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幻想と虚構の街・ヨコハマ

私の地元は神奈川県の横浜市という、自分で名乗るにはハードルの高い地域である。横浜で生まれ、横浜で育った。純然たる『ハマっ子』をやらせてもらっている。

しかし、この『シティガールっぽい生い立ち』に決してうぬぼれてなどはいない。
なぜなら、私は出身地を問われて「横浜市です」と答えると角が立つことを知っているハマっ子だからだ。神戸・名古屋・金沢……ここら辺はなぜかシンパシーを強く感じる。神戸なんて特にそうだ。同じ港町で、中華街もあって、異人館がある。一度旅行に行った際、神戸のポートタワーからの景色がみなとみらいとほぼ一緒で「自分は今旅行中では……?!」と脳がバグりそうになったことをよく覚えている。

そして、私が初対面の人に「横浜出身だ」と快く言えない理由は、体裁を機にする他にもある。それは、『とても横浜らしくない区の出身だから』である。
横浜、と言われてみなさんが想像するのはこの景色だろう。

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赤レンガ倉庫やランドマークタワーなどの洒落っ気溢れる建物群。
港に浮かぶ日本郵船氷川丸と、悠然と空を舞うカモメたち。
『歴史と洗練された雰囲気のある観光にもってこいの港町』といったイメージを抱かれることが多い。

一方、私の地元の横浜はこうだ。

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THE自然。

もっと言えば、私の最寄駅からすぐ見える景色はこんなイメージ。

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TA☆N☆BO☆

そう、私の住んでいた『横浜』は、海より川、おしゃれな建物より田畑と緑、中華料理は絶対名物なんかじゃない地域なのである。

なんなら、実家からみなとみらいまで行くのに50分くらいかかる。
大学時代、地方から上京してきた同級生に「横浜案内してよ〜!」「中華街行きたい〜!」と言われては心の中で頭を抱えたものだ。横浜中華街は覚えられるほど行ってないし、一生覚えられる気がしない。路地に入ったら一瞬で迷子になる自信があるし、門が異様に多くて行きに来た道にたどり着けないのが常だ。日本の歴代総理大臣暗記するほうがまだ易しいと思う。
しかし、横浜市民はとにかくいい格好しいで、『横浜生まれ』に対するプライドが高い。私も例に漏れずそれなので、「いいよ!案内するよ!」と快諾しては、前日まで『るるぶ』を読み倒していた。そして、当日は何食わぬ顔で、一口エピソードを添えながら案内をするのだ。あの姿は、水面下で必死にもがく白鳥の泳ぎによく似ている。
逆に、隣接県の東京・町田市は2/3の時間でたどり着くので、学生時代はもっぱら町田で遊んでいた。町田ならそらで歩ける。

緑豊かなほうの横浜で育つと、どんな地元エピソードが生まれるのか。
答えは簡単だ、思い出話に『自然』が常に入ってくる。

まず、野生動物と遭遇したエピソードが異様に多い。
前記の田畑は夕方になるととんでもない数のコウモリが飛んでいた。緑あふれる横浜市民をやっていると、幼少の段階でコウモリの飛び方のクセを理解し、瞬時に鳥と判別できるようになる。
また、タヌキとの遭遇回数も増え、通学路で車に轢かれた姿を見ることもしばしば。夜、駅から50mのところで走っていたのを見たときは、驚きよりも「お前こんなとこにいるから轢かれるんだぞ」と見当違いなアドバイスが湧いてしまった。
野生動物の中で一番驚いたのは、中学時代に校庭に出没したサルだ。『校庭に犬』が相場だと聞いていたが、まさかサルが出るとは。中学校に隣接するように自然公園があったが、野生でないと信じたい。野生だったら、もう横浜市民を名乗れない気がする。
ちなみに、私は目撃していないが母が実家の庭でアオダイショウに遭遇したことが一度あるらしい。さすがに驚いたようで、その日の夜私に興奮気味に報告してきた。「ドデカミミズかと思ったらヘビだったよ……」ドデカミミズってなに?ミミズのミュータント?

そしてもう1つ。これは私の住んでいた地域の問題もあるが、幼少期の遊び場がとにかく自然豊かだったことも、エピソードに緑を添えている所以と言える。
私の近所には横浜市内で5本の指に入る規模の自然公園があった。田畑や花壇の規模はもちろん、園内には池や小川がガンガン流れ、草滑りのできる原っぱが広がる自然120%の公園。前述のサルが生まれた疑いのある現場である。
GWや文化の日には決まって祭りを開催し、結構な人が集まるが、普段はもっぱら近所の小・中学生の遊び場になっていた。あの池で何人の子供たちが全身びしょ濡れになったことか。あの森林エリアで何人の子供たちが本気鬼ごっこをしたことか。後者に関してはまじで皆とはぐれて遭難しかけるし、耳をすませて相手の動きを読んだりするのでほぼサバゲーだった。たしか、『NARUTO』でもそういうシーンあった気がする(知らんけど)。
この自然公園での思い出は他にもいろいろあるが、一番はどんぐりを生で食ったことだろう。

その日は、友人たちと近所のスーパーで300円内でお菓子を買い、自然公園内の原っぱでピクニック気分を味わっていた。見渡せば森林、花畑、森林。この広場ではバドミントンやバレーもできる。なんてピクニックに適した公園なんだろう。
のどかな雰囲気の中、友人の1人が「これ見て!」とポケットから何かを取り出した。手の中にはツヤツヤのきれいなどんぐりが入っている。「ここにくる途中見つけて拾った!」と嬉しそうに笑う彼女は私と同じ中学2年生。この子、まだきれいなどんぐりで喜べる美しい心持ってるんだ……などと思い耽っていると、また別の友人がとんでもないことを言い出した。
「こう見るとどんぐりって美味しそうよな」
次に友人たちは私を見る。この頃の私と言えば、ただ面白くありたいという情熱だけで生きていたお笑いオタクで、バラエティ番組の真似事のような笑いの取り方をしていた。そして、周りからの評価も『汚れ役』『ネタ要員』『レベル1のリアクション芸人』といった、決して褒められたものではなかった。
雑なフリの後、私は剥かれた白いどんぐりの身を思い切りかじった。幸い虫はいなかったが、とにかく渋くて苦くてまずい。私はまた大げさなリアクションでのたうち回り、そのまま原っぱの傾斜を転がっていった。遠くのほうで馬鹿笑いが聞こえたが、『来世はセンスで笑いを取れる人間になりたい』と激しく願いながら、口の中のどんぐりを吐き捨てた。
あのどんぐりの渋苦い味は、『屈辱』という言葉がよく似合うものだった。

黒歴史もしっかり思い出したが、それでも豊かな自然が溢れるのが魅力の我が地元。
コロナが収束したら、久しぶりにあの公園に散歩でも行こうかな。ああ、もちろんみなとみらいにも行く。なんたって、ハマっ子だからな!

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