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誰かに読んでもらいたいと思うこと

 こんばんわ。灰音ハルです。

 星々ワークショップ第1回が無事に終わりました。
 わー、ぱちぱち。レポしたいところですが、内緒ということで。
 でも、とても有意義な時間でした!!
 (参加者の皆様がそう思っていただければ、幸いです)

星々ワークショップについて

 星々ワークショップは、オンラインで実施している創作会です。
 (公式サイト:https://hoshi-boshi.jimdofree.com/)
 ご時世がご時世なので、オンラインになっております。運営メンバーについてはおいといて、僕は第1回のナビ(司会進行など)を務めさせていただきました。足りない部分もあったかと思いますが、参加者の方々の優しさで何とか時間通りに進行できたと思っています。
 改めて、参加者の方々ありがとうございました。また、お忙しい中ご参加いただいたゲストの方、運営メンバーの皆もありがとうございました。
 こういったワークショップがはじめての方もいらっしゃったと思いますが、皆様とても真摯にワークショップに向き合っていただき、本当に良い会になったのではないかと感じております。
 まぁ途中、僕がお腹痛くなってトイレに駆け込んだり、その間運営メンバーがフォローしてくれたり、当日の会直前に「もう訳わかんねぇーー」「スプレッドシート使おう!」でスプレッドシートを数人で弄ったらものの数分で美しい表が完成して「うっわ、すっごくない?!」って思ったりとか。いやスプレッドシート凄いっす。タイムスケジュール変わっても瞬時に修正する有能運営ばかりで大変ナビとしては助かりました。うひぃ。。
 前回は感想会という感じでして、今回は個々の創作発表会となっておりました。んで、個々の創作を読んでいただいて上位3位をつける、というやつだったのですが。僕は正直思いました。
「ほんっと、票ばらけるね?!」という。
 いかに自分が自分視点でしか作品を見てないかを思わされるというか、人によって評価ポイントが違ってそれが本当にすっごい勉強になりました。なるほど、ここを見る人もいるんだ……みたいな。ただ、これについては正解はないのだと思います。他人の意見に動かされず、自分の思う作品に投票した結果が、あの結果だったのでしょうか。そこまでは僕もエスパーではないのでわかりませんが、正直なところ本当に人によって評価ポイントが違って、そこが物凄く新鮮でした。(評価したところを話してくれるので)
 でも、冷静に考えると順列つけるのって難しくないですか? 全部好き! って言いたいところなのですが、それでも順列をつけなければいけないときって、やっぱり価値観であったり小説としての完成度だったりすると思うんですよ。そのことを、とても感じました。かしこ。

