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「5秒間」の不寛容

 先週末に行われた大学入学共通テスト。一部の会場で「試験時間が5秒間短くなるミスがあった」と報じられた。


 うーむ。

 「原因はチャイムの設定ミス」という報道もあったようで、つまり「それだけ厳格に時間管理が運用されている」ことの証左だ。公平性の担保の観点からは素晴らしいこと。

 しかし、誰か実際に計っていた人がいるのか、その「5秒間」には誤差がないのか、対象になった101人で再試験を申し出た受験生はいたのか、モヤモヤする。これが「1分間」だったらなるほどちょっと問題なのだろうけど。

 電車ダイヤが秒単位で管理されている日本社会。「ダイヤめちゃくちゃが当たり前」であった場合の社会全体のタイムロスを考えれば、その信頼性は経済発展の基礎的インフラであるとも言える。

 しかし、そのためにかけている労力・コストは、実は馬鹿にならないのではないだろうか。究極の厳格さは「社会の不寛容さ」の現れに見える。

 あらゆる事象がゆるーく流れていた東南アジアでの生活。ずいぶんイライラさせられたものだが、いま思い出せば「それでもいいや」という感覚は社会の温かさになっていた。

 何をどこまで厳格にするのか。これは難しいことなのだけれど、それでも「5秒間」を問題視するのはとにかく行き過ぎだと思うのだよ。
(23/1/18)

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