見出し画像

失われた物語を再構築した女の子たちとわたくし

アイドルの正解がわからない。
いきなり何を言い出すのかってハナシだけどわたくしが好んで聴いているアイドルというとNegiccoそしてRYUTistになるので、2組に共通する「音楽の良さがベースにある」「ローカル(新潟)に軸足を置いている」「じゃあ女性ヴォーカルグループでいいんじゃないか、形式としてのアイドルにこだわらなくてもいいんじゃないか」「でもアイドルをやっている」が一般的な在り様かというと、たぶんそうでもないのだろうな、とは思う。でもわたくしは彼女達が大好きで、自分が住む街にこういうスタンスのグループが2組あることをとても好ましく、誇らしいとすら思っているのだ。

本稿はそのうちの1つ、RYUTistが2020年の春~夏という特異な時期に、如何にして断ち切られた物語を再構築し昇華させたか、という話である。大袈裟かもしれないが(※オタク長文はいつだって大袈裟)、奇跡みたいなものを我々は目撃してしまったのだと考えている。

出会いは例によって音楽

「ローカルアイドルがコレクターズの『CHEWING GUM』のカヴァーやってるのおかしいだろ!」これがRYUTistとわたくしの出会いである(※出会ってはいない、その名前を認識した切欠だ)。件のカヴァー曲は確かYoutubeで探して聴いたのだけど、ローティーンだった彼女達が楽しそうにチューインガムをばらまいていて、誰だこれやらせてるの天才だなと思ったのを覚えている(今なら分かるけどプロデューサーの安部さんだと思う)。調べたら2015年だった。その頃にはNegiccoにも出会っていたので全体的にどうなってるんだ新潟アイドル界、と思ったけど恐らくこの2グループが特異点なのだろう。わたくしと同時期に似たジャンルの音楽を聴いてきた方々がプロデュース側に回った結果、リアルタイムじゃないはずのお若い女子達が我々の愛した音楽を同じように愛しているのを目の当たりにできたということだ。

翌年の2016年にRYUTistがリリースしたアルバム「日本海夕日ライン」。作曲陣に鈴木恵さんの名前がある。どういうことだ。鈴木さんといえばEXTENSION58、近年では鈴木恵TRIOでご活躍のあの鈴木さんだよ。わたくしが20代の頃に足繁くライブに通ってたバンドの人がアイドルに曲提供、長生きってするもんですねという気持ちになり、勢いで「日本海夕日ライン」を購入した。新潟在住のコンポーザー陣が数多く楽曲提供、歌詞も新潟周りの風景を想起させる内容、10代後半という女の子が一番キラキラできる時期をそのまま切り取ったかのような瑞々しいアルバムだ。あと「フレンド・オブ・マイン」は清々しいほどに鈴木節だ(特に落ちサビ前の♪ヘヘイヘイ!のコーラス)。

鈴木さんからお誘いをいただいてこの年初めてRYUTistのライブを観る機会を得たのだけれど、なるほど趣味性の高い楽曲やってるけどちゃんとアイドルだなと思ったのを覚えている。ともちぃ(*1)の挨拶は「はろぴょーん」だったしむうたん(*2)は「元気モリモリモリ」って言ってたし、施設から団体、事象、無機物に至るまでなんでも「さん」付けで呼んでいたし、当時のライブの大トリ定番曲だった「ラリリレル」ではオタク全員に「ラーリーリーレール、バッハハーイ」を照れる隙すら与えず言わせていた(わたくしも言った。晴れてオタクの仲間入りだ)(数年後、ayU tokiOのayuさんに「…君達は『バッハハーイ』がなんだか分かっているのかい?」と真顔で問われていたが、多分元ネタがケロヨンであることは分かっていないと思われる)

*1…宇野友恵(敬称略、以下同じ)。小さくて読書好きで歌がパワフル。かわいい。
*2…五十嵐夢羽。いま日本で最もお小遣いあげたいアイドル。小銭を握らせて甘いものでも買っといでって一度でいいから言ってみたい。かわいい。

