた?」

「え?ええ?子供は?小さい子供がいるんだけど、それにここ、集落で、自動販売機がなくって、ふたりで探して・・」
「僕たちはそこの公園にバイクを止めて、ちょっと休憩しただけだよ?それに言葉、さっきからボーっとして、ずっと遠くを見てるみたいだった」

 うるまはちょっと笑いながら私の背中に右手を置いている。だから子供が乗っかってきたって思ったのかな?

「そうなの?じゃ私、夢を見ていたのかなぁ、こんな昼間から。小さな子供がね?ピョンピョン近づいてきて、私たちの周りをまたピョンピョン跳ねて、私の背中にピョンって乗っかってきて・・・」
「それって、この子のこと?」

 うるまは左手の指で簡単な印を作って、私の背中からスッと子供を抱き上げた。

「あ!その子、そうよ!」

 うるまは微笑みながらその子供の頭を撫でてあげている。するとその子はうるまと私の顔を交互に見ながら、ニッコリと笑顔を見せて、ぽーんっと空に跳ね、そして消えていった。

「うるま、今の子供、なに?」
「今の?キジムナーだよ。言葉はキジムナーの悪戯で化かされたんだ。そんなに悪さはしないから心配はないんだけど、あいつ、言葉のこと気に入ったみたいだよ?」
「キジムナー?あれが?」
「うん、あんな風に出てくるのはやっぱり珍しいんだけど、よっぽど言葉のこと気に入ったんだね」
「へぇ、そうなんだ。キジムナーのくせに、見る目あるじゃん?えへへ」

 私はあんまり悪い気がしなくって、ちょっと照れくさい気もして、とにかく嬉しかったわ。うるまの次の言葉を聞くまで。

「うんうん。それでね?あいつ、言葉の目玉を取ろうとしたんだよ?」
「私の・・・めだま?」

 私はもう、次の言葉が出なかった。

 そうだ、このことは大学のサークルで報告しよう。私とうるまが入ってる“琉球弧伝承研究室りゅうきゅうこでんしょうけんきゅうしつ”で。

「うるま!もう行こ!!早く西海岸に回って、名護湾の夕日を見に!」
「分かった。じゃあ言葉、名護湾まで一気に行くぞ!じゃあね!またね!!」

 うるまはバイクに跨がると、公園の真ん中に生えている大きなガジュマルに向かって手を振った。

 ガジュマルの枝で、まあるいカワイイ目が、くるりと回ったように見えた。

 めだまって・・

 もう、やだわ!!


 琉球大学社会人文学部。
 在籍者数約300人、安座真漆間と八千代言葉はそこに在籍している。
 高校の剣道部で出会ったふたりだが、元々沖縄出身の漆間が母親の因縁を断ち切るため沖縄に戻ったのに対し、東京出身の言葉は勝手に付いてきた形である。
 普通は迷惑な話なのだが、漆間はずっと自分に対する言葉の気持ちを知っていたし、怪異との闘いの中で記憶を共有したことで、その思いが強いこともはっきり分かっていた。それに、漆間自身の気持ちも、言葉は知っているはずなのだ。

 ふたりは、お互いを想い合っている。
 だがふたりは、未だに恋人同士ではない。
 漆間と言葉が恋人同士になる。
 それには、漆間にとって大きな因縁である本当の母、名城明日葉なしろあしたばの魂を強大な怪異から解放するまで待たなければならない。

 漆間はそう思っていた。
 言葉はすぐにでも、と思っていたが。


 時間は遡り、4月。
 あの小学校、当時、漆間が入学した××小学校の前に、漆間と優梨の姿があった。

「わぁ、懐かしいわねぇ。うるまも当時、あんな感じで可愛かったのよ~?今も可愛いけど。で、私があそこで明日葉さんとうるまの胸に、花飾りを付けてあげたの」

-そうだ、僕はここで母さんと、真鏡優梨先生と出会ったんだ。

 漆間は懐かしそうに校門をくぐる優梨の後ろを追った。ここで、名城明日葉の魂を探すためだ。

 漆間の本当の母、名城明日葉は、強い霊力を持っていた。そしてその力で、幼くして強い霊力を持ち、常に怪異に狙われる息子の漆間を護っていた。だが、この学校に巣くう強大な怪異、4体の耳切坊主ミミチリボージと対決する中で、漆間と優梨を助けるため、その魂を使ってしまった。

