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天、川、歌(9)

 第9話 護摩焚き

 そんなことを妄想していて気がつけば、人が集まって、座布団は人で埋められていた。中には同宿の3人の顔もあった。シンセサイザーや、パーカッションのような打楽器やギターを演奏する楽団がいて、南方系ミュージックが演奏されている。特に説明はないが、神事は始まっているようだった。宮司が中央の煙に香を焚べる。さらに煙が湧き立ち、安らぐ香りが一帯に広がった。護摩木を焼べ、炎が立った。宮司はもとの位置に座って、手に細長い竹竿のようなものを持っている。そしてそれを自在に操った。カン!という鋭い音が響き渡る。地に置いた平たい石をその竹竿で打った音である。ヒュッという風を切る音が聞こえる。宮司が操る竹竿が宙に弧を描いて炎の方をキュッと指すと、炎が勢いを増し、指した方向へ躍動した。そして跳ね返る。くねくねとうねらせる。まるで生き物のように跳躍する。呼応するようにリズミカルに打楽器が大きくなったり、小さくなったり身体の芯に響いてくる。宮司は炎のその先を見据えたまま、そのまま在り続けた。カン!とまた鋭い音が響き渡った。
 寿里亜は、その光景を、炎の揺らめきをぎゅっと手を握りしめて見ていたのである。感情は覚えなかったのだが、訳もなく両の目から涙がはらはらとこぼれ落ちた。それを拭うこともなく、焼き付けるようにして目を開いていた。護摩木が、前列に座っていた男性に手渡された。立って、護摩木を焚べる。この場にいる代表のようなその人は、背が高く、年の頃60歳くらいか。存在感が在り、目に見えない気を纏っているような人である。護摩木は、ほかの参列者にも1本ずつ配られた。順々に炎に焼べていき、寿里亜の番となり、母のために何か念じようと探して、「おかあさん、ありがとう。」やっとそうつぶやいて投じた。護摩木が勢い良く燃え盛った。残らず投じられ、燃え尽きた後、最初に護摩木を焚べた男性がにこやかに立ち上がって、みんな踊ろう、と言った。誰からともなく立ち上がり、輪の中へ入って、しまいにはひとり残らずといってよいほど音楽に合わせて手を挙げ、ステップを踏んで踊った。寿里亜も迷わず一緒になって、笑顔、笑顔・・そうしてひとしきり踊ったあと、もとの席に戻った。
 宮司が口を開いた。
「もっと、神様に頼っていいんだよ。甘えていいんだよ。」
「メディテーションをして・・」
宮司の誘いで、そのメディテーションに入る。皆、目を閉じて、静寂そのものになった。しばらくの後、宮司の合図で目を開けたとき、その場に一陣の風が吹き抜けたのである。何かがいる。そう確信した一瞬だった。
 見渡せば、随分とたくさんの人がいた。神事が終わった後、人混みをよけるように寿里亜は本殿を後にした。特に行くあてもなかったが、昨日聞いた禊殿、に行ってみようかと思った。ところが道を間違えたらしく、どうも行き当たらない。温泉の方向から戻ってくると、韋駄天社の森が目の前にあった。行ってみようと思い、森への道を登っていった。爽やかな山道だ。ほどなく韋駄天の社と山の神の社が2つ並んであった。お参りをして佇んでいた。
 鳥が澄んだ声で長々と鳴いた。もう少し寿里亜は先に登った。先には腰掛けられるくらいの岩があった。そこから天を仰ぎ見ると、木の葉の形が小さく散りばめられて、その先に薄曇りの空があった。さきほどの神事で、寿里亜は少し気持ちが高ぶっていたので、この澄んだ場所で目を閉じ、耳をすませていた。木の葉が揺れ、風が通る音がした。眼を開けて立ち上がったところへ、視界に黒い蝶が大きい羽をひらひらさせて宙を舞っているのが入ってきた。寿里亜の進む方へ、ひらひらと舞い、ちらと宙で止まって振り返るように翔んだ。「こんにちは。道案内をしてくれるの。」寿里亜が微笑んで問いかけた。黒い蝶はひらひらと舞い上がっていった。

 第10話につづく

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