 と、いうわけで。もしかしたらナビの自己紹介を最初にしておけばよかったかも?! と思いつつ、僕について少しお話をさせてください。

一次小説を書き始めたとき

 僕は、大学時代に最早恩師となるほしお先生の講義に参加していました。そう考えると結構長いな、と思ったりするのですが、僕は元々二次畑の人間で、正直高校時代は小説を書くということについてそこまで深く考えていませんでした。
 これは僕の人生についてにもなるのですが、実は県をまたいだところにある大学に進学したいと思っていました。心理学科に進みたかったのです。僕の作品を読んだ方はわかると思いますが、何というか昔から人間について興味が有り余って仕方がなかったんじゃないですかね。というわけで、僕は県をまたいだところにある大学に進学したいと思ったのですが、親からNGがでました。まぁ娘だから? そういうこと??(一人暮らし反対された民)
 そのとき、僕は心理学科に行きたいなーーと思ってはいたのですが、その大学がNGとなったとき、じゃあ次に何に興味があるんだろう。。と考えていたところ、高校の同級生に小説を書いている子がおりまして、その子に大学を紹介してもらったわけです。小説の講義があるんだよー、と。というわけで、僕はその子に紹介された(というか、彼女も目指してたとこなんですが)大学へと入学したわけですね。ちなみに受験については、センター試験でもなく推薦でもなく、レポートと面接のみでした。受験対策しようとは思ったんですが、さっぱりわかりませんでしたね。そして、面接で当時ニュースになっていた苛めの話をされたときに「苛められた子の気持ちはわからないと仰っていましたが、私は苛められたことがあるのでわかります」とかのたまってぐだぐだ喋った記憶があります。ちなみにこのときの面接官(質問した人)が、僕のゼミの先生になるのも面白いですよね。このゼミの先生がクソ面白いんですが、現代で語るとNGワード連発になってしまうので割愛します。(面白くて良い先生でした)
 とはいえ、晴れて合格通知が届き大学に入学し、僕は小説講義を受けることになりました。いやー、でもね、あのね、何ていうかね。二次と一次ってマジで違うんだなと思いました。二次はキャラとか世界観を説明しなくても、読者は理解してくれるじゃないですか。でも、一次は本当にイチから説明しないといけない。マジでわけわからんかった。そして、僕が二次創作を書き始めたのもとてもクソな理由なので、その辺は割愛(書いたことあるかもだけど)。
 そして、僕の処女作は酷かった。一次作品の処女作は本当に今読んでも恥ずかしすぎて破りたいぐらいなのですが、Wordなので破れません。。もうこれも思い出だと思って、そのままにしてあります。
 とはいえ、表現は光る部分もあるのが面白いんですよね。今見ても、この表現は書けないなーというのも平気で書いてる。ただ、ストーリーはありません。しかもキャラもそんな濃くないですし、圧倒的に説明が不足しています。あーー本当に、この作品を当時読んでくれた同講義参加者に圧倒的感謝!!

書きたい、から読んでもらいたいに変化するまで

 僕は一次処女を大学講義で散らしたわけなので、最初から読者が存在していました。これは幸運なことだったと思います。また、大学の講義では人気投票がありました。つまり、本当に同世代の読者が存在していたということです。
 このありがたみについて、僕は今更ながら気づきました。当時は、ただ「面白い作品を書いてやるぜ!」という気持ちでしかなかった。いや、それこそ処女作もそうですが、最初は兎に角自分の世界を表現することでいっぱいいっぱいでした。自分の頭の中にある世界を、書きたい。どうやって書いて良いかわからない。だから、ストーリー性も何もありませんでした。面白いのが、僕の小説はぶっちゃけ登場人物の名前がA、B、Cでも成り立ちます。つまり、そのキャラである必要がある作品がほぼほぼありませんでした。だから、名前も超適当でした。
 そんな僕の転機は、先生に「現実じゃなくても良いんだよ」と言われたことでした。これは本当に、今思いだしても「あ、ここだな」と思います。今でこそ僕は人外モノだの異世界モノだのちょっと変わった変な話を書いていますが、当時は「異質なものを書きたい。でも現実じゃないといけない」と、変な縛りを抱えていました。現実に執着していたというか、荒唐無稽な話でも、最後は現実でなければいけないと思っていたわけです。そこで、先生に「魔法は魔法のままで良いのでは?」と言われて、ハッとしました。
 僕の話がおかしくなるのは、イカれた話なのに何とか普通にしようとしていたからだったんだな、と。今思えばですが。そこから、僕は短編でイカれた話をイカれたまま書くようになりました。これがまたうけまして(?)。あ、これで良いんだ、と思ったのを覚えています。
 勿論、その話の中での起承転結は大切です。でも、それに加えて僕はイカれた世界を現実に落とし込めようとしていたわけで、そりゃめちゃくちゃになるわな、という。
 短編が評価された僕は、そこから自分のイカれた話をいかにわかりやすくするかに注力しました。ここではじめて、ストーリーを考えるようになったわけです。起承転結であったり、伏線回収であったり。キャラクターの個性などを考えるようになりました。今も相変わらずちょっとイカれた話を書いているのですが、その世界をどう面白いと思って貰えるかに対して真面目に考えた頃だと思います。というのも、やっぱり「面白い」と言って貰えると嬉しいじゃないですか。「よくわかんないけど面白い」という言葉が凄く嬉しかったんです。それから、僕は少し変わりました。
 自分が書きたい世界はイカれている。でも、それが面白いってことを皆に知って欲しい。そう思い始めて、かなり文体も変わったと思います。理解して欲しいんじゃない。ただ、面白いと思って欲しい。だから僕はわかりやすい伏線回収系の話を書きがちなのかもしれませんね。自分が書きたいものと、自分が面白いと思うものは違うものなのだと理解しはじめています。
 自分が書きたい作品は、きっと面白くない。でも、誰かに刺さるだろう。とはいえ、発表する作品は自分が面白いと思うものにしたい。そういう気持ちで、日々書いております。