 明日葉は自分の魂と耳切坊主の瘴気を混ぜ、自身をマジムン沖縄妖怪に落としたのだ。
 そしてその力を使い、耳切坊主を封印した。
 今も明日葉は、怪異を封じ込めているはずなのだ。この学校のどこかで。

「ふぅん、何も感じない。うるま、どう?」
「うん、なんにも。校庭全体からも、校舎からも、瘴気のようなものは感じないね。子供たちも先生たちも、ぜんぜん大丈夫」
「明日葉さんが完璧に押さえ込んでるってことかしら。それならそれで問題ね。明日葉さんを解放すると、ミミチリボージの瘴気も一気に解放されるってことだわ。雄心も連れてくれば良かったかしら」

 漆間と優梨は顔を見合わせた。こうなれば、この学校をくまなく捜索するしかない。だが最初に行くところは、もう決まっていた。

「じゃ、母さん行こう!保健室に」
「そうね、行こう!」


 保健室には、今も変わらず保健教諭の斉藤明美がいた。斉藤も当時のことはよく覚えていた。

「・・ええ、ひまりちゃん。覚えてます。あのとき、ひまりちゃんも含めて十数名だと思いますけど、立て続けに同じような体調不良で来る子供たちがいたんです」

 斉藤は当時、乳の親チーノウヤという怪異に取り憑かれていた。そのチーノウヤはミミチリボージに憑かれていたから、実質ミミチリボージに取り憑かれていたことになる。そして彼女は、保健室に来る子供たちから生気を吸っていた。つまり、子供たちの体調不良は、彼女、斉藤明美本人が引き起こしていたのだ。だが、その記憶は彼女には、ない。

「そうですね、そしてその後、私とうるま、そして名城明日葉さんがここに来た。そのことは覚えてます?」
「いえ、それは全然覚えてないんです。でも、私はなぜかここで気を失っていて、廊下に出たら、その・・・」
「大丈夫です、斉藤先生、おっしゃっていただいて」

 言い淀む斉藤の背中を漆間が押した。あの後、優梨が漆間を抱いて走り去った後、何があったのか知っているのは彼女だけだったからだ。

「ええ、廊下に出たら、うるまくんのお母さんが、仰向けに倒れていて。私はすぐに蘇生を試みたんですけど、心臓はまだ動いていたし、すぐに戻ると思っていたんですけど、突然、ぶつんって何か切れるように・・・ごめんなさい!うるまくん!!私があのとき、もっとしっかり蘇生していれば!明日葉さんは戻ったかもしれないのに!!」

 斉藤明美は両手で顔を覆い、嗚咽している。自分が明日葉を助けられなかったことを激しく悔やんでいるのだ。だが、漆間も優梨も、そんな彼女を責める気は毛頭なかった。

「斉藤先生、泣かないでください。先生が一生懸命だったことや、母にしてくれたことは、よく分かってます。感謝しています。ありがとうございました」
「そうですよ?斉藤先生。あの後警察も来て、いろいろ調べてましたけど、死因は虚血性心疾患になりましたよね。つまり突然死。斉藤先生に罪はありません。その上でお伺いしたいのは、あのとき、明日葉さんの蘇生をしているとき、なにか気がついたこととか、誰がいたとか、何か言っていたとか、覚えておられませんか?」

