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事実は求人広告より奇なり

以前も書いたとおもうのですが、居酒屋をクビになってからなかなか就職先が見つからないぼくがひょんなことから見つけたのが、Web求人広告メディアの会社。設立したばかりのベンチャーで、チーフコピーライターの募集をしていました。2000年のことです。

ぼくが最初にその会社の求人広告を見たときにおもったのは以下の2点。

①この会社…オレを呼んでいる!
②ははーん、ここならラクにカモれそう!

①に関しては応募資格の作り方が秀逸だったんですね。まあ、これも以前書いたので割愛しますが、学歴(大卒以上)と年齢(30歳まで)以外はすべて自分のことを言い当てられているようでシビれたものです。

そして②なんですが、まずキャッチコピーが「代表は、コピーライター出身。」だった。これは求人広告経験者なら「ウソ?マジ?」となること請け合い。なぜなら世の中のほとんどのリクルート系求人広告代理店の社長はもれなく営業出身、しかもド営業だからです。

だからいつまで経っても営業>制作というヒエラルキーから解放されない。なのにこの会社ときたら、代表がコピーライター?これは入社してからイバれるんじゃないか。営業にしいたげられることはないんじゃないか。そんなよこしまな妄想をふくらませていました。

そしてチーフコピーライターと同時に普通のコピーライターも募集していたんです。その求人広告には「未経験歓迎!一人前のコピーライターになるためには残業や休日出勤も厭わない意欲の持ち主」といまならまず審査通らない応募資格が書かれていました。

なるほど、つまり俺がこの会社にチーフコピーライターで入社したら、未経験のコピーライターをビシバシしごいて残業させまくり、自分は定時の18時にサヨナラ~!と新宿の夜に消えるナイスなライフスタイルを送れるんだ、とこれまた妄想したんですね。

そこからの行動は早かった。すぐ応募。すぐ返信が来た。すぐ面接設定した。そして面接当日、ドキドキしながら西新宿の超高層ビル22階へ。受付で内線をかけると求人広告に載っていたすごいかわいい女性が応対してくれる。これは…絶対に受かりたい。

しばらくして出てきたメガネの男性。どうやらこの人が代表、つまりコピーライターらしい。履歴書を見ながら「ふんふん、ああ、●●企画だったんですか、よう知ってますよ。その後は?プロダクション?どんな感じでした」と気さくに話が進みます。

ぼくはそこで六本木のアウシュビッツとの異名をとったプロダクションでの徹夜無限地獄の話などを繰り広げます。だいたい同じぐらいの年代なのか、代表とは話がとにかく合いました。爆笑の連続。これは、もらった…そんなふうにおもいました。

1時間半ほどの面接を終え、では選考の結果は追って連絡します、と別れました。代表はあろうことかビルの1階出口までお見送りしてくれたのです。こりゃ絶対に採用だな、とたかをくくっていました。

そうしたら2日後、また面接に来てくれとメールが。よし、最終面接だ、とおもい、前回以上に気合を入れ西新宿へ。するとこんどは愛想のない女性が案内してくれます。こんなタイプもいるのか…と思いつつ面談ブースへ。しかし待てど暮らせど面接がはじまりません。ようやく代表があらわれたのは30分以上経ってからでした。

その面接ではなぜかネガティブな話が多かったんですね。曰く、ベンチャーで明日どうなるかもわからない。ハヤカワさんはご家族がいらっしゃるのでこんな不安定な会社にお誘いしていいものか迷う。他に候補となる会社があるならそちらへ行っていただいたほうが、云々。

いえいえ、ぼくはこの会社がいいとおもっています。不安定でもいいので、などと繰り返しますがどうにも渋い表情。あげく、この会社には実質的なオーナーがいて、面談を進めていく中でいずれオーナーに会ってもらう。オーナーがOK出さない限り採用はされない。しかしオーナーはいまシリコンバレーに行っている、などというじゃありませんか。

さすがのぼくも、おや、ちょっと風向きがあやしいぞ?と感じるようになりました。しかし意思は固いです、と再度念押しして面接が終了。ちょっと不審な感じで帰宅すると、次回面接の案内が来ている。んん-?と思いつつ、三度目の面接に臨みます。

今度は筆記試験だけです。拍子抜けしたぼくは思わず案内してくれた女性に「あの、この面接は何回ぐらい続くんでしょうか?」と聞いてしまいました。すると彼女は「さあ、それはわたしにはわかりかねます」と当たり前の反応。ぼくは礼を言って会社をあとにします。

このような面談がその後も3回ほど続き、代表は毎回「他の候補があれば…」を繰り返します。ぼくも粘り強く「いや御社が第一志望なので」で応戦します。そんなある日、面談から帰ると「希望年収を教えてください」のメールが。

もともと居酒屋店長やってたときは30歳で520万円ほどもらっていました。そのまま同業同職種へ転職するなら年収アップを交渉しますが、こちとら5年のブランクです。しかも向こうは設立間もないベンチャー。ぼくは奥さんの助けも借りて、ギリギリ生活できるレベルの金額を計算し、提示しました。前職より100万円ほどダウンとなりますが仕方がない。これで駄目なら国に帰ろう、ぐらいの覚悟です。

すると速攻で「ありがとうございます!こちらの想定額とぴったり合います」とのレスが。ホッとして奥さんと握手しました。そこからはあれよあれよと選考が進み、実際に打ち合わせをし、原稿を作るテスト(アルバイトとして原稿料をいただきました)まで行なった挙げ句、無事採用となったのでした。面接回数実に9回。1ヶ月半にわたる選考でした。

結局、選考中にはオーナーに会うことはありませんでした。シリコンバレーに行っている、という話を聞いた奥さんが本屋さんでシリコンバレーの本を買ってきてくれたのもいまとなってはいい思い出です。

そして、念願の、コピーライター出身の代表のもとでイバって仕事して定時に帰る、虹色ライフスタイルがはじまったのです!

…といいたいところですが、結果として部下よりも遅くまで残業する日々。当たり前ですよね、部下って未経験だもん。ほとんどの仕事がぼくに集中するわけですよ。しかも部下のコピーチェックもしなくちゃいけない。最終的にぼくが代わりに書くことも多々あり、普通に泊まりになることも。

しかも、それだけならばまだいいのですが、あろうことか一ヶ月後、実質オーナーだったド営業上がりの「会長」が社長となり、元コピーライターの社長は取締役事業本部長へと降格。もちろんそれは、その後の上場へ向けての既定路線だったのですが…そんなこともつゆしらず、全然妄想していた世界と異なる風景に地団駄踏んだものです。

ちなみに、オーナー=会長が行っていたシリコンバレーって、大阪のことでした。この会社、もともと出自が大阪のリクルート専属代理店。そこからスピンアウトして設立されたベンチャーだったのです。なんのことはない、会長は親会社にいて出張スケジュールがあわなかっただけなのね。

いやあ、事実は求人広告より奇なり、です。JAROに訴えるレベルですよ。訴えないけど。ま、なんだかんだ13年も籍を置くことになったわけですし、いまとなってはすべて笑い話なんですけどね。

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