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デザインの「才能」をどう捉えるべきか

前回「デザインセンス」について書いたので、今回はよくわからない「デザインの才能」をどのように捉えて、どういうふうにお付き合いしていけばいいかを、デザイン業界に早10数年いる僕なりの答えを書いていきたいと思います。

まず結論から書いちゃうと僕は「デザインの才能」はあったほうがいいけどなくてもいい。(全くないのはダメです。全くない人が続けるとトラブルが起き続けます)それより大事なのは自分の置かれている環境を、いかに自分で構築できるかのほうが全然重要、と考えています。

なぜこういうふうに思っているかというと「才能」を評価する「世の中」がとてもあやふやだからです。デザイナーの中だけで「才能ある人」を決めれば、けっこう正確に才能ある人が出てくると思います。狭い職人の世界なのと、一種アスリートのように毎日腕を磨き続ける職業なので、作ったデザインを一目見ただけで「あいつはすごい」がわかるので。

なのでデザイナーの世界だけであれば問題ないです。問題は世の中の評価です。これを読んでるデザイナーではないみなさんはダリの絵、天才だと思いますか?ピカソ、どう思います?僕は世の中の大半の人たちは世界の画家の絵を「テレビで天才画家って言ってるから天才。教科書に書いてあったから天才。MoMAが評価したから天才。」くらいにしか思ってないと思います。

つまり、「知名度=天才」が限りなく世の中の判断なんじゃないかと。

きちんと絵を見て「ああ、この人の絵が僕はもの凄く好きだ!だから天才だと思ってるよ!」なんてはっきり意見する人はいません。最後に絵を描いたのは中学校の美術の時間で、そもそも絵に興味がない人間がきちんと絵を評価する眼も育ってなければ、評価する気もないからです。
なので教科書だとかテレビだとかの他者を頼って評価するので、世間の天才とは「有名だからどうやらあの人天才らしい」が主たる評価軸となります。

ということは…、
逆から見ると「知名度」さえあれば腕がなくても「天才」になれる計算です(笑)

(笑)とか書いちゃいましたが僕、この理論、美術・デザイン界の本質だと思ってます…。
例えば自分で1枚絵を描いて、その絵を描く時間の50倍とかを広報の時間にあてます。流行りの世論にかけてキャッチーなタイトルでプレスリリース出したり、比喩や比較に大御所デザイナーの名前使ったり、絵の発表の場所を大金出して有名なところに飾ってみたり。今で言えば美術系のインフルエンサーにお金出して評価コメントもらったりもそうですよね。
とにかく世間に自分の絵を知ってもらう。知ってもらうだけじゃなくて威厳のある場所・団体・人物の名前を借りて「どうやらすごいらしい」という尾ヒレもつけて発信する。これがうまくいけば天才の出来上がりです。
汚いことのように思いますが、割合みんなこうやって上にのし上がっていってて、むしろ僕はこのやり方がスタンダードだと思ってます。15世紀に活躍したイタリアの画家も政治家や貴族に取り入って有名になったし、デザイナーが有名デザイナーになる王道も大手広告代理店や有名デザイン事務所に入って有名な賞を取ってと、名前のある場所や賞の名前が重要です。
大手代理店に属していない有名デザイナーも実はその辺を考えて「自分が有名になるには」の戦略を練っていたと、自分の著書に書いてたりします。


つまりデザインの才能って絵やデザインを見て評価されるわけじゃないんです。「絵の周辺」が大事であって絵はそこまで判断基準に入っていない。悲しいかな今も昔もそれが「デザイン(絵)の才能」の正体のように思います。
僕は30歳を超えるあたりまで「デザインがうまいやつが偉くて、一生懸命やってれば評価される」と思っていた、今思えば悲しいおバカさんですが、世の若いデザイナーはもっと早くそのことに気づいて(おバカな僕に言われる前に気づいているかもですが…)、デザインを作るだけじゃなく自分が世に出るための戦略にも思いを馳せてほしいと思っています。
そうすれば本当に才能のある若手が順当に世に出る可能性がありますからね。素晴らしいことです。若手デザイナーよ、みんながんばれ。デザインだけじゃなくてインテリジェンスも大事だぞ!

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