きょ年の服では、恋もできない。
昨日、Twitterでこんなつぶやきをした。
したついでにちょっとした昔ばなしをおもいだして連投ツイートした。でもツイートでは表現しきれない枝葉があったので、ここに書きます。
忌み言葉、という存在を知ったのは、小学校高学年。もちろんそのような単語で理解していたわけはなく。なんとなく、そんなかんじ、という捉え方でありました。
ぼくの実家は名古屋の南区にある小さな街のショッピングセンター内に手芸店を出していました。まだ東急ハンズなるものが出現する前の時代。手編みセーターを贈るブームもあり、店はそれなりに賑わっていました。
とはいえふだんはそんなに忙しくないわけで。学校から帰るとぼくはそのままお店に顔を出し、隣のレコード屋のお兄さんや電気屋のおじさんたちと遊んでもらいつつ店番のようなことをやっていました。
ある日、父親がトイレに行くので店を見ておけ、とぼくに命じます。もちろんお店でトイレという単語はご法度。「倉庫」という符牒でやりとりします。ぼくはそういったときに、ちょっとオトナになったような、なんともいえないうれしくすぐったい気持ちになるのでした。
とはいえお客さんが来たらレジをやらないといけなかったり、布も扱っていたので「このサテンを50センチ」とか「こっちのコットンを150で」みたいに注文されたら、いかに子どもだとしても対応しなければなりません。若干緊張しつつ店頭に立ちます。
すると電話が。電話ならもっと小さい頃から受けていたのでお手のものです。
「はいスミボタン店です」
「あ、大野産業ですけど」
お店の名前はスミボタン店。
大野産業とは問屋さんです。
「すみません、いまマスターちょっと外してて」こういうときにお父さんと言わないところが、これまたオトナな気分です。
「あ、なんだあ~ぼっちゃんか~!声がマスターそっくりだねえ!わたし、おとうさんかとおもったでかんわ〜」大野産業はいつも同じことを大きな声で言います。
「何かマスターに言伝ありますか」
「じゃあ戻られたら電話ください」
「わかりました。では」ガチャン
ぼくは(大野産業はいつまでぼくを子供扱いするんだろう…)とややふてくされた気分で電話機の脇にあるメモ帳に書きました。
「大野産業から電話。戻ったら電話下さいとのこと」
よし、任務完了。鼻息を荒くして父親の帰りを待ちます。電話をきちんと受けてその内容をしっかりメモした。ぼく的には「とのこと」がオトナだなあ、なんて。早く戻ってこないかなあ。
しかし、ほどなくしてトイレから戻ってきた父親は、ぼくの書いたメモを一瞥して
このばかやろう!!
と怒鳴るではありませんか。てっきり褒められるぐらいに思っていたぼくはびっくりしてその場で固まってしまいます。
いつになく強い口調でこのようなことを名古屋弁でまくしたてます。さらに
ぼくは黙ってうなづきます。
(そうか…下ってのはよくないんか…)
あまり深くは考えずに、でもしっかりと心に刻みました。
それから何年か経ち、人様の結婚式などに呼ばれるぐらいまで成長したぼくは、持ち前のひょうきんさからスピーチや司会などを頼まれることが増えてきました。
そんなときに、ある式場から渡されたハンドブックに「忌み言葉」という単語を見つけます。
(なるほど忌み言葉ってのがあるのか。これって商売人にとっての「下さい」とかも入るのかな。なんか懐かしいな…)
そんな感傷に浸るとともに、それっていまの俺の仕事、コピーライティングにも当てはまるんじゃないか、と気が付きました。そうだよ、そもそも広告文案は商いの文章だ。だったら、下さいではなく、くださいじゃないとダメだな。
こうして、ぼくの中ではじめて個人的な表記ルールが出来上がったのです。
■ ■ ■
幸い、この超個人的表記ルールはどこの会社のどんな仕事にもすんなりと受け入れられました。求人広告から不動産広告、自動車、旅行、携帯電話までかなり幅広いジャンルでああでもない、こうでもない、とコピーや雑文を書き散らしてきましたが、自分のファーストテイクでは必ず「ください」で通してきました。
ときおり先方が修正を入れてくれて、その中身が「下さい」だったときは注釈を添えて「ください」と書き直すことも。でもそれも概ね理解いただけたり、あるいは「そんなに細かいところまでこだわってるの、さすがだね」とちょっとなんかどうなんだろうという感じのお褒めの言葉をいただいたりしてました。
ただ、ある時、渋谷の急成長ネットベンチャーでの求人広告の仕事で、なぜか広報の方が頑なに「下さい」に統一するよう指示してきました。
ぼくは一応、ビジネスをやられているわけですからこういう表記に気をつかうほうが御社にとってもプラスではないかと思うのですが、というような主旨の説明をやんわりとするのですが、却下。とりつくしまもありません。
もちろん広告文案はクライアントのものなので、そこまで言われたら「下さい」にします。でもいまだになぜあんなに先方がこだわったのか、わからないんですよねえ。
そして、わからないといえば、このコピー。
きょ年の服では、恋もできない。
偉大なる“お洒落”コピーライター、眞木準さんの、三陽商会のコピーです。ブランドはバーバリーだったかな。このシリーズの眞木さんのコピーはいつもいつもめっぽうお洒落で、どうしたらこんなコピーが書けるの?って。
とにかく傑作だらけで、駆け出しの頃からコピー年鑑を眺めては同僚と「今年も眞木準、カッ飛ばしてるね~」なんて勝手に評論しあったものでした。楽しかったな。
ぼくの師匠である竹内基臣さんが「俺の実家の裏山を超えたところの出身だよ、眞木準は。あいつは田舎もんだ」と、ほぼ同じ土地の出にも関わらず自慢気に教えてくれたことも記憶に残っています。そうです、ぼくと竹内さんと眞木準さんは同郷なのです。
そんなこともあって、眞木準ウオッチャーとしての生活を続けていた(?)のですが、どうしてもわからなかったのがこのコピー。
きょ年の服では、恋もできない。
いやコピーの意味はわかる。問題は「きょ年」。なぜ去をひらくのか。仲間内でもいろんな意見が出ました。
デザイン上の問題ではないか。文字数の規定があったのでは。クライアントがこだわった。インパクトを字面で出したかった。
しかし、どうも「これだ!」という理由にたどり着けず。ずーっと頭の中でもやもやしていたんです。そうして25年ほどの月日が経ち、残念なことに眞木準さんは虹の橋を渡ってしまいます。ぼくは真相を確かめる術を失ってしまいました。
でも、頭の片隅にはずっとあったのです。なぜ「きょ年」なんだろう。
それが昨日(2022年1月18日)の朝、通勤電車に乗っているときにふと、降りてきた。あれってもしかしたら、いわゆる「ください」と同じく忌み言葉認定をされたのではないか?
眞木さんからか、三陽商会からか、はたまた第三の存在の力が働いたのかはわかりません。でも、ぼくは「そうだ、そうだよ。去年の去には去る、という意味がある。それは、商売人には、あんまり気持ちのよくない意味だ」とひとり納得を深めていったのでした。
この謎解きの正解は、わかりません。
でも、言葉を仕事に使う人も、そうでない人も、何気ない文字の表記で気になることをみつけたら、空想の世界で自由自在に泳がせてみてはいかがでしょうか。これ、やってみると意外と楽しいですよ。
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