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【広告本読書録:058】「アタマのやわらかさ」の原理。

松永光弘 著 インプレス 刊

こうみえて結構な量の広告本を読んできたのですが、ここ最近、広告本の世界でやたら目につく名前があります。

松永光弘

ぼくは最初、この名前を見た時に「ミスター・デンジャー」のことしか頭に浮かびませんでした。だってそうだもん、松永光弘といえば愛知県知多郡武豊町が誇るデスマッチスタイルのプロレスラーをおいて他にないですもん。

しかも引退後はレストラン(ステーキハウス・ミスターデンジャー)の経営で才覚をあらわし、あの田上(全日な)が弟子入りするほどの第一人者となったわけだから、本の一冊や二冊、ちょろいもんだろうとおもっていた。

しかし、驚くべきことに、まったくの別人でありました。

この項目では、元プロレスラーの松永光弘について説明しています。編集者の松永光弘については「松永光弘 (編集者)」をご覧ください。
※wikipediaより引用

ガガーン!同姓同名。ミスター・ポーゴや大仁田とは一切関係なかった。調べてみると大阪のひとだった。京大経済学部を中退しているようなインテリだった。いや松永のことをインテリじゃないといってるわけじゃない。ミスターデンジャーもそこそこインテリだ。が、言うても中京大学だ。こっちの松永はなんとあの京都大学だぞ。いやかたや卒業こなた中退だぞ。むむむ。

とにかく、ぼくの良く知っている松永光弘ではないほうの松永光弘さんが書いた『「アタマのやわらかさ」の原理。』が今回取り上げる本。副題に『クリエイティブな人たちは実は編集している』とあります。

著者の松永さんはプロレスラーでもステーキ屋の経営者でもなく、編集者として名高い存在。しかも広告クリエイティブに関する書籍の企画編集に長く携わってきた方です。ぼくが手にする広告本でしょっちゅう名前をお見かけするのも当然で、Wikipediaで紹介されている「編集した書籍」全28冊中、なんと12冊ものタイトルが部屋の本棚に収まっておりました。

つまりそれだけ松永さんは当代きってのクリエイターたちと話をし、意見をぶつけあい、彼らの考え方の深淵なるところを覗いてきたわけで。当たり前ですが編集者ながらクリエイターとほぼ同じ感覚をお持ちであります。

逆をいえば編集の視点からクリエイションの謎を解くこともできるわけで。ぼくがこの本に期待したのも、そこらへんなのであります。いわば『広告本の参考書』さっそくなかみを見ていきましょう!

アタマのなかで絶えず「編集」を

さっそくですが「はじめに」に重要なことが書いてあるので引用します。

クリエイターたちは、すぐれた企画やアイデアを評価するときに、よく「見つけているね」といいます。(中略)さらに、彼らの言動や仕事の進め方をつぶさに見つめていくなかでわかってきたのが、「見つける」ために、アタマのなかでたえず「編集」が起こっているということ。編集的に物事をとらえ、編集的に解釈するからこそ、彼らはものの価値や意味を「ふつうではないもの」に変えることができるのです。

この本の要諦でもある「編集」というキーワードがはやくも明示的にでてきました。そうです、この本は副題にもあるように、クリエイティブに必要なのは「編集」である。しかもその「編集」とはいわゆる一般的に定義されている「編集」ではなく、本来の意味での「編集」なのだ。ということをいちばんに訴えたい、はず、なんです。きっと。あれ?自信ないのかオレ。

そして、ここまで書いてハタ、とおもったのが、もしかするとこの本は、世の中に跋扈するあいまいな定義の言葉たちを、しっかりと定義しなおし、ただしい言葉とただしい意味で物事を考えることの重要性を説いているのかもしれない。そうだ、たぶんそうなんだ。きっと。あれ?やっぱ自信ない?

そもそもアタマがやわらかいとは?

松永さんは言います。ぼくらが創造的な発想と呼んでいるもののベースには、往々にして「アタマのやわらかさ」がある、と。「アタマをやわらかくつかったことによる新しい価値の発見」がある、と。

ふむ。では「アタマがやわらかい」とはどういうことなのか。答えに至るプロセスは本編を読んでいただくとして、結論だけいいます。

(前略)まず現状の認識があるんですね。でも、そこで価値を決めつけたりしないで、別の可能性をさぐっている。そうやって「価値を固定させずに、新しい可能性をさぐる」ことで、「新しい価値」(ここでいう「新しい」は、まだそれほど一般的になっていない、というくらいの意味です)を見つけているんです。

これが「アタマがやわらかい人」の「アタマの中」で行われていることなんだそうです。

価値を固定させないで、新しい可能性をさぐる。

そしてこれが顕著に行なわれているのが、広告クリエイティブの世界だといいます。広告クリエイティブの世界でよく出てくるキーワードに「視点」がありますよね。人によっては「アングル」という場合もある。

あの「視点」、つまりモノの見方を変える事によって、モノ自体を変えることなく、新しい価値を見つけることこそが広告クリエイティブの要諦であると。

ぼくはこの章を読んだ時「ああ、若いころにまったくできていなかったことってこれだな」とおもいました。駆け出しコピーライターのとき、先輩やボスからいっつも言われてたんですよね、視点を増やせとか、視点をずらして考えろと。

でもぜんぜんわからなかった。考えても考えてもわからなかった。でもいまならぼんやりですが、わかります。松永さんの答えを待つまでもなく、別の要素との組合わせの中で関連性を意識しつつ、価値を見つけることなんですよね。

これは完全にぼくのイメージなんですが、一つのテーマについて深く深く考えるのではなく、そのテーマのそばにある全然違うものをとっかえひっかえしていきながら、うまくハマるというか化学反応がおきる、もっといえばこれまでのふつうとちょっとちがって新しい感じがすることが登場するのを待つかんじなんです。わかるかな??

