見出し画像

逢魔の子 初陣

 中畑幸なかはたさちに取り憑いているのは、ネットに生じ、長い時間を使って成長した怪異、ブギーマン。

 僕たちは幸の中にいるそいつに、千代の目を使ってずっと見られていた。
 安座真さんはすぐに怪異を祓わなければ、幸が危険だという。
 そこで、安座真さんと僕が、幸の家に向かうことにした。

「漆間!私も行く!幸は親友なのよ?」
「千代、気持ちは分かるけど、狙われてるのは千代なんだよ?今の状態なら、あいつは千代に手が出せない。さっき瘴気は祓ってあるから、今は帰りなよ」
 僕は、千代に声を掛けたとき、霊気に混ぜられていた瘴気を祓っていた。
「太斗、千代を頼む。今夜祓えれば、もう何も起こらないから」
「くそ、俺じゃなんの役にも立たないか、分かった!漆間、負けんなよ!」
「おう!まかせろ!」
 本当は太斗が役に立たないわけじゃない。僕はそう思いながら、安座真さんと幸の家に急いだ。


 幸の家に着くまで、車で約10分。僕は母さんに電話して、学校での事を話した。母さんには強い力がある。怪異と戦うんだ、黙っていたってすぐ見抜かれる。

「漆間!何言ってるの?あなたにそんな事できるわけないでしょ?」
 母さんは、僕が全てを思い出して、そしてこれまで霊力を高めていることを知らない。でも、もう言う時だ。
「母さん、黙っててごめん。高校1年の時、剣道部に移ったでしょ?あのときね、僕の力と記憶を思い出させてもらったんだ。それで剣道部で、これまで力を高めてきたんだよ。だから大丈夫。それにさ、その剣道部の監督さんも一緒なんだ。だから、ね?」
「その監督を電話に出しなさい!!」
 耳がキンっとした。これはダメだ、母さんが折れない。安座真さんに代わるしかない。

「安座真さん、僕の、母です」
 安座真さんは車を止め、“うひゃー”という顔をしながら電話を代わった。

「もしもし、安座真と申します。漆間には、いや、漆間くんには・・」
「何考えてるんです!!どんなヤツかも分からないのに!危険です!!」
「いや、あの、お母さん、お気持ちは重々分かります、ただ漆間君は強いですよ?それに私だってそれなりに。相手も土着の神ってわけじゃないので、ご心配は・・」
「あなた何言ってるの!漆間が強いことは知ってる!!相手を舐めて掛かるんじゃないって言ってるのよ!」
 耳がキンっとした。安座真さんはそんな風に首をすくめる。
「あなた!!場所を教えなさい!私が出る!!私が着くまで、待ちなさい!!」
「は、はい!!」
 安座真さんは幸の家の住所を教えている。そして電話を切った。

「漆間、おまえの母さん、すげぇなぁ。来るってよ?大丈夫なのか?」
 僕は少し面白いなって思ってしまった。笑顔で応える。

「はい、大丈夫ですよ。うちの母、強いですから」


 時間は午後8時を回った。
 安座真さんと僕、そして母さんは、幸の家の玄関に立っていた。

「それで安座真さん、どういうおつもりで漆間の力を引き出したんです?」
「え?いやその、漆間君の気は恐ろしいほど大きくて、潜在能力も凄まじいのに、本人には全く自覚がないというか、その~」
「だから引き出したと?ホントに迷惑なんですけど!!私と漆間の暮らしを壊すおつもり?」
「いやまさか!ご家族の事情も考えず、申し訳ないと思っております」

 あの安座真さんが平身低頭だ。ちょっと面白い。でも今は、そんな場合じゃなかった。

「母さん、もういいでしょ?僕は安座真さんに感謝して、そして信頼もしてる。母さんのことも大好きだ。全てを思い出したとしてもだよ?それより今は、同級生を助けなきゃ」
「まぁ、そうね漆間!えらいわぁ~、さすがだわぁ~、じゃ、行きましょ!」

 僕は安座真さんに頭を下げた。僕の母がすみません、っていう意思表示だ。安座真さんが僕に近づいて、小さな声で言った。
「すごいな、お前のお母さん、霊気が半端ない。それに女性がいる方が良かったかも。しかしすごい、俺、負けそう」
「は?なにか言いましたか?行きますよ!!」
「は、はいはい!」
 優梨かあさんと安座真さん、このふたりの気はぴったりだ。僕の見立ては外れない。

 僕らは、幸の家のインターホンを押した。
 インターホンに出たのは、幸だった。
「あ、漆間君?それに安座真監督!こんな時間にどうしたんですか?」
 安座真さんが平静を装って言う。
「幸、千代のことなんだけど、ちょっと聞きたいんだが、今いいか?」
「千代のこと?分かりました。すぐ開けますね」
 カチャリと鍵が開く音がして、どうぞ、と幸の声が聞こえた。
 僕たちは顔を見合わせて、ドアを開け、そして入った。
 玄関は明るく、廊下も、各部屋も照明が点いていた。僕が後ろ手にドアを閉める。

 その瞬間、パタン!という音と共に全ての照明が落ちた。幸の家全体が暗闇に包まれる。だが、これは想定していた。

 僕たちはそれぞれが自分の霊気を解放した。少しだけだが、これでお互いの状況は明かりが点いているのと変わりなく分かる。それに、怪異の瘴気も見えるのだ。僕たちに暗闇は無意味だった。

「思った通りだが、まず幸の家族を探そう。確か両親と妹の4人家族だ」
 僕と母さんは頷き、リビングに入った。そこにはソファーとフローリングに3人が倒れ込んでいる。
 母さんが素早く3人に近づく。そして手を背中や胸に当てると、3人とも薄くぼんやりと気を纏った。

「大丈夫、気絶してるだけ。気は吸われてるけど、私が結界を張っておいたからあとは心配ないわ」
 それを見て、安座真さんが“ヒュウ”と息を漏らす。
「やっぱすげぇな、漆間のお母さん」
「ふふ、ホントにすごいのは、こっからですよ?」
「ふたりとも!奥に行くわよ!きっと2階、自分の部屋だわ」

 僕たちは階段を上り、幸の部屋とおぼしき扉をそっと開けた。すると部屋の照明が点いて、幸が椅子に座っていた。
「あ、漆間君、安座真監督、それから、知らない人。太斗君は?それに千代は?」
 幸が笑顔を貼り付けて言う。ちょっと見は普段と変わらない。
「漆間、あの子の霊気、あれは・・」
 母さんが僕の背中に手を回す。無意識に僕を守ろうとしているようだ。それは幸の霊気を、禍々しく深紅と暗黒に彩られた霊気を見たからだ。

「あれは、ほとんどが瘴気だわ。漆間、あなたはまだ本気を出しちゃダメ。子供の頃も死にかけたのよ?2回も力を使ったから。今だって、こんな経験は初めてでしょ?」
 母さんはそう言うと、安座真さんに目配せした。ふたりで行く、という合図だ。安座真さんは小さく頷いて、幸に近づいた。
「幸、いや、幸じゃないな。お前、どれだけの子供たちの霊気を吸った?幸の霊気を吸ったなら、ずいぶんと強くなったろうな」
 怪異を挑発する。まず姿を見せれば簡単だからだ。
「え?安座真監督、なにをおっしゃってるのか、全然意味が分かりませんけど、私、何かしました?」
 幸はその手にスマホを握りしめている。それこそが、この怪異と現世を繋ぐ通路なんだ。