 斉藤明美はハンカチで涙を拭うと、姿勢を正してふたりに向き直った。

「気付いたこと、というのはさっきも言いましたけど、明日葉さんの脈が、ぶつんっと音を立てるように切れたことですね。あんな急には切れないはずなんですけど、その後はもう、どうやってもダメで」

 漆間と優梨は頷きながら耳を傾ける。

「あ、子供たちがいましたね、何人か、4人くらいだったかな。変なことを言っていました」
「変なこと、とは?」
「ええ、うるまくんのおかあさんが突然出てきた、とか、空中に浮かんでた、とか。ちょっと意味が分からないんですけど、それから廊下に倒れたって、口々に・・・」

 ミミチリボージが張った結界は異世界そのものだった。その中でマジムンと化したとき、明日葉の体は廊下に倒れた。結界が消えた瞬間、空中に浮いて見えたのは、マジムンになった明日葉だろう。ふたりはそう思った。

「そうだ、あの子がいました」
「あの子?」
「ええ、ひまりちゃん。えっと、金城日葵きんじょうひまりちゃん。うるまくんと真鏡先生が、走ってるって言ってたと思います」

 日葵ひまりの名を聞いて、漆間と優梨は顔を見合わせた。


 保健室を後にしたふたりは、校内をくまなく探索したが、明日葉の霊気はおろか、瘴気の一片すら見つけることはできなかった。

「母さん、ここには何も残ってないね。母が今もあいつをここで封印してれば絶対なにか感じるはずだし、封印が解けているならなおさら足跡が残っているはず」
「そうだね、と言うことは、明日葉さんはミミチリボージを封印したまま、どこかに移動したことになるね。とすると」
「うん、その移動した先々で、なんらかの現象が起こっているかもしれない」
「明日葉さんの、足跡、か」
「どうすれば辿れるかな、母の足跡」
「どこかで色んな情報を集められるといいね、そんな現象の情報をさ」

 思案するふたりの頭に、ある名前が浮かんだ。

「ひまりちゃん、金城日葵、あの子は怪異と繋がったことがある。あの日あの場所にもいた。それにあの後ずっと沖縄にいたんだろうし、なにか手がかりを持っているかも」

 金城日葵、漆間の幼なじみで、あのとき怪異と繋がって、体が透けてしまった。そして、あの異世界が壊れる瞬間、名城明日葉の最後も見てしまった少女。
 漆間と優梨は、日葵に会ってみようと決めた。だが、漆間はすぐに日葵と出会うことになる。それも、意外な場所で。


 4月、琉球大学キャンパスの午後。安座真漆間と八千代言葉は校舎に向かう道を並んで歩いていた。

 入学して間もない二人だが、ようやく生活のリズムが出来たところで、同じサークルに入ることにしたのだ。

 漆間は言葉に、優梨と行った××小学校での話をあらかじめ聞かせていた。 
 優梨と共に名城明日葉の魂を探しに行ったのだが、その痕跡が全く残っていなかったこと。通常そこで魂が散ってしまったとしても、残留思念はあるはずで、それが全く無くなっているということは、明日葉の魂と共にミミチリボージ自体もどこかに移動したのだろう、ということだ。
 明日葉の魂はどこに行ったのか、その手掛かりを探すためには、どこかで沖縄で起こる怪現象の情報を集めなければ、という話にもなった。そして漆間の幼馴染みである金城日葵にも話を聞くことになっている。

 日葵の家は漆間も担任だった優梨も覚えているし、引っ越していても近所の人に聞けば分かるだろう。漆間と優梨はそう考えていた。

 この話を聞いて言葉が提案してくれたのが、琉球大学のサークルへの入部だった。大学には物好きな学生がたくさんいるのだ。沖縄のオカルトを収集するような。

 それが“琉球弧伝承研究室”だ。

 沖縄本島のみならず、周辺の離島、宮古、八重山、そして世論、沖永良部、奄美へと続く琉球弧全体の民話や、現代に起こる怪現象を収集、研究するサークル。その目的は、琉球弧における伝承から各島々の民俗学を深く研究し、共通の文化を探索、究明する、というとても立派なサークルである。

