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【小説】魂の少年カガミ

 なんか書きたくなったので。

 ある日、僕は火を見た。密やかで慎ましい火だった。その火が風に揺られると、たちまち一面が火の海になった。直ぐ目の前、僕の鼻先まで近づいた火は、だけども僕を燃やしはしなかった。ゆらゆらと揺らめく炎は、僕を中心にして、放射線状に広がっていく。それを、僕は宙から眺めていた。おかしいな、僕はあの炎の中心にいた筈なのに。ふと、僕の手に何かが触れる。それは、青く透き通った丸い粒。小さな粒が一粒、僕の右手の甲で揺れていた。背後で、ごうごうと音がする。振り返った僕の身体を避けたそれは、眼下の炎に向かって勢いよく降り注いだ。炎は暴れ叫び、大きくうねると、静かにその身体を地面に横たえた。ああ、これは雨か。雨が降っている。目を閉じて息を吸うと、僕は炎の残骸の前に立っていた。びしゃびしゃになった地面は、やはり僕の足を濡らさない。降り注ぐ雨も、僕の身体を濡らしはしない。ふと、右手の甲を見た。そこには、未だ青い粒が残っていた。左手を伸ばす。と、青い粒が瞬いて、一瞬だけ紫に煌めいた。少し遅れて、僕の指先が粒に触れる。掴める。それは、真っ青なびぃ玉だった。これは――。
 
 カァン!
 
 パチン、と水泡が割れるように目の前が真っ白になった。急に視界が開けて、思考が追いつかない。頭がぐわんぐわんと揺れている。鼓膜の奥で、何かがぶつかる音が反響している。甲高い、耳障りな音だ。
「……う、うう」
 耳を抑えながら、何度も瞬きをする。ぼやけた視界が、段々とクリアになっていく。まず、緑が目に入った。そして次に、緑。そして、緑。一面緑の、なんとも神秘的な場所だった。眩しい日差し、木漏れ日、鳥の鳴き声、一面の草花と、至るところに生えている、木、木、木の類。涼しげな空気が、肺に満ちていく。
「……どこ、ここは」
 口に出しても、答えてくれる人はいない。どうやら、ここにいるのは鳥と、獣と、植物が生き物だというのなら、数えきれないぐらい見える木と草花ぐらいだろう。喋る相手には困らなそうだ。と、自嘲して溜息を吐いた。兎に角、落ち着かなければ。
「そうだ、僕は」
 僕は、カガミ。自分の名前を心の中で反芻する。流石に、自分のことは覚えている。そう、僕の名前はカガミ。僕の家族は、
「……虚影。そう、虚影だ」
 僕の家族の名前は、虚影。僕よりも年上で、僕よりも背が高くて、僕よりも頭が良かった。虚影は僕の唯一の家族で、彼は随分前に僕を置いて、どこかへ行ってしまった。僕は、それがとても悲しくて、それで、それから。
「ああ、そうか」
 は、と気づいて僕は立ち上がる。僕は、虚影を探していたんだ。前に住んでいた家がどこだったか、とか、それまで僕はどうしていたか、とかは覚えていない。でも、僕は虚影を探している。そんな当たり前のことを思いだして、ほっと息を吐いた。そして、虚影の手がかりを思いだす。虚影の形を思いだす。顔を思いだす。声を、表情を、仕草を、僕に向けて放った言葉を。
「……」
 おぼろげなその姿は、触れる直前で消えてしまう。確かに、僕は虚影といた筈なのに。僕は、虚影を探している筈なのに。それなのに、虚影のことをすっかり忘れてしまっている自分に絶望した。違う、違うんだ。僕は、虚影を確かに探しているんだ……。
 僕の逸る気持ちとは真逆に、鳥は呑気に鳴いている。怖いぐらいに、穏やかな時間が流れている。まるで、焦っている僕が馬鹿みたいだ。そう思うと、急に身体が重くなった。そういえば、さっきみたあの光景は、何だったのだろう。どろどろと思考が溶けて、気づけば僕はその場にうずくまっていた。自分の足が見える。鳥が鳴いている。ああ、葉と葉が擦れる音がする。涼しい風が、僕のほてった頬を撫でていく。その穏やかさに身を任せるように、静かに目を閉じた。
「虚影……君は、今、どこに」いるんだろう。
 そう呟く。すると、暖かい暗闇の中、瞼の裏でチカリと何かが瞬いた。右手に、何かが触れている。ああ、そうだ。あの、青いびぃ玉を忘れていた。あの日、僕は、青いびぃ玉に触れていたんだ。瞼をあげると、そこは深い暗闇だった。知らず握っていた右手を見る。そして、ゆっくりと、右手を開いた。指の隙間から、眩しい光が漏れる。その光は、段々と強くなり、とうとう、全てを白で包み込んだ。
 眩しい光の中、何かが僕の手に触れる。それは、球体でもなく、青くもなく、昔に見たことがある――人の手だった。閉じかけていた瞼を開く。虚影。その名前が、頭の中を埋め尽くす。でも、白が反射した世界の中では、何も見えない。ただ、手だけが僕に触れていた。
「虚影!」
 思わず、僕は叫んだ。叫び開いた口に手をかけて、白い光が僕の中に飛び込む。その光は、僕の形だけでなく、僕の中を照らして。知らない何かの影を、僕に焼きつけた。瞬間、僕が反射する。身体の中から、何かわからないものが、溢れて、溢れて、僕の身体と足元を濡らす。それは、水だった。空から降る雨のように、僕から溢れ出る水は、白い空間を濡らしていく。そして、その水はただただ溢れ、溢れ続け、暫くして、僕の身体がすっかり乾いてしまった頃、人の形を造って僕を見下ろしていた。
「……」
 最早、喋ることすらままならない。いや、そもそも喋ることもなかった。その人は、僕を一瞥すると、静かに手を差し伸べた。その手に、僕は手を伸ばす。指先が触れる。それは、確かに人の手だった。と、思う間もなく耳の奥が酷く痛む。甲高い音が、迫ってくる。そう、あの音が――。
 