「ふぅ~ん」

 母さんは、なるほど、という顔で鼻を鳴らす。そして幸の問いには応えず、すたすたと幸との間合いを詰めた。あまりに唐突な接近に、思わず幸が立ち上がる。邪悪な瘴気が膨れ上がった。しかし母さんは怯まず、右手の人差し指を立てて、唇に当てる。
「しっ!!」
 母さんの体を巨大で真っ白な気が包む。安座真さんが見上げるほどだ。
「はぁ、これはこれは」
 そして母さんはその人差し指を幸の胸に当てた。瞬間、母さんの気は指先に収束し、幸の胸に突き刺さる。

「ガッハァ!!」

 一瞬のことだった。幸は何かを吐き出した。それは赤と黒が混ざり合おうとするようにぐねぐねと動く球だった。瘴気の塊だ。
「ふん、子鬼か」

 母さんは瘴気の塊を自分の霊気で包み、押しつぶした。だが、幸の口からは、次から次へと瘴気の塊が吐き出される。そのうちのいくつかは、醜い人型の子鬼に変わり、安座真さんに襲いかかった。

 安座真さんはいつの間にか机にあったボールペンを握っている。そしてそれを子鬼に向けた。
 ボールペンから霊気がほとばしり、刃を象る。霊刃だ。
「ひゅっ!」
 わずか数歩間合いを詰めた安座真さんは、向かってくる子鬼たちをその霊刃で薙ぎ払った。
「あら、やるわね」
 母さんと安座真さんの前では、子鬼などいくら出しても無力だった。
「がぁ!がぁあああーー!!」
 幸が、いや、幸に取り憑いた怪異が叫ぶ。すると、幸の全身を赤と黒の瘴気が覆い、見る間に分離していく。それは、その姿は、大人の花子さんだった。
 幸はがっくりと膝を突き、床に倒れ込んだ。怪異が幸から離れたんだ。

 怪異の姿は部屋の天井に届くほどの上背、その髪はおかっぱ頭のようだ。白いシャツ、赤いスカート、そう見える。だが、よく見ればそれはどれも、この怪異の表面に浮かぶ瘴気の文様だ。おかっぱ頭は真っ黒な顔に乗った歪な頭蓋骨。この怪異の頭は、真っ黒な髑髏だった。
 子鬼など比べものにならない瘴気の濃さ。母さんと安座真さんは、無意識に近づき、連携していた。

「安座真さん、その霊刃で、あいつの瘴気を散らしてちょうだい。あとは私の霊気で包んで、潰す」
「りょーかいです!おかあさん!!では、行きます!!」
 安座真さんは数瞬で間合いを詰め、手にした霊刃を振りかざした。そして怪異の頭を狙い、渾身の面を叩き込む。
「っとぅああああーーーー!!」
 怪異は頭から左右に断ち切られた。
「行くわよ!」
 母さんも霊気を纏って怪異に突っ込む。そして両手を広げ、そのふたつの手の平に巨大な霊気を纏わせ、柏手を打った。

 バッチン!!

 霊気は怪異を左右から包み込む。そのまま母さんは、両手の指を組んで、渾身の気を入れた。
「潰れたか!!」
「まだだ!おかあさん!」
 安座真さんが叫ぶ。母さんの霊気の球から、ドロドロと漏れ出ているものが見えた。瘴気は潰れていないんだ。
「こいつ!隙間から!」
 床に漏れ出た瘴気は、即座に形を変え、またも天井に届くほどの怪異となった。そしてそれは、自分の両手を大きく広げ、その手の平に瘴気を集めている。
「ま、まずい」
 怪異は手の平に集めた巨大な瘴気を、安座真さんと母さんに向けて解き放つ。同時に、広げた腕を、顔の前で合わせた。

 バッチン!

 怪異が母さんの技を真似たのだ。安座真さんと母さんは、怪異の瘴気に挟まれた。全身を瘴気に包まれれば、自身の霊気が蝕まれる。抵抗できないこの状況はまずい。
 僕は、自分の霊気を目の前で練り上げた。ここで使う。でなきゃふたりが危ない。

 一発で決める。

 僕が練り上げた霊気は、まばゆい金色に色を変えた。だが、まだ足りない。もう少し、もう少し大きく、もっと大きく!

 一発で、決めるんだ!

「うるまーーー!だめよーーー!!」
 母さんの叫び声が聞こえた。僕はハッとして母さんを見た。母さんの髪が、ずずずっと音を立てて伸びている。胸が見る間に膨らんで、もうシャツのボタンは弾けそうだ。
 母さんの首が、がくっとうなだれた。
「母さん!だめだ!チーノウヤになっちゃ!!」

 覚えている。僕が小学1年生だったあの日、母さん、優梨先生はチーノウヤに取り憑かれ、僕の首を絞めた。でも結局母さんは、チーノウヤを自分の中に取り込んだんだ。それが今、出てきている。チーノウヤのあの目、死んだ魚のような、焦点の合わない濁った目。
 今、母さんがそうなる。

「母さん!しっかりして!チーノウヤに乗っ取られる!!」
 うなだれた首を母さんがゆっくりと持ち上げ、漆間の方を向いた。その目は、母さんの、真鏡優梨の目だった。

「漆間、大丈夫。母さんよ」
「あ、かあさん・・」

 母さんの気は大きい。元々は純白の霊気。それが何倍にも膨れ上がっている。マジムンであるチーノウヤの瘴気は、この10年の間に母さんの霊気に取り込まれ、能力の一部になっているようだ。母さんの霊気は、銀色に輝いていた。

「安座真さん!全力よ!全力出して!!」
「ああ!おかあさん!分かった!!」
 安座真さんは渾身の気を霊刃に集め、自身の周囲の瘴気を大きく切り裂く。ひとりではすぐに修復されるが、そこに母さんが霊気の塊を叩き込む。
「が、があ、がががあああああ!!」
 怪異の瘴気は、安座真さんと母さんの攻撃であらかた吹き飛んでいた。怪異が急激に萎んでいく。そしてそれは、幸に向かって流れ込もうとしていた。
「いかん!おかあさん!私が幸に被さるから、おかあさんが止めを!」
 安座真さんが霊気を纏って幸に覆い被さった。それ以上進めない怪異は、丸くまとまっていく。
「ん!いくよ!!」
 母さんが両手に霊気を集中し、瘴気の玉を狙う。

 バッチン!!