前置きにしては長くなったのでわたくしとRYUTistの出会いからライブに頻繁に足を運ぶようになるまでの軌跡は軽く省略する。2017年のアルバム「柳都芸妓」も前作を踏襲した(新潟在住コンポーザー中心・地元にフォーカスした曲世界という意味で)内容で素晴らしかったし、北書店で行われていた伝説のイベント「柳書店」も一度きりだけど立ち会えてよかったと思っている。柳書店のRYUTistはなんというか「完成度の高い未完成」、あの時期の彼女たちでなければ出来なかった世界観の構築を見せてもらえたと思っている。古町どんどんでは2日間で5ステージとかペロッとこなしていて(しかもその後にHOME LIVEもやってる)もう単純に若さすごいとしか言えない。数多くのレッスンと数多くの現場をこなしてきた分の自信が見て取れた。

アイドルであることにはちゃんと意味がある

2018-19年のRYUTistは主にシングルリリースを中心としてHOME LIVEや東京遠征でのライブ活動が多かった。シングルリリースが多くて何が良いかというとリリースイベントがその都度打てる、結果として特典会(握手会、チェキ会など)の機会が増える。オタクなのでははーんそういう戦略ねいいねいいね~などとしまりのない顔で特典会に並ぶのだけど(えっだってお若くてかわいい女の子と握手、したくないですか?手はやわやわだしいい匂いがするよ)、特典会戦略だったとしてもそのシングル曲はどれもポップスとして破格に強い。沖井礼二、北川勝利、Ikkubaru、シンリズム、佐藤望、℃-want you、弓木英梨乃と見る人が見たら眩しくて目が潰れる名うてのポップス強者揃いのコンポーザー陣、その眩しさを可視化するようなRYUTistの歌とパフォーマンス。有銭無銭かかわらず様々な場所で彼女達を観る機会があった。いつの間にか「元気モリモリモリ!」も「はろぴょーん」も「ラーリーリーレール、バッハハーイ」も言わなくなったし(あっでもともちぃはたまに言ってるな「はろぴょーん」。さん付けもメンバー全員してる)、最早アイドルの冠を外しても音楽一本で勝負できるだけの実力はあると思っているけれど、かわいらしい衣装をくるくると着回して振付と共に歌い、ショッピングモールでミニライブ&特典会をやっているのだからまあアイドルだろう。うむ。

とあるリリースイベントでの彼女達を見て思ったことがある。一筋縄ではいかない複雑な楽曲群を若きローカルアイドルがショッピングモールで全力で歌う、冷静に考えたらすごいことでは。わたくしも過去に「アイドルにあるまじき名曲」みたいな言い方をしたことがあったけれどそれは大きな勘違いで、ポップスの達人が全力で作った楽曲をあくまでアイドルの形態で演じることにこそ意味がある。世の中にはあの年頃の女の子が歌うべき音楽というものが確実に存在し、そのオーダーを完全に理解して曲を提供する側とパフォーマンスする側がいて、ショッピングモールみたいな全方向に開かれた場所でたくさんの人に聴かれる、好事家向けの閉じた場所じゃないところで披露されて誰かの耳に届く。ポップミュージックとは元来そういうものではなかっただろうか、若干の理論の飛躍はあるがそう考える。

シングル曲はどれも良曲ばかりだったけれど、同時に公開されたミュージックビデオ群もしんみりと良かった。いずれも地元新潟の街中や郊外で撮影された映像が中心、いつも目にしている街の風景が、繊細につくられた音楽と彼女達の歌声が乗ることでいつでもきらきらと輝いて見える。特に「黄昏のダイアリー」が好きなのだけど、ほんわかしたあの子たちによるこの曲のライブパフォーマンスは過剰なまでにエモーショナルであることはお伝えしておきたい。

良曲だらけのシングルも出揃った、ライブパフォーマンスは向上する一方、みくちゃん(*3)も大学受験を勝ち抜きのんの(*4)は愛猫ぽてまると楽しい日々を過ごしている。2020年の春にはアルバムリリースと大きな会場(りゅーとぴあ劇場!)での周年ライブも予定されている。数多くのアイドルグループがそうであったように輝かしい未来が待っているはずだった。

*3…横山実郁。SNS宣伝担当。自撮りスキルが破格に高い。かわいい。
*4…佐藤乃々子。インスタをやっているが音源リリースがあろうがライブ告知があろうが投稿内容は全部猫。かわいい。