 だがその実体は、オカルトおたくの集まり、と言っていい。

 漆間は言葉の提案に乗ることにした。そして今、ふたりは琉球弧伝承研究室のドアの前に立っている。

「じゃ言葉、いくぞ!」
「うん!うるま!って、え?今なんて?コトノハって?」
「入ります!入部希望の1年です!」

 漆間は部室のドアをノックして開けると、頭を下げて挨拶した。

「あ?はいはい、1年生ですね~、ふたり?入部希望?ほぉ~今年の1年は3人目だぁ、新記録だぁ、それも、女の子ふたり入った~」

 部室には4人の先輩?がいた。
 奥のPCデスクにはメガネを掛けていかにも部長然とした先輩、中央のデスクではノートPCを開けて作業中の先輩、そして声を掛けてくれた先輩、あとひとりは書類を手にノートPCをのぞき込んでいる、先輩?
 全員が漆間たちを見て、ほぉ、という顔をしている。

「はいはい、じゃ、こっちに来て~、これに、学年と学部、名前とかモロモロ、書いてね~」

 漆間と言葉は並んで座り、渡された用紙に必要事項を記入していく。だが言葉にはそれより気になることがあった。小声で漆間に話し掛ける。

「ねぇ、さっき私のこと、コトノハって呼んだよね?」
「ん、それさ、後で話すよ。今はこれこれ」

 漆間はさっさと用紙に記入し終わり、先輩に提出した。言葉も少し遅れて提出する。

「はい、ありがと~、えっと、やちよ・ことのはさん。言葉と書いてコトノハさん!いい名前だねぇ~、で?えっと、あざま・うるまくん、だね」

 そのとき、書類を手に立っていた先輩?がハッとした顔を漆間に向けた。

「えっ?うるまって、あ、なしろうるま、じゃないのよね。ビックリしたぁ」

 びっくりするのは漆間の方だった。なぜこの先輩は、この女子は、自分の本当の名前を知っているのか?
 瞬時に考えを巡らせたが、答えはひとつしか思い浮かばなかった。

「あの、もしかして××小学校の卒業生?ですか?」

 漆間の問いに、その女子が応える。

「うん!そうだけど!あなたも××小?でも同級生でうるまって子は、ひとりしかいないんだけどなぁ」

 やはりそうだった。この女子は・・

「もしかして、ひまちゃん?金城日葵、ちゃん?」

 金城日葵、そう呼ばれた女子は、大きな目を更に大きくして、ピョンっと飛び上がった。

「なしろうるまくん?もしかしてのもしかしての、うるまくんなの?でも、名字は安座真って」
「うん、なしろうるま。名字はね、変わったんだ。今は安座真漆間。東京からこっちに、琉大に入学したんだよ」
「きゃー!ホントにうるまくんなんだ!何年ぶり?ね!小学校の1年生以来だから、10年、12年ぶり?きゃーー!」

 高揚した顔で漆間に近づく日葵だったが、急に立ち止まり、神妙な顔になった。うるまの母親、名城明日葉のことを思い出したからだ。

「あ、ごめん、うるまくんのお母さん、あんなことになっちゃって、私は子供だったからなんにもできなくって、思い出しちゃった?ホントごめん」

「ううん、いいんだよ。それより会えてとっても嬉しい。実は会いに行こうと思ってたんだ。まさかここで会えるなんて、ね、ひまちゃん」

 ひまちゃん、そう呼ばれた日葵の眼はパッと輝いた。

「部長!今日歓迎会!!新人歓迎会ですよね!ねっ!」

 日葵はPCデスクの先輩に突進して歓迎会を提案している。部長と呼ばれた先輩は日葵に腕を掴まれ、揺さぶられている。その頭はボブルヘッド人形のように揺れ、うなずいているのか横に振っているのか分からなかったが、どうやらオーケーのようだ。