 そのとき、怪異を形作る瘴気は、母さんの霊気の隙間を縫って、幸の右手に握られたスマホに逃げ込んだ。
「あ!逃げる!!」
 元々スマホの中、ネット上で生まれた怪異、ブギーマンは、最後の最後、幸の体を捨てて自分が生まれた世界に逃れたのだ。
「あぁ、逃がした。しくじった」
 母さんは急激に元の母さんに戻った。どうやらチーノウヤの力は出し入れ自在らしい。
「ええ、もう一歩でした、おかあさん。もしあのとき漆間の霊気をぶつけていれば、確実でしたが」
「そうだけど、初めての実戦ではちょっと危ないかも。漆間の力はものすごいけど、調整できないから全部出し切っちゃうのよ。そうなれば最悪、目が覚めなくなる」
「かあさん!安座真さん、幸は?」
「お、そうだ。おかあさん、どうですか?」
 母さんは幸を抱き上げて気の強さを計っている。
「うん、消耗は激しいけど、大丈夫だわ。きっと目が覚めても、これまでのことは覚えてないだろうけど。ところで安座真さん、これからどうします?」
「えぇ、私にちょっと考えがあります。今日のところは幸と幸の家族を介抱して、休ませましょう」
「分かりました。安座真さんの力はよく分かったし、明日またお聞きします。それとね、安座真さん」
「はい?なんでしょう、おかあさん」
「私の名前は、おかあさんではありません。真鏡優梨です。ゆうりさんとでも呼んでくださいね」
「は!はい、ゆりさん!」
「ゆうりさん!!」
「はい!優梨さん!」
「じゃ、明日またね、安座真さん。後は任せるわ。さ、漆間、帰ろ?」

 後のことを全て任された安座真さんは、ぽかんと突っ立っている。僕は母さんに急かされるまま帰ることになった。この状況を幸の家族にどう説明するのか心配だけど、千代に連絡して来てもらえば何とかなるだろう、後は明日だ。

 あの怪異、ネットに逃げ込んだブギーマンをどうやって誘い出すのか。
 安座真さんの考えを聞くことにしよう。
 しかし、このふたりの気は、やっぱりぴったり合ってるなぁ。


 翌日の放課後、安座真さんは生徒指導室を借りて、関係する生徒を集めていた。幸を始め、幸がRINGで繋がった生徒たち、それと太斗と千代。それに僕だ。
 母さんももちろん来ている。表向きは今回の件に関して保護者同伴の指導、というものだった。

 安座真さんがまず声を上げる。幸と、怪異に遭遇した幸の友人たちにだ。
「今日集まってもらったのは、君たちが遭遇した怪異についての話をするためだ。怖いだろうが、少しの間頑張って欲しい。それと、もしかしたら君たちは、幸のことを疑っているかもしれないね。最初にそれを説明しておくよ」
 幸の友人たちはお互いに顔を見合わせているし、幸自身も俯いている。それは当然だろう。
「安座真さん!」
 太斗が声を上げた。
「それ、俺に説明させてもらえませんか?みんな剣道部で、俺もみんなのこと知ってるから」
「ん?そうか、分かった!赤城に任せる」
「ありがとうございます」

 昨晩、ひとり残った安座真さんは、千代と一緒に太斗も呼んだそうだ。そこでふたりは、千代の家で何が起こったのかを聞いている。
 気がついた幸は、千代の胸の中で泣きじゃくっていたらしい。

「わたし覚えてる、ぜんぶ覚えてるの!女子トイレの前で何かに取り憑かれたことも、仲の良い子たちにRINGしたことも!だめだって分かってたのに、自分ではなにもできなくって、怖くて、悲しくて、みんなの顔を見るたび“助けて!”って叫ぶんだけど、誰にも届かなくて、ううん、漆間君だけは、気がついてくれたけど」

 幸は怪異に取り憑かれている間のことを全部覚えていた。でも、どうすることも出来なかったんだ。そして幸は、自分の家族を襲い、そして気を失うまで、母さんたちと闘った。
 恐ろしかったろう、悲しかったろう。でも自分ではどうも出来なかった。
 太斗はそのことを、幸の友人たちに話している。みんなも怖かったろうし、被害者なんだけど、幸が一番の被害者なんだと。
 そして、その恐ろしい怪異を、安座真さんと母さんが追い詰めたことも。

「でさ、こんなことを経験したみんなだから教えるんだけど、漆間もね、そういう妖怪と闘う力を持ってるんだよ。安座真監督と漆間のお母さんが強いのはさっき話したろ?今回は漆間も闘う。絶対やっつけられるんだ。みんな!力を貸して!!」
 幸の友人たちはお互い顔を見合わせていたが、ひとりが頷いて、幸に近づいた。
「幸、大変だったね、みんなも怖がっていたんだけど、分かった、幸が一番辛くて怖かったんだって。じゃ、やっつけてもらおうよ!漆間君!あいつやっつけてね!」
 安座真さんが笑みを浮かべながら頷いている。
「みんな、ありがとう!!じゃ、早速お願いだ、みんなスマホを出して!」

 安座真さんは生徒指導室の机を丸く並べ、その上に幸と友達全員のスマホを、ロックを外して置いてもらった。

「オーケー!じゃあみんなは廊下で待っていてくれるかな?」
「安座真監督、これで、どうするんですか?私たちは何もしなくていいんですか?」
 女子のひとりが聞いた。
「ん、この怪異はSNS、いや、ネットの中に潜んでるんだ。そしてみんなのRINGは一度怪異を呼んでいる。怪異と繋がったことがあるんだ。つまり、みんなのスマホが大人の花子さんを呼び出す鍵になる。そしてその鍵を差し込むのは、幸だ」
「安座真さん、俺と千代は?」
 太斗が疑問を投げた。自分らがいても、なんの役にも立たないと思っているからだ。
「うん、太斗、千代、ふたりは竹刀を持っておけ。それとな、ふたりには漆間と一緒に幸を守って欲しいんだ。言っておくが、お前たちは無力なんかじゃないぞ?それはすぐに分かる。漆間も、いいな?」
「お、おう!漆間!じゃ、一緒に闘うぞ?俺は別に怖くなんかないからな!幸も、俺の後ろにいるんだぞ?」
 太斗が気勢を上げる。幸は嬉しそうに太斗を見ている。
 千代は気丈に顔を上げた。
「私は大丈夫!だけど漆間!私が危ないときは守ってよ?絶対よ?」

 そうか、安座真さんはやはり母さんとふたりで片を付けるつもりだ。幸は花子さんを呼ぶ鍵だからここに置くが、それを僕たちが守る。太斗と千代は自分の力を知らないけど、かなりの力持ちだ。今日はそれを知ることになる。
 僕の覚悟も決まった。
 これからみんなで、ネットが作りだしたブギーマン、大人の花子さんと闘うんだ。


「じゃあ、幸、花子さんを呼び出すぞ?いいか?ここにあるスマホ全部にRINGでメッセージを送るんだ。内容は、そうだな・・・お前がみんなに、最初に送ったメッセージでいいだろう」
 幸は緊張の面持ちでメッセージを入力する。
「送っていいですか?それと、私はどうしたら」
「うん、そのまま漆間たちの後ろにいてくれ。幸は花子さんに憑かれていたから、あいつが出るとお前の霊気が反応するはずだ。そのとき私たちのそばにいないとまずい。またすぐに取り憑かれるかもしれない」

