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なんかネタとか企画って、ほぼやり尽くした感あるからちょっとストック期間作った方が良くね?

科学や文学、音楽、テレビ番組など様々なジャンルにおいて言えることだけれど、手つかずだった黎明期は規制も緩くて、誰でも手探り状態で自由にチャレンジできたから羨ましい。それ故に、すぐに世間を驚かせるような発見、スクープや企画が今よりも身近に転がっていたのだから研究者や創作者にとっては楽しい時代だったに違いない。

でも、人々が興味を持ってくれるようなネタや企画がずっと無限にあるわけではない。これはいわば水産資源のようなもので、大量消費社会が寄って集って漁り食いつくした結果、ちょっとやそっとのネタでは人々は食いつかなくなってしまった。今では魚のほとんどいない海の残り僅かな資源をカスっている状態にあって、深刻なネタ不足に陥っているような気がする。

こう行き詰まってくると、新企画の挑戦は何かとエネルギーが必要になるし、また必ず成功するとも限らないのでどうしても定番という無難さに縋りつくことになる。昔やってウケていたネタを一周回って繰り返してみたり、ちょっとだけアレンジして真新しさを演出してみせたりするのが関の山だ。露程も知らない若い世代は多少は振り向いてくれるかもしれないけれども、やっていることは前時代のままストップしているわけだから全く創造的ではない。

例えば、テレビを見ていてネタというかコンテンツが枯渇しているんじゃないか?と感じることがよくある。自社でコンテンツを創出・提供することを放棄して”視聴者から提供された情報を紹介する”という形で丸投げしたり、ネットの情報を割と取り上げたりするようになったからだ。最たるものでは、文化の違う外国人と凄い特技や技術、知識を持った素人(特に年少者はその希少性とインパクトがある故にテレビ側からすれば大いに利用し甲斐がある)を見せるだけの番組もやっている。自分からすれば、それは物珍しさで客引きをしている動物園の珍獣展示とやっていることが大して変わらない。芸能人がありきたりのことをするだけでは、簡単に視聴率(視聴数)が取れなくなったと暗に認めているようなものだろう。

それだけでなく、youtube や tiktok にアップされているネタや人を恥ずかしげもなく流して尺を埋めていたりするが、もともとテレビは自分の都合の良いように情報をコントロールできないネットを目の敵にしていたはずだ。だからこそ、凶悪犯罪者とネット規制やゲーム・漫画等の表現規制を強引に結びつけるという自分ハッピーセットを何度も垂れ流して(主にネットを使わない)視聴者に意識づけようと必死に工作していたではないか。それなのに、今はネット情報を乱用するというダブルスタンダードを平然とやっているのだから、訳が分からない。そういうことからして、自分はネタの枯渇を推察せずにはいられないわけである(個人的な偏見)。

さて、これからの時代はどうなっていくのだろうか?人々の情報の消費スピードが速くなりすぎたことと、他の情報に埋もれてしまうことを考えれば、コンテンツを作成すること自体大きなリスクだと言ってもいい。だから、良い意味でブレーキがかかるのを待つと言うか、コンテンツを少し出し惜しみしてみてはどうだろうかと思う。そうすれば、ネタをストックする期間が設けられるし、消費スピードも今よりも抑えられてゆったりとした状態になるはずだから。

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