コスパが悪い犯罪

 身代金目的の誘拐事件は日本では成功したことがないとされていて、「割りに合わない犯罪」と言われる。

 私が会社に入って報道局に配属になったのは昭和末期。その頃は誘拐事件はまだチラホラと発生していて、私も新人の時に某県で発生した案件で取材に行った(もちろん先輩たちのヘルプ要員で、どちらかというと足を引っ張っていたのかもしれない)。この事件は誘拐された男児が遺体で見つかるという最悪の結末で、身体が震えてしまう感覚があった。

 誘拐事件は小説や映画のモチーフにもなって、ある程度のトシの人ならまず黒澤明監督の「天国と地獄」を思い浮かべるだろうし、最近では吉展ちゃん誘拐殺人事件がヒントだっただろう「罪の轍」(奥田英朗)は傑作だった。

 先輩たちは「ま、誘拐事件は総選挙の間に1回ずつくらいあるからねえ」などと話していて、「報道人はモノゴトの頻度を選挙で体得しているのか」と不思議に思ったものだ。

 昭和の時代には「人さらい」という言葉もあった。“黄昏時の公園で子どもたちに忍び寄る魔の手”という恐ろしいイメージがあるのだが、いまの子どもはそもそもそんなワードを聞いたこともないのかもしれない。親には「知らない人が『親が病気だから一緒に行こう』などと言ってきても、絶対についていっちゃダメ!」と何度も言い聞かされていたものだ。

子どもが誘拐されて犯人から身代金を要求する電話などがあった場合、警察は記者クラブを通じて加盟社の社会部長に呼びかけて報道と取材活動の自粛を要請する。いわゆる「報道協定」だ。犯人は被害者側に「警察に知らせたら子どもを殺す」と脅すのが常套手段なので、協定は「被害者の安全を第一にするために取材・報道をしない」「その代わりに警察は本件に関する情報はすべてを逐一開示する」となる。世の中には「報道規制」と誤解する向きもあるが、あくまでも警察と報道が協議して締結するものなので、この呼び方は正しくない。

 この「協定」は大手メディアが情報を独占できていた時代だからこそ機能していたものだ。SNSが発達したいま、子どもが帰宅しない親はまず警察より前にあちらこちらに問い合わせるだろうし、そうすればあっという間に「●●町で子どもがいなくなった」「身代金要求がきているらしい」という情報が拡散、いくらメディアが「自粛」しても意味をなさないだろう。

 成功率がゼロとされる誘拐事件の減少と表裏一体なのが、振り込め詐欺の増加。やはり「コストパフォマンスがいい」から手口が巧妙になってきて、これだけ蔓延するのだろう。

 さらに、ことしは警察庁にサイバー捜査を実行する部隊も創設された。各都道府県警察を指揮するのが役割の警察庁が自ら捜査部隊をかかえるのは初めてのこと。もちろん背景には犯罪の多様化があるわけで、コスパを追求する犯罪者は絶対に根絶されないのだな。
(22/5/3)


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