◎◎
 
 カァン!
 
 ハッ、として目を覚ますと、またあの緑一面の世界だった。でも、違ったことが一つある。僕の前に、人が立っていた。黒い髪の、いやにキッチリとした服を着た青年だ。
「虚影か?」
 と、彼は言った。僕はぽかんとして、慌てて首を振った。
「ち、違う。僕は、虚影じゃない」
「それなら、お前は誰だ?」
「ぼ、僕? 僕は、カガミ」
「カガミ……」
 そう言って、彼は唇に手を寄せて、少し悩むようなそぶりを見せた。僕は、慌てて口を開く。
「君、虚影を知ってるの?」
「なに?」
「僕、虚影を探してるんだ。君は、虚影を知っているんでしょう?」
「……知っては、いる」
 そう言って彼は、今度は困ったような顔をした。でも、そんなことはどうでも良い。虚影を知っている人がいる! そのことが嬉しくて、僕は続けて問いかける。
「虚影はどこにいるの?」
「……知らない」
「えっ」
「というより、俺が教えて欲しいくらいだ。お前は虚影じゃ……いや、お前は虚影の何なんだ?」
 虚影の何かと言われても、返答に困る。だけども、答えないわけにもいかない。僕は悩んで、わかっていることだけ答えることにした。
「僕は、その、虚影の家族、だったと思う」
「何でそんなに自信がなさそうなんだ。それにしても家族、か。なるほど、それならわからんでもない」
「何が?」
「いや、お前は虚影に良く似ている。とはいえ、それは俺の過去の記憶で、今どうなっているかは皆目見当もつかないが」
「ど、どういうこと?」
「虚影から聞いていないのか? まぁ、それもそうか。俺は、虚影によって肉体から魂を分離した物体なんだ」
「……」
 彼の言っていることがわからず、ぽかんと口を開ける。しかし、彼は真顔で続けた。
「……昔、俺と虚影が通っている学園で災害が起こった。そのときに、虚影は俺を助けるために、俺の魂と肉体を分離させた。ということだけは覚えている。それからのことは、あまり覚えていない。だから、俺はお前を虚影だと思っていた。これで良いか?」
「え、あ、うん」
 彼は、つかつかと僕に近寄ると、僕の右の握りこぶしを指さした。無意識の内に握りしめていたらしい。慌てて手を開くと、そこには青いびぃ玉――ではなく、透明なびぃ玉があった。彼は言う。
「恐らくだが、俺はこのびぃ玉に宿っていたのだろう。そして、虚影――ではなく、お前が触れたことによって、俺はまた魂だけの存在になったわけだ」
「……良くわからないけど」
「まぁ、お前が虚影の家族だということは認めよう。でなければ、俺がこうして俺になることもなかった。なるほど、難儀な身体だ」
「あの、貴方は虚影のことを知っているんだよね?」
 そう問うと、彼は溜息を吐いて肩を竦めてみせた。
「ああ、知っている。未だ、俺が人間だったときのことに限定すれば、だが」
 