 今夜は突然の新人歓迎会。漆間と言葉の都合などお構いなしだった。しかし、その申し出はふたりにとっても都合がいい。

「今日、バイト入れなくって良かったね」
「ホント、そうだね」

 漆間と言葉は顔を見合わせて、苦笑いするしかなかった。


 僕たちふたりの歓迎会は、那覇の居酒屋で始まった。自己紹介も終わり、部室にいたのが部長と副部長、そして会計のような役割の部員だと分かった。そして言葉と僕、日葵ちゃんが新人だ。他の部員は各学年に数名づついるそうだが、ほとんどが在籍だけの幽霊部員らしい。中にはすごい人もいるって話だけど。

 部長の名前は比嘉さん。4年生だ。もしかして安座真さんの師匠の比嘉さんと繋がりが?と思ったが、沖縄では比嘉姓はとても多く、無関係らしい。副部長は当銘さん。3年生。用紙を渡してくれた先輩だ。そして会計をしているのが新垣さん。唯一の女性部員で2年生だ。

 今年、そこに言葉と日葵という女子部員が加わった。比嘉部長は「これで男子部員が増えるんじゃないか!」とか不謹慎なことを言っている。「それ立派なセクハラですよ?」と新垣さんにたしなめられるほどだ。だが比嘉部長は「いったい誰に対するセクハラだい?」などと受け、火に油を注ぐ。
 副部長の当銘さんはそんなふたりに「比嘉さん、なにを言ってるんですか?新垣だって女性なんですよ?セクハラです」と、火に油どころか爆弾を放り込む発言で新垣さんの顰蹙ひんしゅくを買っている。

 うん、この人たちが面白い人たちだということは分かった。歓迎会は常に楽しそうな笑い声で溢れている。

 さすが流行ってる居酒屋の料理は豆腐チャンプルーだってちょっと違う。島豆腐がこんがりと焼けて香ばしい。控えめに入ってるゴーヤーもいいアクセント。ゴーヤーが多いとゴーヤーチャンプルーになっちゃうからね。具材は豆腐とゴーヤーだけなんだけど、見た目も花カツオが踊ってて豪華だ。ただのチャンプルーなのにな。他の料理も同様、ただの出汁巻きも、ただの唐揚げも、どれも美味しいや。

 こんど母さんにも教えてやろう。

 僕の隣に並んで座る言葉とひまりちゃんもそんな料理をたくさん食べて、もうずいぶんと酔っているように見える。

「あのさぁ、うるまさぁ、昼間、部室で聞きそびれたんだけど、今日からなんですか?私のこと、コトノハって呼ぶことに決めたんですかぁ?」

 言葉が絡み酒の酔っ払いのように聞いてきた。そうだ、今日からチヨではなく、コトノハって呼ぶことに決めたんだ。

「あ、うん、今日からチヨは、コトノハです。そう呼ぶことに決めました」
「へぇ、なんで?なんで今日なんですかぁ?」
「なんでって、ずっとチヨって呼んでたけど、あれは名字でしょ?だから、な?理由なんて無くって、名前で呼ぼうかなぁって、そういうこと!」
「はぁ?なんか理由になってるようでなってないってゆうか、これって結構大事なことだと思うんですよねぇ~」

 なんとも割り切れない感じの言葉だけど、長年呼び慣れた呼び方を変えるのは中々勇気がいるものだし、理由を聞かれても困ってしまう。まさか正直に言うのも、ねぇ。
 そんな僕と言葉のやりとりを見ていたひまりちゃんが、急に話に割り込んできた。これは助かる。