物語は理不尽に分断される

2020年春。詳しくは説明しないがコロナ禍。全てが2月~3月を境に身動きが取れなくなり、いつか解消するだろうと思っていた最悪は毎日のように更新される。医療従事者、外食産業も限界に思われたけど、わたくしの視界に入ってくる中で最も分かりやすく可視化されていたのはエンタテインメントに関わる方々の限界であったと思う。楽しみにしていたライブはメジャーもインディーも全部キャンセルになり、観客を集めることが第一義に置かれていた業種はすべて路頭に迷う。エンタテインメントを養分になんとか生き延びているわたくしのような多くの人々がそうだったと思うけど、いろいろな催しの中止が伝えられるたびにメンタルが小さく死んでいく。どうしていいのか分からないので配信ライブに少し上乗せした金額を払い、物販をしこたま注文し、クラウドファンディングに次々と課金することで心の平安を保ち、部屋に籠って手を入念に洗うぐらいしかすることがない。一応大人なので正気を保ってなんとかサバイブしていくしかない、とそのたびに我に返れるのだけど、エンタテインメントに従事している方々の先の見えなさを思ってまたドンヨリする。もうなんとかこの時代を生き延びて欲しいと祈るしかない(あともっと課金させてほしい)。

冒頭で述べた「アイドルの正解が分からない」という話。アイドルでもバンドでもソロアーティストでも、音楽を生業としている方々にはなんらかの到達点とそれに至る物語というものがあると思う。小さなライブハウスから始まって徐々に露出を高めて、TVやラジオやCMやインターネットなどを媒介に多くの人の耳に届くようになって、グループ内外の競争に勝って、なんらかの音楽チャートの上位を占め、ヒット曲満載のアルバムなんか作っちゃってその年の紅白歌合戦にもお呼ばれ、末はアリーナか武道館かドームツアーか、でもそれから? インディミュージシャンやローカルアイドルが好きなわたくしからすると、チャート上位なり紅白なり武道館なりアリーナなりを一つのクライマックスとする物語にはいくぶん懐疑的ではある。クライマックスはきっと受け手側も送り手側も感動的であるとは思うのだけど、その先に続けていかなければならない物語が絶対あるはずだ。

だけど2020年の春、正解不正解にかかわらず全ての物語はいったん分断された。先が見えないままクライマックスだけが後延ばしになってしまったアーティストも恐らく存在するだろう(そして夏になった今もまだ先が見えてはいない)。RYUTistも例外ではなく、春にリリースされる予定だったアルバムは7月に発売延期、HOME LIVEは全て配信に変更され、6月20日のりゅーとぴあ劇場で予定されていた周年ライブも中止がアナウンスされた。あの子たちはアイドルだから泣き言や恨み言なんて言わない。「代わりに皆さんに喜んでもらえることを考えようと思います!」なんて笑顔で殊勝なことを言っちゃう。辛いでしょ。泣いたって悔しいって言ったっていいんだよ。あなたたちの大事な季節になるはずだった2020年の春は理不尽に、幻みたいに消えてしまったんだよ。完全に余計なお世話だけどそんなことを思ってしまった。

今年の春は確かに存在したのだ

平均年齢20歳前後のあの子たちは、しかしわたくしの如き中高年が庇護の対象としてよしよししてあげなければいけないほど弱くなどなかった。一度断ち切られた物語を、繊細にしかし逞しくもう一度積み上げ始めていた。

3月には「ナイスポーズ」が、4月にはアルバムリリース延期のアナウンスと共に「春にゆびきり」がサブスクで先行配信された。初めて聴いた印象はいずれも「あらかわいい」である(軽いなオイ)。コンポーザー陣は柴田聡子にパソコン音楽クラブ、わたくしですら名前は聞いたことあるなぐらいの新進気鋭のインディアーティストだ。なにかしら引っ掛かりのあるバックトラックと彼女たちの癖のない歌声がなにも違和感なくマッチしたいつもどおりの佳曲であるなと思った。