◎◎
 
◎カガミ
 白髪青目の少年。虚影を探している。それ以外は、記憶がない。よくわからない夢を見る。
 
◎◎
 
 ギルバート・ギーネ。それが俺の名前だ。この世界に生まれる人間の中でも、特に優秀な魔道士がこぞって集まる国立魔道科学学園の二年生だ。単位を落としたことはない。むしろ、優秀と言われる類だろうと思う。しかし、俺は自身の頭の良さを驕ったことがなかった。それは、一重に――天才・虚影が、同学年にいたからに他ならない。
 虚影は誰から見ても天才だった。教師は生徒よりも優秀である、という当たり前を真っ向から打ち砕いた人間だった。彼は、いつだって当たり前のように特別で、何一つとして自身を疑っていなかった。彼とはじめて会ったのは、いつだっただろう。同じ学年だから、入学式か。いや、違う。俺が彼と出会ったのは、一年のおわりの頃だった。自分で言うのも恥ずかしいが、それまで俺は、自分こそが特別な人間だと思っていた。口に出したことはない。それでも、心の奥底では沸々としていたのだ。自分よりも馬鹿な人間が評価され賞賛されることに、よっぽど。
 生来、真面目な性質だった。それでいて、目立つことは嫌いだった。努力すれば、誰かが見てくれていると思っていた。でも、この学園に入学してからは、その一種の尊さが、全くの嘘であることを知った。不正が罷り通っている。正しさは人を救わない。それに、誰もが自身の正しさを突き通しているわけではない。曖昧に、柔らかに、人は傷つきながら自分の形を変えていくのだ。それを知って、俺はますます勉学に励むようになった。
 特に、水の魔道科学に没頭した。教授が、年老いた老人だったのも良かった。余計なことを言わず、研究室に閉じこもって、本と器具に向き合う俺を容認してくれていた。そんな日々を繰り返す内に、ふと気づいた。そうだ、俺は生来、人と話すのが得意ではないんだ。水は良い。静かなようで、激しくもあり、色々なものに形を変えてくれる。自由であり、縛られていて、それでも、人が生きていくために必要なもの。そう、必要とされている。誰かと話すのは好きじゃない。でも、必要とされていたい。そんな俺の心が、満たされていくのを知った。
 研究室に閉じこもって数ヵ月。とうとう、教授以外に話しかけてくる人もいなくなった。でも、それで良かった。そんな日々に、俺は喜びを感じていたんだ。そんなとき、俺は虚影と出会った。水と風の親和性についての論文を手に、教授に話そうと思って廊下を足早に歩いていたときだった。
「水の研究をしてるんだって?」
 と、虚影に声をかけられた。そうして、俺は何と言ったんだろうか。それからは、あまり覚えていない。ただ、それからの俺は、いつも虚影と一緒にいたように思う。虚影の言うことは、ひたすらに正しかった。ただただ、正しかった。正しさが人を救うのは特別なときで、いつだって正しさは人を救わない。俺はそう思っていたけれど、虚影の言うことは、不思議と誰しもを救った。虚影は、特別を当たり前にすることが得意で、そういう人間を――天才と呼ぶのだ、と。俺は、その頃にはすっかりわかってしまっていた。でも、俺は虚影の言うことに納得していたことは、ほとんどなかった。今更だが。
 あれは、いつだっただろう。朧気なのだ、記憶が。国立魔道科学学園は、この世界の特に優秀な魔道士が集う。そういう場所だ。だから、この世界のどこよりも安全だと言われていた。そう、言われていた。
 だが、災害は起きた。
 どうしてそうなったのかは覚えていない。ただ、いきなり研究室の天井が割れた。警報が鳴っていたことは覚えている。でも、今更なことだった。俺は、瓦礫と砂埃が舞う中で、教授を探した。教授は、棚に潰されて死んでいた。だけど、そのときの俺は冷静な思考ではなかった。教授を助けたいと思った。だから、教授の身体を、棚から逃がそうとした。元々非力な自覚はある。だから、水の魔法を使った。その所為で、割れた硝子が自身の身体を容赦なく傷つけることになった。でも、不思議と痛みは感じなかった。頭がおかしくなっていたんだと思う。
 俺は、棚から教授を救いだして、その教授の身体を抱いて、そして、ようやく現実を知った。教授の唇から溢れる水と、胡乱だ瞳が、教授の死を示していた。そのときの絶望は、思いだしたくもない。俺は、もう死んでも良いと思った。今思えば、不思議だ。俺は、そんなにあの教授を好いていたのだろうか。でも、何故か。教授は死んだのだ、と理解したとき、俺は自身が生きている理由がわからなくなった。生きたいと思えなかった。そうすると、自然と節々に刺さった硝子の破片が今更、痛みを叫ぶんだ。心は何もないのに、身体は酷く痛い。そういうとき、人は死にたいと思うのかもしれない。
 だから、何も気づいていなかった。崩れた天井の瓦礫の残骸が、今にも落ちようとしていたことに。いや、別に良かった。今思えば、そのまま死んでしまえば良かったんだ。だけど、あのときは――天才・虚影がいた。
「ギルバート!!」
 叫び声がして、顔をあげる。すると、直ぐ目の前に瓦礫が迫っていた。ああ、死ぬんだ。そう思った。実際に、そのまま瓦礫は迫って、迫って、俺が目を瞑ると同時に、身体に重く鈍い痛みが走った。
 