「ねぇねぇ、うるまくんとコトちゃんって、高校が一緒だったんでしょ?部活も剣道部で一緒、で、今度は大学も一緒?」

 ひまりちゃんはもう、言葉のことをコトちゃんと呼ぶことに決めたらしい。興味津々で言葉に問い掛ける。

「ってことはれすよ?ふたりはもう、付き合ってるのれすか!!」

 まったく、ストレートにも程がある質問だが、言葉はちょっと僕を見て、複雑な表情を浮かべた。

「え~っと、えっとねぇ、付き合ってる、ことはない、よ、ねぇ」

 そう言うと僕の顔を見る。その様子からひまりちゃんは何かを察したらしく、シークヮーサーチューハイをグビリと飲んで言った。

「そうなんだ!コトちゃんとうるまくんは付き合ってないのね!まだ!ふぅ~ん、そうなんだぁねぇ」

 それを聞いた言葉も、手に持ったレモンチューハイをぐいっと飲んだ。

「もう!ひまちゃん、なに聞いてくるの?そんなの今聞くぅ?もっと飲んで!ほらぁ。で、ひまちゃんこそ、うるまのこと好きなんじゃないのぉ?幼馴染みに久しぶりに会って、そぉんなに嬉しかったぁ?」

 ひまりちゃんは遠慮無く聞いてくるタイプだが、言葉も負けてはいない。なにしろ剣道部で鍛えられた負けん気と精神力がある。それにひまりちゃんは、ただただ物言いがストレートなだけで、嘘が無い。言葉もそれを感じたのか、もうふたりとも遠慮無く言い合える関係になっている。

 しかし、言葉もひまりちゃんもあんなに酔っ払って・・・

 あれ、ノンアルチューハイなのにな。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、会はお開きとなった。

「はい~、今日は楽しかったねぇ~、では!これでお開きとしますが、絶対飲酒運転はしないように!って、1年生は大丈夫か、ノンアルだからね~、でも、気を付けて帰ってね~」

 なんともホンワカとした比嘉部長の締めで、みなが席を立った。

「うるまくんと言葉ちゃんはバイクで来てたね~。ひまりちゃんは僕たちの車で来たけど、どうする?新垣は方向が一緒だし、乗ってく~?今から運転代行呼ぶけど~」
「えっと私は、どうしようかな?うるまくんは?」

 僕を見るひまちゃんの眼は「送ってって!」と言っているようだ。今も変わらないひまちゃんの家は南部だから、僕の帰り道でもある。

「うん、いいよ、メットあるし。比嘉部長、ひまちゃんは僕が送りますから、大丈夫です」
「わかった~、じゃ、くれぐれも気を付けてね~。じゃ!また~」

 僕は皆に一礼してバイクを止めた駐車場に向かった。もちろんひまちゃんも、そして同じ駐車場にバイクを止めている言葉もだ。

「わたしもひまちゃん、送っていこうかな~、うるまの運転心配だしぃ」
「もう!心配なのは運転じゃなくって、ふたりがちゃんと帰るか、でしょ?」
「あはは、まぁね~」

 並んで歩く言葉とひまちゃん、ふたりはホントに仲良しだなぁ。

「ところでさ、あのさ、もうここで話しておきたいんだけど」

 今の今まで笑顔だったひまちゃんが急に立ち止まり、僕たちに話し掛けた。

「あの、うるまくんのお母さんのことなんだけど」

 僕はもう××小学校に行って調べていたから、あそこに手掛かりが無いことは分かっている。だからいつかはひまちゃんにあの日のことを聞くつもりだった。それは今でもいい。言葉もそれは分かっている。

「うん、ひまちゃん、僕はこないだ××小に行って、保健室の斉藤先生と話して来たんだ。それでひまちゃんにも会って聞きたいって思ってたんだから、何でも話してくれていいよ」
「うん、あのね・・」

 ひまちゃんはあの日、自分が見たことを話してくれた。

 友達3人と保健室に行こうとしていたひまちゃんは、パリンっという音を聞いたそうだ。その瞬間、母さん、名城明日葉が宙に浮いているのを見た。でも次の瞬間には、母さんは廊下に倒れていたと言う。