 幸は身をすくめた。花子さんに取り憑かれた、あの感覚を思い出したんだろう。

「大丈夫だよ、幸。今度はひとりじゃないだろ?俺たちがいるから」
 太斗が幸を勇気づける。僕と千代も幸を見ながら頷く。幸も頷いた。
「分かりました!みんなお願いね?じゃ、送ります」
 幸はメッセージを送信した。すぐに、机に丸く配置した全てのスマホが着信を告げる。
「幸、何度も送ってくれ、あいつは、花子さんは必ず反応する」
「分かりました」
 幸は同じメッセージを再送する。幾度目かの再送の後、突然、ひとつのスマホが違う着信音を奏でた。

「来た!」

 スマホは次々に着信音を変える。それはまるで悪い病気が伝染しているかのようだ。
 そして、全てのスマホの着信音が変わった。
 パタリと着信音が消え、円形に配置した机の中心に、薄黒いもやが集まっていく。

「まだだ、全部出るまで待つ」

 安座真さんの言葉にみんな頷き、固唾を呑んでそれに見入る。
 突然!薄黒いもやはその濃度を増し、加速度的に形を作る。次の瞬間には、赤と黒の瘴気が渦を巻き、天井に向かって吹き上がった。
 瘴気は生徒指導室の天井に突き当たり、天井全体を覆うように広がる。そしてその中心には、あの姿が現れていた。白いシャツ、赤いスカート、おかっぱ頭。しかしよく見ればそれは禍々しい瘴気の文様に覆われ、真っ黒い髑髏の中心には、更に黒い双眸があった。2メートルを優に超えている。幸に取り憑いていた花子さんの比ではなかった。

「安座真さん、こいつ、でかいよ!」
「ああ、おかあさ・・優梨さん、こりゃ、ネットに戻って力を回復どころか、どっかで霊力を吸ってきてますね。くそ、本来の力を見誤ったか」
「それか、逃げたヤツは本体じゃなかったのかも・・分体だったか?」

 安座真さんと母さんの話からすると、幸の部屋で闘ったネットのブギーマン、大人の花子さんは、逃げ込んだネット上で瘴気を増大させているか、そもそも分体だったのかもしれない。
 どちらにしても、今のこいつが最終形だ。

「まぁぐちぐち言っても仕方ない!安座真君!!最初から出すよ!」
 母さんが自分の体を両腕で抱きしめ、霊気を高める。本来の母さんの霊気が膨れ上がり、一瞬後に灰色の霊気が混ざり合う。そして輝く銀色の霊気が練り上がった。
「っ!あああーーーー!!」
 母さんの髪が3倍にも伸び、胸がはち切れそうに膨らんだ。チーノウヤの力だ。
「優梨さん!!行きます!!」
 安座真さんは木刀を構えている。ボールペンですら霊刃を創り出す安座真さんだ、木刀の霊刃はその刀身に凄まじい霊気を纏い、真っ白に燃え上がっているように見えた。


「う、漆間、あれは?」
 天井にまで届く怪異の瘴気、そしてまばゆい光に包まれた僕の母さんと安座真さんを見て、太斗は言葉もない。
「太斗、見えるだろ?あれが幸に憑いていたブギーマン、大人の花子さんだ。それと母さんと安座真さんの力も。あれが見えるって事は、太斗も結構な力があるってこと」
「俺に?うそだろ?千代は?」
「千代にもね、見えてるはず。って言うか、千代は僕の霊気を前から感じてたんじゃない?」
「う、うん、漆間の体が光って見えてたのはある。でも、こんなのと闘うなんて、私に出来る?」
「ああ、出来る。ふたりとも安座真さんの霊刃を見たね?もう霊気に干渉しているから、ふたりの竹刀も霊気を纏ってるよ?ほら」

 太斗と千代は、無意識に構えていた竹刀に目をやった。ふたりの竹刀は、うっすらと霊気を帯びて光っている。

「うわっ!ホントだ」
「竹刀が光ってる。これが、霊気なの?」
「それをね、全国大会の試合だと思って相手に打ち込めばいい。鋭く気合いを込めて、ね?」
「分かったぜ、漆間!」
「でも、ふたりの前に俺がやるから、ふたりは幸をしっかり守っておいて」
 太斗と千代は、竹刀を握りしめながらうなずいた。

「ほら!安座真さんが切り込む!ふたりとも見て!」


 安座真さんは無駄のない踏み込みで怪異との間を詰め、机を足場にして飛びかかった。同時に気合いを霊刃に込める。
「ッツッァアアアーーーイ!!」
 狙いはやはり怪異の頭だ。鋭い面で狙う。
「グゥガガッガガガ!!」
 怪異はその刃に向かって、瘴気の塊をぶつけてきた。打ち込まれた霊刃はその塊を切り裂くが、二つに分かれた瘴気はそれぞれがぐねぐねと形を作っていく。
「っ!!これ、昨日のやつ!」
 ふたつの瘴気は、幸の部屋に現れた“大人の花子さん”を形作る。昨晩のそれは、ブギーマンの分体だったんだ。安座真さんの顔に焦りが見える。
「安座真!!慌てるな!!右から行く!」
 母さんの声だ。チーノウヤの力を使う母さんの霊力は強大だ。両手を右の怪異に突き出すと、声を限りに叫んだ。

「バッチンッ!!」

 右の怪異が半分消し飛ぶ。昨晩の失敗は握り潰すというイメージだった。今度は、蒸発させる。

「安座真!残り!!」
「ああ!優梨!!」

 母さんの声に応え、安座真さんが霊刃を振るう。その霊圧は、刃のスピードと相まって怪異の残る半分を消滅させた。
 安座真さんと母さんが並び、左の怪異に向き直る。

「優梨、こりゃふたりで掛からないと瞬殺は無理だね」
「そうだね安座真、それにこいつの分身体、あと何体出せるんだ?」
「分かんないな。コイツ、まだたっぷり余力はあるぞ?それとな、俺、雄心っていうの」
「そっか、じゃ雄心、いこっか!」
「おう!優梨!!」

 母さんが先ほどと同じく、両手に霊気を溜め、残った花子さんに向かって突っ込む。
 同時に安座真さんは更に間を詰めて、母さんとタイミングを合わせる
「ッタァアアアーーー!!」
「バッチーーンッ!!」
 左にいた花子さんは、ふたりの攻撃で瞬時に霧散した。
「よし!次は本体!!」
 ふたりは顔を見合わせてブギーマンの本体に向き直り、構えた。
 ブギーマンは顎を上げ、天井を見上げている。

「ガガガッガガガガガッガアアアーー!!」

 安座真さんと母さんも釣られて天井を見た。そこには、いくつもの瘴気のツララが下がっている。
 瞬時に事態を理解した安座真さんが、僕たちを振り返って叫ぶ。

「うるまーー!上からだ!来るぞー-!!」


 安座真さんが叫ぶと同時に、僕たちの前に天井から瘴気が垂れ下がってきた。それは床に届くと同時にうねうねと動きながら、大人の花子さんになる。それが、2体。

-これは実戦だ。まずひとつ!

