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不適格さを認めるクリティカルシンキング

「みんなが知っている」という主語が大きな言葉があります。これは、相手が知らないのは変だという言葉の置き換えです。歳をとると物忘れが多くなるので、「30歳をすぎた頃から誰でも忘れることが多くなる」という表現は、ある程度当てはまるかも知れません。しかし、30歳から仕事に面白みを見出し大きな組織を率いる立場になった人は、記憶力は増えますし、余計なことや嫌なことはすぐに忘れるかも知れませんが、物忘れは少なくなるはずです。

ニュースでも、会社の上司でも、主語が大きな表現を見た時にはどれくらいの人に当てはまるのか?と疑問をもつことで例外を見つけることができます。何も考えないでいると、自己中心的な視点だけになり、なぜ相手は自分のことをわかってくれないのか?という疑問を持つことになりますが、そう考える間違いを指摘してくれる人はもう周囲にはいません。

不適格な考えに陥りやすい状況は、人間関係の好き嫌いが、正しい間違っているという判断と同じになってしまうときです。これは子供にありがちですが、自分が否定されるのは嫌われているからだと判断したり、自分が褒められるのは、正しいことしているのとは関係なく好かれているからだと間違った解釈をしてしまいます。この解釈が拡大すると、自分は好かれているから何をやっても怒られないという勘違いをして、相手が嫌われる行動を繰り返し、相手を本気で怒らせて、縁を切られる危険性もあります。

親が子供を甘やかすのも、子供がすきだから少しくらい間違っていても注意しなくても良いかなという気持ちからくる行動ですが、正しい判断を先送りしています。上司に逆らわずに、間違ったことを言っていても指摘しないのは結局は自分を守る行動です。

だからといって、やたらと否定から入るのも、周囲から関わりたくないなと思われる行動です。
自分は、コミュニケーションコストが高い人とは距離を取るようにしています。最初から距離を取るわけではなくて、できるだけ自分の言葉で説明して、極力我慢します。それでも駄目ならこちらから連絡をする関係ではなくなり反応も最低限となります。
周囲からは我慢強く上手くやっていると思われているかも知れませんが、自分の中で諦めるのは結構早い段階で判断しています。人を信頼できないという短所という認識はあります。

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