 母さんは自分の魂を解放してミミチリボージの瘴気を取り込み、その力で三体のミミチリボージを封印した。その時すでに、母さんの体は廊下に倒れていたはずだが、ひまちゃんにはマジムンと化した母さんが宙に浮いて見えたんだろう。そして瞬間的にその姿が消え、廊下に倒れている母さんを見たんだ。

 でも、それからの話は、斉藤先生からも聞けなかったものだった。

「あのね、うるまくんのお母さんのこと、あれから××小学校で、学校の怪談になっちゃったの。私の友達が、あのことをみんなに話しちゃったから。私は止めようとしたんだけど、仲間外れにされそうで、止められなかった。そしたらその話が広まって、いろんな噂とくっついて、私が卒業する頃にはもう、保健室の、その・・・」
「妖怪?それともお化け?」

 口ごもるひまちゃんより先に、僕が話を継いだ。

「うん、そんな感じ。でも、もっとひどい感じかも」

 そう言うと、ひまちゃんは涙声になった。

「うるまくん、ホントに、ホントにごめんね。お母さんがあんなことになったのに、今でもお母さんはあの学校で怪談になっちゃってて、うるまくんのお母さんなのに」

 うつむいて泣いているひまちゃんの背中を、言葉が優しく撫でている。

「ひまちゃん、大丈夫だよ。話してくれてありがとう。それにね、今の話はとっても大事なことを意味してる。僕が聞きたかったことが入ってるんだ」

 ひまちゃんは黙ってはいたけど、何回も頷いている。言葉も「だいじょぶだいじょぶ」と小さな声でひまちゃんを元気づけている。
 しばらくすると、ひまちゃんは落ち着いたのか、顔を上げた。

「ああ、もう10年以上、ず~っと私の胸につっかえてたものが、すとーんってどっか行っちゃったみたい。私、あのことがあったから、このサークルに入ったのよ?沖縄の伝承とか調べたいと思って。そしたらうるまくんに会えた。ホントに会えて良かった。それにコトちゃん、優しいから好き」

 ひまちゃんはすっかり元気になった。その笑顔は僕たちにも元気をくれる。

「ところでさ、うるま、さっき言ってた大事なことって、なに?」

 言葉が僕に聞いてきた。そうだ、これはとても大事なことなんだ。

「うん、あのね?ひまちゃんの話では、ひまちゃんが卒業するまで僕の母さんの話がずっと語り継がれて、それは今もそうなんだよね?」

 ひまちゃんが頷く。

「そうすると、あの小学校では母さんの話以外、怪現象は起こってないって事になるんだ。つまり、あの小学校にはあれ以来、怪異はいない」
「そっか!じゃあ、うるまのお母さんが封印したヤツは、翌日には学校からいなくなってるってことね!それすっごい大事」
「うん、だから、母さんの足跡を辿るなら、僕らが小学校1年生だった年から現在までの怪現象を追えばいいってことだ」
「ほんと、大事な情報だわ。ありがと!ひまちゃん!」

 ふたりで盛り上がる僕と言葉の顔を交互に見て、ひまちゃんは目をパチパチさせている。

「ふたりとも、なんなの?怪異って、それにお母さんが封印してるって・・・なにを封印してるの?」
「あ、そうだよね、何言ってるのか、意味不明だよね」

 僕たちは、あの日起こった事の真相とこれまでの事、全てをひまちゃんに打ち明けることにした。それは長い長い話なので、ひまちゃんの家に行って話すことになった。

 もちろん言葉も一緒だ。

 さぁ、ひまちゃんをバイクの後ろに乗せて、言葉を先導して走ろう、南へ。

 僕が小学校に入学した、あの町。

 僕たち親子が、名城明日葉と名城漆間だった頃の、あの町へ。

 そして明日から、新しい日々が始まる。

 

 そんな予感に満ちた夜だった。



逢魔の子 新しい日々 了

沖縄のスコール 雲から落ちる雨のカーテン

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