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写真を撮り始めたきっかけ

この枝についた雪の写真を見ると、自分の写真とのきっかけを思い出す。これはわざと枝をぼかして撮影していますが。実は大学では植物の病理を研究していた。その研究の延長上に、毎回菌やバクテリアなどを光学電子顕微鏡で見てそれを撮影していた。

まさにマクロの世界だ。菌などはこんな形をして伸びて成長していくのだ。この頃、自分は写真の世界に向かうなんて思ってもなかったが、大きな電子顕微鏡で撮影して、一人で暗室に入って現像。。。毎日徹夜しながらやっていたな。教養の頃はよくサボった自分だが、専門になっては家に帰るより大学の研究室にいたものだ。そのまま、研究職についたがこの時の自分では決して持てない、マクロをとる世界のカメラ機器に取り憑かれていた。写真術を学んできたわけではないが、きっとほとんどのカメラマンも手にししないこの顕微鏡と写真と、マクロの宇宙観に惹かれてしまった。しかし、これに気がつくのもその後何年もかかった。人生とはすべてに意味があり、面白いものだ。

小学生の頃に家が移動して学区が変わることに。でもそれが嫌だったので小学校途中からバスで通い始めて、帰宅しても遊ぶ人がいないのだ。そこで家の前にあったのが、華道の教室。小学生でいく人はなかったが、姉は行きたくないと。。。私一人が楽しんで通っていた。お姉さんたちがたくさん来る中で、私は毎日家にいたので先生が山に枝を切りに行くのに連れて行ってくれたりして、面白い体験をしていた。高校生では師範を既に取っていたが、そんな意味もわからないまま私は好きで行っていただけで。特に水仙やおもと、菖蒲などをいけるのは まあ難しかった。その姿、あるがままを剣山の上に再現するものであったので。どれだか、あるがままを観察する力はその頃の自分にはなかったな。実はこの経験も今の写真の仕事に繋がってる。考えもしなかった。意味があったんだな。。。。

こう思うと、その頃その場ではわからないことがたくさん。でも、何かしら意味があることは確かである。自分の歩いてきた点を結ぶと見えてくるものがあるものだ。


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