 僕は先ほどから練り上げている霊気を両手の平に集めた。金色の霊気が僕の手を、腕を包み込む。
「太斗!千代!竹刀を僕に向けて!」
 僕はふたりの竹刀の先を掴み、霊気を流し込んだ。ふたりの気で光っていた竹刀は、僕の霊気を混ぜて光度を増し、何倍にも膨れ上がる。
 霊刃の完成だ。

「ふたりとも、左のヤツを任せる。連携して打ち込んで!瘴気に包まれないように!」
 叫ぶと同時に僕は右の怪異に突っ込んだ。両手の霊気を膨らませ、指で印を結んで硬い霊刃を作りだした。肘から先、そして指先から数メートルも伸びる霊刃。僕は怪異の間合いに踏み込むと、両腕を振って霊刃を叩き込んだ。その一撃は怪異を左右から切り裂くと同時に、その霊気で瘴気の欠片を霧散させる。これは僕の本当の母さん、名城明日葉の技だ。

-1体は倒した、後1体!

 僕は太斗たち3人に向き直った。太斗と千代は幸を守っている。ふたりの目の前に迫る怪異は、何体もの子鬼を産みだして攻撃を仕掛けてくる。動きを封じて瘴気で包み込むつもりだ。だが、ふたりは素早い足さばきで間合いを詰め、霊刃の一撃で霧散させている。

「太斗!千代!子鬼はまかせたっ!!」

 僕は後一体に突進した。同時に両腕の霊刃を怪異の中心に叩き込む。怪異の胴体は霧散し、残った頭部と足ももう一太刀で消滅した。
 後ろを振り返ると、残った1体の子鬼を太斗が倒したところだった
「幸!大丈夫か?さちっ!!」
 太斗は自分の後ろにしゃがんでいる幸に声を掛けた。
「うん、太斗、ありがとう、大丈夫よ」
「ああ!よかった!お前になんかあったら、オレ・・」
 僕は幸を守ったふたりに心底感心していた。
「すごいよ太斗、初めて怪異と闘ってこんなに、やっぱお前すごい!」
「ホント、太斗すごいわ、やっぱり剣道が強いって、気合いがすごいからこんなことできるのかな?」
 千代も素直に太斗を認めている。でも、すごいのは千代も同じだ。いや、違う。千代は・・
「千代もすごいよ?太斗に負けないくらいすごい、でもね・・」
「でもって、なによ漆間、なんか不満?」
「いや、あのね?」

 その時、母さんの声が響く。

「うるま!油断しちゃ駄目!まだ来るよ!!」
 母さんと安座真さんは、分体の花子さんを倒しつつ、本体にも攻撃を加えている。ふたりの息はぴったりで、次々生まれる分体も数が少なくなっていた。
「優梨と俺は本体を叩く!!漆間はこいつら頼む!太斗と千代は幸に子鬼を近づけるな!」
 安座真さんが叫ぶ。僕は分体を叩くんだ。ざっと、5体。
「まかせてください、ふたりは本体を!太斗、千代!もう少しだ、頑張って!!」
 僕はもう一度霊気を練り上げて、5体の分体に突っ込んでいった。


「雄心!本体も同じ攻め方でいくわよ!まず雄心からお願い!」
「よっしゃ!優梨、タイミング逃すな!」
 雄心はありったけの霊気を木刀に纏わせ、同時に自分にも霊気を纏った。本体の瘴気に突っ込むためだ。
「うぉおおおお!!」
 本体から伸びる瘴気の腕を切り裂いて突っ込んだ雄心は、自分の体に纏う霊気を爆発させた。雄心の体を中心として、本体の胴体に大穴が開く。同時に、体を回転させ、強靱な霊刃で本体の中から瘴気を切り刻む。
 安座真雄心の最も強力な技だった。

「すごいよ!雄心!わたしも行く!!」

 優梨は本体の側まで素早く間合いを詰め、両腕を大きく開いて腕全体に霊気を広げた。それは優に天井まで届く球体になる。優梨は開いた両腕を、自分の胸の前で交差させた。巨大な二つの霊気の球で、怪異本体は挟まれ、端から消滅していく。
 怪異、ブギーマンの本体は、内から雄心の霊刃に、外から優梨の霊球で、粉々の欠片になって消える。最後に残る髑髏は、天井に向かって最後の咆哮を放った。
「がぁあーーーがぁああああ、がぁぁああああ!!」
 そして髑髏は、瘴気の塵となって、消えた。
「やった!雄心、やったね!!」
「ああ、優梨、なんとかな、お互いもう、限界か?」
 ふたりは、ふぅっと一息つくと、顔を見合わせて天を見上げた。

 その目には、天井に渦巻く瘴気が映った。

「雄心!!まだだ!!」
 そのとき、漆間の声が響いた。
「安座真さん!母さん!千代を!!」

 振り返ると、漆間が3体目の分体を倒すところだった。だがその漆間の先には、霊刃を構える千代の目前で実体化しようとしている巨大な瘴気が見えた。
 太斗と幸は瘴気に包まれて倒れている。もうすでに、ふたりの霊気も吸われているだろう。
「まずい!雄心!さっきのも分体よ!でかい分体だった!!」
「くそ!狙いは結局千代の霊気か!千代がやられちゃまずい!!」

 ブギーマンの本体は、大きな分体を残して分離し、天井に隠れたのだ。そして今、千代を襲うため実体化している。

 ふたりはもう一度顔を見合わせる。そしてある決断をした。
「うるま!母さんたちは力を使いすぎたの!!すぐには祓えない!あなたが行きなさい!!」
「漆間!千代を頼む!!そこの2体は俺たちがやる!」

 僕は優梨と雄心に目前の分体をまかせ、千代の元に急いだ。


 ブギーマンの本体は、天井から降りるときに太斗と幸を瘴気で包んだのだろう。
 千代の顔は恐怖にゆがんでいるが、霊刃を構える気合いは劣っていない。それどころか、千代の体全体が濃密で真っ白な霊気に包まれている。

-真っ白な濃い霊気、千代はあれのお陰で助かった、でもあれは・・

「千代!今行く!!」
 僕は霊気を練り上げると同時に自分の体にも霊気を纏った。安座真さんの技だ。

-これで瘴気は僕に触れない、行くぞ!!

 僕が踏み込む瞬間、ブギーマンの髑髏が、ぐるりと回って僕を向いた。そして強烈な瘴気を僕にぶつけてくる。
「ぐあっ!!」
 瘴気の塊に押され、僕の足が止まる。瘴気が分厚い。僕の霊気と瘴気がぶつかってお互いに消滅していく。こうなったら力比べだ。
 そうしている間にも、ブギーマンは千代に瘴気の触手を伸ばしている。だが千代を包む真っ白な霊気は、自身が意思を持つかのようにそれを防ぎ、千代も霊刃を振るって触手を断ち切る。だがそれもいつまで持つか・・

 急がねば。

 僕は渾身の気合いで霊気を練り込み、両腕に巨大な霊球を作りだした。これは母さん、真鏡優梨の技だ。だがその大きさは母さんのそれを遙かに上回る。そして僕の霊球は、金色に輝いている。

-これを放てば、僕も力尽きるかもしれない。一発で決める。

「だっああああああーーーーっ!!!」
 金色の霊球に挟まれたブギーマンは、その端から霧散していく。だが瘴気を削られながらも、ブギーマンは千代に向かって幾本もの触手を伸ばし、ついに真っ白な霊気を突き破った。

-千代の霊気が吸われる!まずい!!

