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私の隣にはいつも「死」が


希死念慮があることが普通になった。

日々ぼんやりと、時には強く発作的に
自らの手でこの世を去りたい
自分が存在しなかったことにしたいと考える。

休職中、とあるその道の専門の方から
「貴方は鬱を患っているから、症状として死にたい気持ちが出てくる。
寛解すればその症状が少しずつ無くなるはず」
と言われた。

今も尚、希死念慮、自殺企図は消えない。
死が私を蝕んでいる。



「自殺」という存在を知ったのは小学校中学年の頃だった。

当時地元で、いじめを苦に中学生が線路に飛び込み命を絶ったニュースが報道されていた(と思う)。
同級生とこの話題になり、何か話したことも覚えている。

その前年と翌年、私は学校でいじめを受けた。
家庭内でネグレクトを受けた。
その時は、自殺を意識していたかは覚えていないが、苦しさと死を紐づけるきっかけになったのはこの頃だと思う。




強く「自殺」を意識したのは高校生の頃だった。

・両親によるネグレクト、母親の更年期障害
・進学校での勉強の成績不振
・ハードかつ孤独な運動部のマネージャー業務
・中学時代に患った自律神経系の不調

生活の全てに板挟みになり、うつ病と診断された。
生活環境が改善されることは無かった。
両親に理解はなかった、さらに私を責め立てた。
継続した治療ができなかった。

高校2年の冬か、高校3年生になってから、

私は自殺を試みた。
大量服薬をした。

手元にあるだけの薬、常備薬か、通院できなかった心療内科の処方薬かは覚えてないが、50錠ほど飲み込んだ。

家族にこの行為も、その後の身体症状も知られなかった。
翌日は登校したのかしてないかも覚えていない。

薬が回ってきて、とても苦しく、意識朦朧とし
体も動かなかったのは何となく記憶にある。

このことを、身近な人誰1人に言うことは無かった。
一人孤独に、死ねなかったことに絶望した。




親元から逃げ出すように進学し、大学生活4年間
過去のフラッシュバックや身体症状に時折苦しみ
心療内科にも短期間通院したが
自分らしく、学生生活をがむしゃらに過ごせた。

2019年3月末
あと数日で社会人生活がはじまる。

友人といる時、父親から突然電話が来た。

いとこが自殺した。

首を吊り、周りには仕事で失敗した関係書類が散らばっていたらしい。

昔から私の憧れで、成績優秀、運動神経抜群
とてもイケメンで、かっこよくて、話も上手くて
私が高校生の頃、唯一悩みを聞いてくれて
親に釘を刺してくれた人だった。

それでも私は、自殺はしてはいけないとは思わなかった。
その頃も私の中には薄く希死念慮があった。

いとこの自殺がなければ、私はもっと軽率に自殺未遂をしていたと思う。




社会人になって約10ヶ月経った頃から、
私は2年強にわたり休職をする。

※この件は詳しく話したら長くなりすぎるので、気が向いたら別記事にしようと思う

休職期間はほぼ毎日希死念慮が私を蝕んだ。

発作的に自殺願望が出てくる。

動悸または不整脈、パニック症状が起きる。
衝動的に自傷行為をした。

休職中の私の両腕はリストカットの傷で埋め尽くされていた。
パニックになり自分の記憶にも無い状態で、
文房具のカッターか、某メーカーの剃刀で、無心に自分と腕を切り刻んでいた。

常に私の両腕は数え切れない数十本の切り傷があった。


その頃付き合いのあった知人に、
楽器のギロみたいと言われた。



休職中のとある日、強い希死念慮が現れ、
心配してくれていた叔母に、腕を切って死ぬとLINEをした。
その日の切り傷が、人生でいちばん深かった。
首も数箇所切った。

突然インターホンが鳴り響いた。
当然出ないが何十回も鳴らされ、ドアも強くノックされ外から声が聞こえた。

警察官3人が立っていた。

叔母が通報したらしかった。
警察官は「今すぐ出てきてください」と言ってきたが、私はパニック状態で号泣しながら「嫌だ!嫌だ!早く帰ってください!」と叫び散らかした。

時間が経っても警察は帰ってくれなかったので、ドアチェーンをして渋々ドアを開けた。

警察官は腕を見せるように言ってきた。
数十本の血まみれの切り傷に少し引いていた。
「もう二度とこんなことしないって、私たちと約束してくださいね。」
そう言って、警察官は帰って行った。

詳細は分からないが、警察から実家にも連絡が行ったらしい。




休職中、大量服薬は複数回した。

通院先から処方されていた薬を管理できていなかった。
貯まってしまった抗うつ薬60錠を飲み込んだ。

死亡例のある、心臓に負荷がかかる薬だった。

翌日、通っていた就労移行支援施設のスタッフから電話がきて、ODしたことを話した。
通院先にすぐ連絡がいき、緊急で病院に行くことになってしまった。

数十錠程度では命に別状はなかったが、
自力で歩くことができない中、様々な検査をして点滴をした。

お世話になっていたカウンセラーに手を握られ「無事でよかった」と言われた。

就労移行支援施設から職場へ、このことの連絡が行った。
通院先からの処方は勿論止められた。

※その後、約1年かけて処方を再開してもらうことになるが、また別の話にしようと思う。


他にも、誰にも言わずに市販薬でODは複数回した。
家で1人、意識朦朧、猛烈な吐き気の中
死ねなかったことを恨んで過ごしていた。




復職して約1年が経つ。
この間、私はリストカット、大量服薬を1度も行っていない。

でも、不定期で発作的な希死念慮には襲われる。
気休め程度に、革ベルトかタオルで首を絞めることがある。

そんな時は、大抵体調不良で出勤できていない。
独身女が家で1人、数日間シャワーを浴びていない、着替えもしていない身体で、ベッドの中で発作的な症状に耐え苦しむ。

お腹がすいたから食べる。
眠たいから寝る。
痒いから掻く。

でも、希死念慮は同じように解消できない、満たせない。
頭と胸の中でとにかく希死念慮が暴れ、爆発する。
時々、どうにもできなくなり叔母に電話をし、号泣する。
パニックで何もわからない、会話もできていない。

ただ、自分の意と反して、希死念慮が私の体を蝕んでいく。

今の生活環境上、この症状も自分一人で対処し、
翌日出勤しなければならない。
職場の人間に、体調のことは何も相談できていない、できるわけが無い。
※休職中に人事部門管理者(現上司)にパワハラを受けたがこれまた別の話




望んで希死念慮を抱いているわけじゃない。

こんなに私を苦しめるのなら、
これほど強い発作的な症状の末、殺して欲しい。

いつまで私を蝕むのだろう。


希死念慮が消え薄れるのが先なのか。

それとも私が自殺に成功するのが先になるのか。



(公開後、誤字脱字体裁、確認しておりません。)

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