5月初頭の配信企画「ガチでRYUTist HOME LIVE」。当時は緊急事態宣言下で、感染拡大防止のためにここ新潟ですら職場にも学校にもいけず自宅待機を余儀なくされており、比較的図太くできているわたくしのメンタルも塞ぎ込むばかり。アイドルだって勿論自宅待機、しかし「ガチでHOME LIVE」はそれを逆手に取り、メンバーがスマホで撮ったと思しき自宅での歌と映像をなんらかの神業で同期させて(しかも作曲陣の演奏とも同期!)一本のライブに仕立て上げていた。あれは本当に意味がわからない凄さで、なんでリモートなのに完璧なハモりができてんだよおかしいだろと戦慄した。リモートライブの映像はまるまる残っているので時間のある時に観てほしい。つくづく意味がわからない。すごい。(語彙力~!)

5月末、りゅーとぴあ劇場公演の中止アナウンス。新潟での感染者も減ってきたしなんとかガイドライン遵守でライブ敢行できるんじゃないかとうっすら思っていた時期だったが、そんなに簡単な話ではなかったようだ。しょんぼりしながらりゅーとぴあ劇場1列目のチケットを払い戻すわたくし。今年の春なんて来なかったんだ。6月、「ALIVE」先行配信。蓮沼執太フィルのシンプルに見えて複雑な音の重なり、不思議なリズムのハンドクラップ、不意に始まるポエトリーリーディング。ありふれた朝のルーティーンが次々に重ねられ、彼女たちが目覚めて顔を洗って朝食を済ませて服をまとい靴紐を結びドアを開けて信号を渡って誰かに手を振る、そんな風景が鮮やかに描き出される。きっとそれはある春の一日で、幻みたいに終わったと思っていた2020年の春は確かにあの子たちにも、そして誰にも存在したのだとわたくしは気付く。(余談だけれどサブスクの楽曲配信開始はだいたい真夜中で、聴いたその日は寝付けないレベルでエモが高まってしまい翌朝はまあまあの寝不足で出勤した。ああいう大技の配信開始はできれば休前日だと嬉しいなって)

りゅーとぴあ劇場公演が行われるはずだった6月20日。久々にHOME LIVEの配信があった。恐らく4月5月とレッスンのために集まることも難しい時期だったはずだが、彼女達のパフォーマンスはブランクを感じさせずいつものように華やかでアグレッシブでまるでコロナ禍前の日常がそのままパッケージされて戻ってきたようで、実際わたくしは最初の1曲ぐらいまで泣きながら観ていた(ライブパフォーマンス全般に激しく飢えていた時期だったので…)。新曲も既存曲もいずれも素晴らしくMCはただただ平和。ああ、いろいろあるけどRYUTistは変わらないなあなんてことを思い、100回ぐらいかわいいかわいいと呟いてるうちにライブ配信は終了した。暗転する配信画面。どこか大きなホールの天井の照明と思しき映像。この日初めて公開された「春にゆびきり」のミュージックビデオだった。

新潟市民なら観れば舞台は大体どこだか分かる。白山公園だ。曲線中心に整備された空中回廊に空中庭園。その中心に彼女達が今日ステージに立つはずだった新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)はある。北書店が入っているビルが見える歩道橋、ライトアップされた空中回廊、神殿みたいな円柱に囲まれた駐車場、県民会館のアプローチの特徴的な外壁。ループするシンセサイザーの音。優しくしかし芯の通った歌声。薄曇りの春の日みたいに淡いピンクのドレス。小指を繋いで笑い合いながら、青い光を放つガラス張りの大きな建物に向かって歩いていくあの子たちは、だけどその中に足を踏み入れることはない。

1年前の周年ライブの映像が挟まれる。「2020年6月」大きな会場での1年後の公演予告に湧く会場。泣きだすメンバー。多幸感と希望に溢れた日の記録。今年春のりゅーとぴあ劇場公演ポスター。「公演中止」の貼り紙。空中回廊を走る彼女たち。もう泣いてはいない。誰も観る人のいない空中庭園で、彼女たちは彼女たちのためだけに踊る。宵闇の空に高く伸ばした小指。消えないよう、忘れないようにほらゆびきりしよう。