 僕は渾身の力を振り絞って霊球を押し込む。同時に1歩、2歩と歩を進め、ブギーマンとの距離を詰める。
 千代は霊刃を振りかざして必死に抵抗しているが、霊気が徐々に失われている、長くは持ちそうにない。

-これじゃ、だめか!

 僕は一瞬の判断で霊球を解き、霊気の全てを自分の体に纏わせて、ブギーマンの中心に突っ込んだ。両腕にはもちろん霊刃を作っている。安座真さんの技だ。
 瘴気の中心で僕は霊刃を振るう。だけどこれではブギーマンは倒せない。僕には狙いがあった。
 霊刃と僕の霊気で刻まれたブギーマンの瘴気は、かなり薄くなっている。

-あそこ!!、今だっ!!

 僕はブギーマンの瘴気を突き破り、千代に向かって手を伸ばした。僕の体は、ブギーマンの中心にある。

「千代っ、ちよーっ!やちよことのはーー!!手を伸ばせーー!!」
「うるま!!」
 千代が竹刀を捨てて手を伸ばす。わずかに届かないが、千代は躊躇せず床を蹴った。
「うるま、うるまーー!!」
 僕の手が、千代の手に届いた。互いの手と手をしっかりと握る。

 瞬間!

 僕の金色に輝く霊気と、千代の純白に輝く霊気が混ざり合い、爆発的に広がった。それはふたりを中心にして吹き荒れる暴風のように、そこで荒れ狂う雷のように。
 禍々しさを増すブギーマンの瘴気と僕たちの霊気がぶつかり、せめぎ合う。その狭間で、霊気と瘴気が竜巻のようにねじれ、爆発的に吹き上がった。
「あががががああがががあああーーー!!」
 ブギーマンの瘴気もその濃さを増して膨れ上がり、僕たちの霊気を呑み込もうとする。赤と黒が混ざり、脈動する瘴気は、触れる物全てを腐らせ、そして同化する。
 僕たちの霊気が取り込まれれば、もうこいつは押さえられない。

 一瞬で消し飛ばす!!

 僕は今、千代の霊気も纏っている。それを核にして、僕は全力の霊気をその周りに張り巡らせた。それは純白の核から伸びる幾本もの、黄金色に輝く光線。
 それぞれの光線はあらゆる方向に飛び交い、触れる瘴気を切り裂き、蒸発させ、見る間に削っていく。
 僕と千代は握った手に力を込め、輝く霊気を更に強めた。

「いくぞ!千代!!」
「うん!!うるま!」

 その瞬間!幾重にも飛び交っていた黄金色の光線は収束し、一本の巨大な剣となった。
「これで決める!!」
 僕たちは握りしめた手をブギーマンに振りかざした。

「打ち込め!千代!!」
「はい!行きます!!」

 僕と千代の霊気の剣は、ブギーマンを中天から切り裂く。剣が触れた瞬間、おかっぱ頭の髑髏が、白いシャツが、赤いスカートが、薄紙がメラメラと燃えるように灰になる。

「あああああっっががががあああぁぁぁぁがぁ・・・・・・」

 断末魔のブギーマンが放つ悲鳴は、白いソックスと真っ赤な靴が消えるまで続いた。
 ブギーマンは、跡形もなく消えた。

 僕たちは、勝ったんだ。

 そう確信したとき、僕たちの意識が、遠くに飛んだ。
 ものすごく、遠くに。



「うるま、うるまっ!!」
「はぁ、あ、母さん、安座真さんも」
 床に仰向けで倒れている僕の目の前に、母さんと安座真さん、ふたりの顔があった。

 僕はブギーマンが消えた後、少し気絶したのかもしれない。だけど僕は、その間にある光景を見ていた。それは夢なのか、それとも現実にあったことなのか、それは分からない。

「太斗は?幸は?」
 僕は頭を少し上げて、太斗と幸を探した。
 ふたりは、いた。床に横たわるふたりの側には、廊下で待っていた友人たちが付いてくれている。
「うん、大丈夫だよ。あいつにほとんどの霊気を吸われてたけど、私と雄心でちゃんと補っておいた。おかげで私らもスッカラカンだけど」
「ああ、こんなの初めてだ。子供たちの小さな悪意も、長い時間積み重なれば、とんでもない化け物を産むんだな。これからこんなのが増えるのかと思うと、ぞっとするよ」
 母さんと安座真さんはそう言って笑いあっている。

「ところで漆間、いつまで握ってるつもり?」
 母さんが意味ありげな事を言う。
「そうだぞ?お前、誰かのこと気にならないのか?」
 安座真さんも同調する
「え?あ!千代!!」

 僕と千代は、まだしっかりと手を握っていた。

「ん、うん、うるま?」
 千代が目を開けた。そして僕と握った手を見て、叫んだ。

「やだっ!」

 僕たちはようやく手を離した。


「あら、ことのはちゃん、泣いてるの?」
 しばらくして体を起こした千代は、泣いていた。母さんたちにはその理由は分からないだろうけど、僕には分かる気がした。

「あ、はい、気を失ってる間に、なんだか今の今までいろんな光景を見た気がして、すっごく悲しくて、涙が、止まんない」
 そう言いながら千代は僕の顔を見る。きっと千代も、僕と同じような光景を見たんだ。僕は、千代に話すことにした。さっき見た、遠くの世界の光景のことを。

「あのさ、千代、俺さ、気絶してる間にお前の夢みたいなのを見たんだけどさ、それ、話していい?」
「ううん!私が先に話すわ。じゃないと私、涙が止まらないかもしれない。いい?漆間、そして、お母さん」
 僕と母さんは目を合わせる。考えは、母さんも同じのようだ。
「いいよ、ことのはちゃん、話してごらん?」

 母さんが優しい声で、千代を促した。


「私、うるまのお母さんに、会いました。ううん、うるまのお父さんにも」
「え?・・・うるまの、父親?」
 母さんが愕然としている。それはそうだ。母さんは、真鏡優梨は、僕の本当のお母さん、名城明日葉なしろあしたばの事しか知らないから。
 千代はそれから、幼い僕と名城明日葉の暮らし、小学1年の担任、真鏡優梨のこと、そしてチーノウヤとミミチリボージとの闘いのことを話した。お母さんと優梨先生は僕を命懸けで守り、優梨先生はチーノウヤを取り込んだ。そしてお母さんはミミチリボージを封印するため、自分の命を使った。
 その後、優梨先生が僕の新しい母となり、東京に移り住んで高校生になるまでの暮らしのことも。

「うるまのお母さんの心に、私は触れてしまった。それに、優梨さん、今のお母さんの心にも。あの怪異たちの恐ろしさ、闘い、そしてその後のこと。それだけで私は、涙が溢れて止まらないの。でもね、私、うるまのお父さんにも、会ったのよ?」
「うるまはね、まだ赤ん坊。私が見たのは、赤ん坊のうるまの、記憶」