 薄暗かった。そして、いやに静かだった。誰かのすすり泣く声がする。俺はゆっくりと瞼を上げる。すると、虚影と目が合った。ぼやけた視界の中で、虚影が俺を見ている。ああ、俺は死んでいないのか。そう思った。
「ギルバート」
 と、虚影が俺を呼ぶ。
「ああ」
 答えると、虚影はぐしゃぐしゃの顔を更に歪めた。虚影が泣いているところをはじめて見た、と思った。
「ギルバート、君は死にかけたんだ」
「死んでないのか?」
「ああ、死んではいない。その、私が」
 そう言って、虚影はまた一粒涙を落とした。
「すまない、申し訳ないことをした。君の気持ちを無視して、私は、君に生きて欲しいばかりに、君の魂と肉体を分離してしまったんだ」
「それは、どういう?」やけに、俺は冷静だった。
「言葉通りさ。君は、私から見ても、もう助からなかった。だから、君の魂が肉体の傷みにショックを受けて死んでしまう前に、君の魂と肉体を分離したんだ。だから、君はこうして魂だけ生きている」
「その口ぶりだと、俺の肉体は死んだんだろうね?」
「……確認はしていない。でも、どちらにせよ同じことだ。君の肉体が生きていても、もう君の魂は分離してしまっている」
「戻ることは?」
「それは、わからない。それに、今この状況で君の身体を探すことは難しい。何せ、何人死んだかわからないんだ。わかってくれるだろう? 私は、私なりに君を生かそうとしたんだ。ただ、夢中で」
 ぽろぽろと泣きながら、虚影は言う。
「許してくれ、ギルバート。自分でも驚いている。君は、私にとって……思った以上に、大切な友人だったんだ。申し訳ないと思いながら、こうして話せることが嬉しいと思ってしまっている」
 そう言われて、非難できる人間がどれだけいるだろうか。そのときの俺は、自分がどうなったかは正しく理解できていなかった。でも、この状況でこれ以上、虚影を糾弾することはできなかった。そう、何故なら、俺は未だ生きていたからだ。虚影が俺を生かしてくれた。傍から見たら、俺は教授と同じように死んでいるのだろう。でも、実際は生きている。
 それからのことは、あまり良く覚えていない。気づけば、俺は水を漂っていた。ゆったりとした温度の中、漂っている。甲高い、カァン、という音がして、何かが俺に触れた。そして、気づいた。丸い球体の中に、俺はいる。ここはどこだ。そう思うと同時に、目の前が真っ白になった。真っ白になって、揺れて、揺れて、全身が生温い何かに覆われる。まるで、生まれる前の胎児のようではないか。ぴ、ぴぃ、と水が溢れる音がする。身体がひんやりと冷えていく。身体を濡らしていた水が、少しずつ減っていく。球体から、少しずつ、少しずつ。そして、白い光が落ち着いた頃、俺は目を開いた。

◎◎

◎ギルバート・ギーネ
 元・国立魔道科学学年の二年生。黒髪の真面目な青年。虚影の友人だったらしい。魂と肉体が分離した存在で、今は魂だけで生きている。びぃ玉に取り付いていた。

◎◎

やる気があれば続く。

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