なんだこれは。断ち切られた物語の先に、あの子たちは新しい物語を積み上げたのだと気がついた。失われた物語の理不尽を嘆くより、行ったことのない場所へ進むことを選択したのだと思った。だからMVの公開はこの日でなければなかった、りゅーとぴあ劇場公演が予定されていた、ひとつの到達点であったはずの6月20日でなければなかった。あるはずだった成功譚を超える、新しい物語を。

音楽があるから大丈夫

7月14日、アルバム「ファルセット」リリース。先行シングル、先行配信曲が多いのでそこまで新鮮味はないかな?と思ったけどそんなことは全くなく、むしろアルバムとしてパッケージされることで全ての曲が、1曲に内包された物語を超えた大きなうねりに巻き込まれたような、新しい意味を持ち輪郭をはっきりさせている。アルバム冒頭に置かれることで、五感がゆっくりと目を覚ましていく響きを持った「GIRLS」~「ALIVE」。凛とした寒い季節の朝を思わせる「きっと、はじまりの季節」から繋がる瑞々しいガールミーツボーイ曲「ナイスポーズ」(言葉遊びの妙もあるし、アイドルが歌う曲には珍しく「君」のキャラが立っているのもある。柴田聡子というコンポーザーに俄然興味が湧いた)。アルバム中では比較的オーソドックスなアイドルポップスであるのだがヒロインの心中が泥沼すぎて辛いまである「好きだよ…」からの「センシティブサイン」ですっきりと未来に目を向ける。「絶対に絶対に絶対にGO!」の過剰な元気さ、これだよRYUTistはこういうの!に続く「青空シグナル」のギアをひとつ上げたドライブ感。Kan Sanoの筆によるミステリアスな大人の恋と見せかけた曖昧な感情のガールミーツガール曲(こういうのみんな好きでしょう、わたくしも大好きです)「時間だよ」を経ての「無重力ファンタジア」、これまで聴いた感触を超えてふわふわと無重力空間へ。前述の「春にゆびきり」でためこんだ胸が詰まるほどのエモーションを最後の曲「黄昏のダイアリー」が一気に解放する。HOME LIVEで、東京の大きなライブハウスで、古町どんどんで、ショッピングモールで、近所の農産物直売所の裏の公園で、有銭無銭にかかわらずいろいろな場所で観てきた楽曲群が新しい表情を得てきらきらと輝いている。サブスク全盛の現在に、アルバム形式であり得る可能性をすべて出し尽くしている。コンポーザー陣独自の色も見え隠れしながら、通して聴いた後には他の誰でもないRYUTistのアルバムだなと強く理解する。アルバム「ファルセット」はそういう作品になっていた。時流も相俟って、みんなの心の中でなかったことになっていた2020年の春を、夏になってから一気に取り戻すような、恐らく作り手側の思惑を超えた物語を持つ、そういう作品ができあがっていた。9年前には何者でもなかった女の子たちが、一度失われかけて綿密に積み直されたピースの上に新しい物語を紡ぎだした。運営とサウンドプロデューサーの尽力も勿論のこと、他でもない彼女たち自身が作り出した、これこそがひとつの到達点なのだと思う。

新譜の良い評判がSNSなどで流れてくるのをみるたびにわたくしなどは「当たり前だ」という気持ちになる(※5年程度のファン歴で威風堂々の古参ヅラ)。当たり前だ、あの子たちはずっと前から音楽に正直に向かい合ってきたのだ。アイドルとして笑顔を振りまき、ローカルのイベントにも頻繁に顔を出しながら、音楽の冒険を9年間積み重ねてきたのだ。

「アフターコロナのアイドル事情」なんて意地悪なweb記事をたまに見かけることがある。特典会もチェキ会もできなくて活動・採算面共に厳しい時代だけどみんななんとかサバイブしてくれ…と思わずにはいられないが、RYUTistはきっと大丈夫だ。今のあの子たちを最良の形で切り取った音楽があることが、これからの彼女達の自信になる。まだ誰も見たことのないこの先の物語を、音楽の冒険で切り拓いていける。できればわたくしも、一緒にその先の物語を読み続けることができたらいいと思うのだ。アイドルの正解はやはり今でも分からないが、「ファルセット」とそのリリースに至る一連のムーブはRYUTistにとって2020年のひとつの最適解であったと思うのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?