 うるまはまだ2歳になってない。ようやくよちよち歩きを卒業したくらいだったわ。
 その日、あなたたち家族は海にいた。お父さんがうるまに、海の波や、ビーチの砂や、生き物たちを見せたいって、お母さんは反対したんだけど、お父さんがどうしてもって。そこでね、お父さんは亡くなった。

 お母さんには強い霊力があったから、予感していたのよ。でもその予感は、お父さんが亡くなるんじゃなくって、うるまに危険があるっていう予感だったの。
 お父さんはうるまを抱いて、腰くらいの深さまで歩いて行ったわ。あなたはお父さんに海の水を掛けられたりして、とってもはしゃいでいたけど、海の中を近づいてくる“こわいもの”に怯えて急に泣き出した。それでお母さんは、急いで駆けつけたの。

 あなたが感じた“こわいもの”は、海に巣くう怪異だった。そいつはあなたを狙って、お父さんの足を掬ったの。お父さんはバランスを崩して倒れたわ。でもあなたを助けようと、腕を伸ばしてあなたを水面に掲げて、自分は水中に沈んだ。

 駆けつけたお母さんはあなたを抱いて、怪異を防ぐために結界を張った。そしてお父さんを助けるために手を伸ばした。でも手が届かない。お母さんはあなたが水を飲まないようにしながら、水中に頭を入れた。

 そこで見たものは、お父さんが両足を何かに巻かれて、深みに引っ張られていくところだった。もう手は届かない。お母さんの霊力も、あなたを抱いたままでは使えなかった。

 そのときうるまは、お母さんの腕を振りほどいて、海に飛び込んだ。そしてお父さんに手を伸ばしたの。あなたはその小さい手から、お父さんを助けるために霊気を放った。でもそれは、届かなかった。
 お父さんはそれを見ながら、笑っていたわ。

 ありがとう、うるま。強くなれって、言ってた。
 あなたはお父さんの名前を呼んでた。海の中で、一生懸命。

 しょうま、おとう!しょうま、おとう!って。


 僕の父さん、名前も顔も覚えていなかった。それどころか、僕がどうして父と別れたのかも聞いていない。お母さんが教えてくれなかったからだ。
 でも千代は見た。それは、僕の潜在意識に埋もれているような記憶だったんだろう。
 もう千代は、僕のことで知らないことはない。でもそれは、僕も同じだ。


 千代の話を聞いて母さんは泣いていた。あの夏のことを思い出したんだろう。それに僕の父のことは、母さんが知るはずもないから。これで母さんも、僕のことを全て知ったことになる。

「そうか、千代、さっき僕たちは大きな霊気を出しながら手を繋いだ。だから大きな力が出て、あいつを吹き飛ばすことができたよね。でもそのとき、僕たちは霊気を共有したんだ。混ざってしまったって言ってもいい。でもね、僕はこういう経験って、2度目なんだよ」
 僕は千代にそう言った。すると千代は、さも当然という顔で応える。
「分かるわ。安座真監督でしょ?漆間を卓球部から引き抜いたとき、自分の過去を見せてたわね」
 それを聞いた母さんが安座真さんを睨む。安座真さんは慌ててそっぽを向いた。
「うん、そうだ。でね、と言うことは、僕も千代のこと、見たんだよ」
「っ!!私の夢って、そういうこと?」
「うん、そういうこと。話していい?」

 千代はずいぶんと迷っていたが、結局、ここではダメ、ということになった。それもそうだ。ここには太斗もいる。幸や友達もいる。安座真さんや母さんも。知られたくないことも、あるだろう。

 僕たちは明日、ふたりきりで会うことにした。


 翌日の放課後、マグドの奥の席。
 今日は漆間が私のことを話してくれる。私の過去、きっと私が知らない私のことも、漆間は知っている。
 Lサイズのドリンクを頼んで、私たちはいつもの席に座った。
「それでさ、うるま、私のどんな記憶を見たの?」

-ああ、あんなことやこんなこと、漆間に見られたっていうの?もう、どうしよう。

 私はドキドキしながら漆間の答えを待った。
「うん、千代の記憶ね、はっきり言って、全部見た」
「ぜ、ぜ、ぜんぶぅ~~?」
「うん、全部」

-わぁ、どうしようどうしよう!私、全部漆間に知られちゃってるんだ!

 でも漆間の顔色はあまり優れない。少し心配になってきた。
「ねぇ、もういっそのこと、すっぱり言っちゃってもらえませんかね。もうこんな状況、私、限界かも」
 心配のあまり私の口調も変になる。でも真剣な顔の漆間は、覚悟を決めたように、私の目を見ている。
「じゃ、千代、話すよ?」

 漆間が話してくれた内容は、私が小さい頃の思い出でも、最近経験したことや考えている事でもなかった。
 それはあの日、私がリビングで過ごした、数時間の記憶だった。

「千代、僕は千代があの日、お父さんが亡くなった日のことを全部見た。千代は小学4年生、これは前に聞いたね。そしてリビングでお父さんを見つけて、そして呆然と数時間を過ごした・・・」


 私はお父さんの亡骸のそばで、ずっと泣いていた。鳴り止まないRINGの着信音、ディスプレイに次々と表示されるメッセージの切れ端、その全てに悪意を感じた。恐ろしかった。怖かった。そして、憎かった。

 涙が溢れて見にくかったけど、私はお父さんのスマホを両手で掴み、震える手でそのメッセージをなぞっていた。
 憎い、憎い憎い!私の大好きなお父さんを、この人たちは貶め、蔑み、晒し物にした。そしてお父さんは、自ら命を絶った。私を置いて、自分だけ、たったひとりで。

 私の手には、知らず知らず霊気が宿り、スマホに向かって叩き込んでいた。霊気の色は、真っ黒に染まっていた。憎しみの黒だ。
 そして私は、お父さんの側に寄り添い、ランドセルから小さな彫刻刀を取り出した。私は、お父さんと一緒にいたかったんだ。

 私は右手に握った彫刻刀の刃を左手首に当てた。このままスッと引けば、私はすぐにお父さんに会える。そう思っていた。
 そのときまた、父さんのスマホの着信音が鳴った。RINGのようだが、初めて聞く着信音だ。
 送られてきたメッセージは、空白だった。
 私は怖くなって、早くお父さんのところへ、って考えた。そして右手に力を込めようとしたら、なにかが私の右手を押さえた。

 見上げると、私の後ろから私を抱きしめるように、真っ白な影が覆っている。その影が腕を伸ばし、私の右手を止めているんだ。
 それは人型には見えなかったけど、顔のところにある染みには見覚えがあった。

 それは、お父さんの顔だった。

 耳ではない、頭の中にお父さんの声が響いた。
「だめ、だめだよことちゃん。そんなことしちゃだめだ。おとうさんはよわかったから、にげてしまったけど、ことちゃんはにげないで。それからね、ことちゃんはまっしろなんだから、こんなくろいのは、すてちゃおうね」