とはいえ一次小説公表してねぇじゃん

 という話になるのですが、僕には発表する場がたくさんありました。大学講義もそうですし、メールで文通してる(?)友人とも、一次小説を送り合う仲です。これが紙だったら何かのエピソードになるかもですが、僕達はネットでやりとりをしています。まぁこの友人とのエピソードを話すと長くなるので割愛。
 僕には、ほしのたねという発表する場がありました。だから、ネットで一次創作を発表する必要がなかったとしか言えません。僕の周囲全員クリエイティブみたいな感じで、逆に言えば「飲みに行こうよ(語ろうぜ)」みたいな感じなのはありますよね。だから僕は、ほぼほぼ二次しかインターネッツに公開しておりません。それ以外の作品(一次)はほしのたねもしくは爆弾低気圧にしか書いておらんのです。
 でも、これも幸せなことなのだろうなぁと思います。承認欲求は二次で満たして、イカれた話は一次で書いていますが、それでもやはりブックマークがつくと嬉しくなりますね。さて、僕はどこへ行くのでしょう。
 ちなみに僕は発表する作品に対しては面白くないと意味がないと思う謎のタイプなので、かなーーり悩んで書いています。noteにあげてる作品は、結構自分の思うがままに書いていますが、ほしのたねや爆弾低気圧に投稿するものはかなり推敲&推敲を重ねています。
 神経質か?! って感じですが、表現やそれこそひらがなとカタカナと漢字表記が統一されているかを何度も何度も読み直していますし、漢字を使う場面では毎回漢字の意味を検索して正しいものを選ぶようにしています。(ドクソ真面目なんですね~)
 ちなみに自分でもうっかりしがちなのが「何か」と「なんか」とか「できた」と「出来た」ですね。この辺りはうっかり変換で統一できてないことが多いので、何回も読み直しておりますん。

最後に

 えーーーー結局この話なんだったの?! って感じですが、僕が神経質だということが良くわかる話だと思います。更に、僕は批評を貰って嬉しいタイプというか、褒められても嬉しいし、ダメ出しされても嬉しいタイプなのです。
 小説って、発表したら修正できないじゃないですか。展開とか、題材とか。そう思っているので、紙媒体になるものは特に気を使っています。僕が面白いと思うものを、たくさんの人に面白いと思って欲しい。そのためなら、僕はいくらでも書き方を変えます。そういうタイプの人間なのです。だって、僕はこの作品が面白いと思って書いてるわけですから。この作品が面白くなるためなら、どんな意見も受け入れたい。そういう気持ちで小説を書いています。
 ただ、イカれた話を書くなと言われたら「好みの問題ですね!」とぶったぎります。そこは譲れませんねぇ。あくまで、努力で済むのなら努力します。というような人間なのです。

 あ、またオチがない。まぁ良いか。
 ちなみに小説を書き終わってディスプレイで見ると「超名作じゃん!」と思ったものの印刷すると「え、もっと削るとこあるじゃん」みたいな感覚はアレほんと何なんですかね。(エコとは遠ざかる)

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