見出し画像

【エッセイ】結局、自殺する理由なんて本人にしか分からんよ

Wikipediaによると小説家ー芥川龍之介は将来への不安、数学者ー谷山豊は将来への自信喪失で自殺したとされています。実力的にピークを迎えた今、これから年齢を重ねると共に下り坂になっていくことを何となく感じ取っていたのかもしれません。この推察が正しいものと仮定して以下書いていきます。

そのような絶望感は人間ならば誰しもが通る道です。分かりやすい例で言えば、スポーツ選手が挙げられますね。加齢とともに体力が落ちてきて、プロとしての死(引退)が近づいてきます。だからといって、自分が衰えていくことに耐えられずにリアルな死を選ぶ人なんて自分はまだ聞いたことがありません。

金銭的な事情も一部絡んでいるのかもしれませんが、自殺する理由は「単に生き長らえるだけの生」にどれほどの価値があると捉えるか?ということに集約されるかと思います。現代社会は事を荒立てたくないので盲目的に ”生=正しいこと” としてこれを推奨せざるを得ないでしょうが、自分はそういった思考を停止させるような美辞麗句では納得がいきません。

自殺するかどうかは本人(個)が決めたことであって、社会やメディア(公)が勝手に決めた基準で断罪することには大きな違和感を覚えます。なので「単に生き長らえるだけの生」をその人が許容するのなら良し、生きながら死んでいるような状態が嫌だと拒絶して自殺するのもまた良し。あるいは理不尽な社会に対する怒りや抵抗意思を示すための自殺もあって然るべきで、自分は本人の思う通りにすればいいと思っています。

前提としていた最初の仮定や遺書、遺稿が真実かどうかなんて残された者は確かめようがありませんし、結局のところ自殺の理由なんて本人にしか分からないでしょう。知らんけどね。

「ためになるわ」と感じて頂ければサポートを頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。