 その声を聞いた瞬間、私の全身から真っ黒な霊気がほとばしって、スマホの中に消えた。

「ほら、きれいになった。ことちゃんはまっしろ、かがやくしろさ、だよ?」
「でも、ことちゃんはこんなふうに、だれかにねらわれちゃうみたいだね」
「だからおとうさんがまもってあげる。ことちゃんをおいてにげたから、ごめんなさい、でね」
「そのうちね、ことちゃんをまもってくれるひとに、かならずあえるから、そのときまで」
「ことちゃんは、ひとにやさしく、そしてつよく、いきなさい」
「おとうさんは、いつもそばにいる。じゃあね、ことちゃん」

 私はそのまま、気を失った。

 それからの私は、絶対にいじめを許さない、誰であっても、それが先生であっても、自分がいじめられようとも、絶対に許さない子供になった。
 いつしか私は、みんなに頼られる人にも、なった。

 本当は、違うのに。

 そして私は、RINGが怖くなっていた。


 漆間の話はそれだけだった。
 私の目から、ただ涙が流れていた。涙は止められない。尽きるまで止められない。
 だって、あの怪異、ブギーマンは、私が作り出したんじゃないか。
 それに私は、守ってもらってるから強くなれただけなんだ。

「千代、もういちど思い出して。お父さんが千代に言ったこと」
 漆間の言葉に、私は初めて涙を拭いて顔を上げた。
「おとうさんが、言ったこと?」
「そう!千代のお父さんが、言ったことだよ」
「えっと、私の気は、真っ白?黒いのは、捨てちゃおうって」
「そうだよ!千代の霊気は真っ白、輝く白さ!そして黒いのは、千代の気じゃない。あれがすでにネットに巣くっていたブギーマンの瘴気なんだ」

「そして、千代のお父さんはこうも言っていた。千代は狙われるから、お父さんが守るって。何か気付かない?」
「・・・なんだろ?不思議な雰囲気を感じることはあったけど・・・」
「昨日、ブギーマンが千代を狙ったとき、千代の体を真っ白で濃い霊気が覆った。気付いたろ?」
「ん、うん。でもあれが私の霊気じゃないの?」
「いや、違うんだ。あの日、リビングで千代の手を止めた霊気、あれと同じものだ」
「え!じゃあ、あれって」
「そう、千代のお父さん。お父さんが千代を守ってたんだよ。あのリビングでも、昨日の闘いでも」
「そう、なのかな。じゃ、お父さんは、ずっと側にいてくれたのかな」
「そうなんだよ。でもね、こんなふうにも言ってたよね。千代は怪異に狙われるから守る。つまりね、普段の千代が強いのは千代の力で、お父さんの力じゃない」
「だからね、千代、千代は今のまま、今までのようにしてて、いいんだよ?」

 漆間の言葉を聞いて、私の目からまた涙が溢れ出した。
 なにかが堰き止めていた自分の感情が溢れ出すように、それはやっぱり、止めることが出来なかった。

 漆間は私の涙が止まるまで、何も言わず側にいてくれた。


 とある日曜日。僕の家にたくさんのお客さんが来て、母さんはてんてこ舞いだ。
 朝からたくさんのサーターアンダギーを揚げて、沖縄から送ってもらったマンゴーなんて奮発して、お客さんがお酒を飲むからって、ラフテーとかチャンプルーなんて作って、沖縄そばなんかも作ってる。

 お酒を飲む人なんて、母さんと、もうひとりしかいないでしょ?

 お客さんは太斗、幸、安座真さん、そして、千代だ。
「ことのはちゃん!それで?うるまはあんたのこと、好きなのかい?」
「やだ!優梨さん、私が見た昔の優梨さんってすっごく優しくておしとやかで、子鬼にも負けちゃう人だったのに!なんでそんな風になっちゃったんですか?」
「お!言うねぇ、ことのはちゃんは私と漆間のこと、全部見たんでしょ?だからこんなになっちゃったの!ははは!」
「優梨、もう、酔いすぎだよ。子供の前だよ?いい加減にしないと!」
「なに?酔いすぎ?雄心こそもっと呑んで!雄心のために買って来たんだよ?泡盛の10年古酒!高かったんだから」

 場は和やかだ。母さんは出来上がってるけど、和やかだ。

 あれ以来、僕たちの絆みたいなものはものすごく固くなっている。太斗と幸は、なぜかいつもニコニコだ。今は何を言っても怒らない。
「太斗さ、なんか幸と良い感じなんだけど、もう付き合っちゃってるの?」
「はぁ!!うるま何を言い出すかと思えば!!俺らはそんなんじゃ、なぁ?」
「そうよ、うるま君と千代こそじゃないの?私たちよりずっと!」
「ほらぁ、幸は全然否定しないじゃん。大体さ、大学も幸とおんなじ大学を目指すんでしょ?」

「・・・・」
「・・・・」

「うるま、もういいじゃない。このふたりはもうね、いいのよ。ところでさ、まだうるまの志望校聞いてないんだけど」
「え?言ってなかったっけ。俺の志望校は、琉大、琉球大学」
「そうなんだ。それでさ、沖縄でなにするの?」
「いや、それはね、まぁね」

 そんなこと言わなくったって、僕の記憶を全部見た千代には分かってるはずなのに、志望校だって?わざとらしいな。何を狙ってる?

「じゃさ!優梨さん、安座真さん、私も琉球大学に行くことに決めました!今のいまっ!!」

 わっ、そう来たか。

「なにが、じゃさ!なのよ。そんな沖縄の大学なんて、ことのはちゃんのお母さんが許してくれないでしょ?」
「いえ、優梨さん。今回のことで、うちの母はいたく乗り気です。ぜひうるまくんと一緒のところへって。それに父も言ってました。お前を守る人と一緒にいなさいって」
 母さんと安座真さんは顔を見合わせている。やっぱりこのふたり、息がぴったりだ。

 しかし千代、しっかり大人たちを巻き込んじゃったぞ?でも、千代を守る人と一緒にいなさいって?千代のお父さんはそんなこと言ってない。本当は、千代を守る人が現れるまで、お父さんが守ってあげる、だ。

「そうか、千代、沖縄に一緒に行くって事は、また怪異と闘う漆間を助けるってことにもなるんだが、それは理解してるのか?」
「もちろんです!安座真さん。私はもう、優梨さんよりうるまくんのこと、知ってるんですから!」

 その瞬間、母さんが千代の後ろに回り込み、首をがっつりロックした。千代、今のはまずいって!

「なぁ~にぃ~?ことのはちゃんが行くなら私も行く!帰る!沖縄!!雄心もね!!」
 安座真さんは頭を抱えている。千代は母さんに背中から抱きしめられて嬉しそうだ。太斗と幸は・・・普通に嬉しそうだ。

 あ~ぁあ!もう我が家はめちゃめちゃに和やかだ。

 でも僕は、この高校生活でかけがえのないものを手に入れたみたい。

 もう大丈夫だよ?お母さん。
 待っててね。
 もうすぐだ。助けに行くよ。

 そして僕はもう、ひとりじゃないからね。


逢魔の子 初陣 了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?