やっていることはまさに「編集」そのもの

松永さんいわく、広告のクリエイターが頭の中でやっている上記のような組み合わせは、「編集」という行為だそうです。松永さんが世の中にはびこる「編集」と「編集者の仕事」が混同されている、と嘆きます。

ついせんだって、某求人広告メディアでコピーライターをやっているはじめちゃんという友達とZoomで飲んでいたときのこと。ほかに何人かいたのですが話題はクリエイティブのことになります。

そのときにぼくが求人広告のクリエイティブワークに足りないのは編集だ、という持論を展開したんですね偉そうに。だって取材をして得た仕事や会社の情報をそのまま提示して人が集まるんならそれに越したことはないけれど、ほとんどの場合、人が集まらないから求人広告を出すわけでしょう。だったらそこには既存の情報をターゲット人材に価値ある情報へと「編集」しなきゃいけないよね、という話です。

そして、編集するにはなによりも「知識」が必要だと。なにも知らない人は情報と情報を組み合わせようにも、元ネタというかタネというか、素材がないわけです。ま、そういうようなことをこの松永さんの本を読んだばかりということもあって、ペラペラ話しました。

するとはじめちゃんは大きくうなづいてくれて「いやハヤカワさんほんとまったくそのとおりで、編集というとみんな勘違いというか、クリエイティブよりも下位の行為だとおもわれるんですよ」と吐露してくれたんです。

ぼくはそのとき、これのことか松永さんが言ってるの、とおもいました。やはり世の中では「編集」と「編集者の仕事」もっといえば「作業」が混在して捉えられるケースが多いようです。

松永さんは編集とはどんなものなのか、次のように定義しています。

編集とは、組み合わせによって価値やメッセージを引き出すこと

このことをハロウィンの渋谷の画像とキャプションの組み合わせでわかりやすく説明してくれています。詳しくはぜひ本書をお確かめください。立ち読みでもいいので。

アタマのやわらかいひとのアタマの中では

そうして松永さんは一旦の答えをだします。

なにかについて考えるときに、それだけを見つめるのではなく、別のモノや人、情報との組み合わせのなかで価値を引き出し、新しい価値をさがしていく、ということです。要するにもののとらえ方を変えられない人は、モノだけ、価値だけを見てしまっているんです。価値が発現してきたもの、とは思っていない。でも「価値が組み合わせから引き出されている」と理解して、その組み合わせ自体を変えようとすれば、とらえ方は変えられます。「新しい価値」を見つけられる。それが「アタマをやわらかくつかう」ということなんです。

そして、アタマのやわらかいひとのアタマの中では

1.組み合わせをつくる
2.引き出される価値を読みとる
3.価値を判断する

という3つの作業がおこなわれている、といいます。まず、考える対象に対して、別のモノや人、情報を組み合わせる。次に共通項を手がかりにして、引き出される価値を読み取る。そしてその価値が求めているものかどうかを判断する。

たとえばコーヒーでいえば「眠気」と組み合わせて「めざまし」、「子ども」と組み合わせて「大人の階段」といったようにさまざまなものと組み合わせて価値を引き出していき、「友だちとの時間」との組み合わせから「気持ちの距離を近づけるもの」という価値を見つけて、それを選ぶという。

この行為をアタマの中で繰り返し、常におこなっているのがアタマのやわらかいひと≒広告クリエイターである、と松永さんは結論づけています。

創造性の誤解にも言及

まあ、それでおしまいっちゃあおしまいなんですが、松永さんはここで筆をとめることなく、アタマのやわらかさを定義することによってわかる創造性の5つの誤解も解説しています。

これも編集同様、巷でよくいわれる創造性に対する誤解をといていくもの。たとえば「子どもの発想を取り戻そう」とか「新しい価値を生み出そう」あるいは「常識を疑え」といった言葉がもつ間違いを看破していきます。

ぼくはそのなかで特に「調べればわかる」の誤解におおいに共感しました。テーマに対して組み合わせをもってこようにも、そもそも知識としてもっていなければ思いつくこともできない。つまり理解していない情報はうまくつかえないんですね。

だから組み合わせの相手を見繕うデータベースはすべて自分のなかにあるものから。ある程度自分で理解している情報、つまりは知識になっているものこそが創造性の助けになるのであり「後で調べる」ことは使えないことなんですね。

これを広めに解釈すると「知識」を増やすことはアタマをやわらかくするために必要不可欠である、ということ。自分のデータベースがからっぽなころのぼくがまったくクリエイティブな仕事ができなかった理由はまさしくここにあったんです。

■ ■ ■

ぼくの感想文はここまでですが、本書にはあとひとつ『アタマのやわらかさで自分を変える』という章があります。松永さんは最終的に「アタマのやわらかさが文化を豊かにする」というところまで論を展開しています。そこまでいかないまでも、この本はアイデアの作り方に悩んでいる人にはぴったりな一冊だと思います。

実際にぼくも、この本を手にしてから企画を考える時間が以前よりも楽しくなりました。とくにいろいろな組み合わせを試していくとき、自分でも予想しなかったことに出会えたりして。

個人的にはこの本と、山本高史さんの『案本』をあわせ読みすればかなりの創造力・発想力・企画力がつくのではないか、と思います。

この『案本』も、松永さんの手掛けた一冊なのでした。

コピーライターはもちろん、広告制作者、それ以外にも「なにかを考えないと部長に怒られる」ような仕事をされている方にはぜひおすすめです!

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