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生きて、生きて、生きたくなる。そういう映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

もしも。もしもこの作品を観ていたならば、自ら死を選ぶ人は少なくなっていたかもしれない。
2019年度に日本で2万人を超えた自殺者のうち、10%くらいは思いとどまったかもしれない。
映画館を出たあと、車を走らせながら僕の頭にはそういう考えが浮かんで、消えなかった。

そういう想像を、それは妄想ではなく、かなりの確信をもって想像ができてしまう作品。
それが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」というアニメーションだと思う。

けして万人に受け入れられる話ではなく。
けれども確実に一定数には刺さる。
それもかなり、かなり深いところに刺さる。
それはえぐるようにではなく、深く優しく侵襲するように。

この記事は、2020年9月18日に公開になったその映画を観て感じた話です。
しかしネタバレは一切ありません。したくありませんから。だから映画の具体的なストーリーなんかは書いていません。前情報もなくフラットなまま受け入れられる機会を奪いたくはありませんから。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、タイトルネームを背負った少女が主役の物語。手に汗握る派手なアクションが飛び交うわけではなく、恋愛模様が彩るわけでもない。ひとつひとつ、ひとつひとつの経験をヴァイオレットが真剣に、愚直に、丁寧に受け入れていく心の成長譚です。
作品はTVで1クール+外伝2本、そして今回の劇場版で完結していますが、徹頭徹尾、凛とした芯のある作品で無駄が一切ない。ファンタジーだけれども、それはファンタジーでなければ描けなく、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという世界を形作るために必要な要素だったのでしょう。
陳腐な表現をするのならば、シリーズものとしては最高傑作と言っても言い過ぎではないでしょうか。作り手が作りたいものを最高の品質で作り上げた。そんな形容詞が似合う作品です。

作品には「手紙」が大きな意味を持つアイテムとして描かれ、手紙を中心として紡がれる言葉は恐ろしいほど丁寧に物語を重ねていきます。主題は愛ですが、それは性愛ではなく、慈愛でもなく。ただ純粋に愛であることが貫き通されています。そして、一つ一つ、絡まった想いの深いところを解き、引き出されていく様がとても綺麗に、作中の表現を借りるなら「美しい」作品となっています。

今作の劇場版はヴァイオレット・エヴァーガーデンに初めて触れる人を置き去りにすることもなく、しかし、TVシリーズからの軸はまったくぶれることなくつながり、しっかりと話を成り立たせていて、そして観た後に充足感を与えてくれるものでした。

上映中は誇張表現ではなく涙が止まらず。はたして感動の落涙なのかというと、そうでもなく。ただ感情が溢れるままに涙も溢れただけ、でした。残念ながら心が洗われるほど綺麗な心を僕はもっていませんが、綺麗なものに触れることで感情が溢れることができるんだなというのを実感するのは心地悪いものではありませんでした。

もしまだヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品に触れたことがない方であれば、一度触れてみることをおすすめしたいです。

そしてもし。もしも生きることに疲れているなら。ぜひ、この世界に触れていただくのは悪くない選択だと思います。
確信に近く。思います。

また、これは作品とは本来関係がないのだけれども、というのを最後に。

この作品を制作した京都アニメーションという会社は1年前、2019年にヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝の劇場版が公開になる直前に大きな事件の被害者となってしまい、多数の犠牲者が出てしまいました。

こんなにも生きることに誠実に向き合う作品を世に送り出してくれた方たちに訪れた不幸に(不幸と軽々に表現するべきではない、と思っていますが)言葉にできないものがあります。

それでも、作品の言葉を借りるようではありますが、残された方々、犠牲になられた方のご家族、ご親族、ご友人、そして、大切な方々が、生きて、生きて、そしてご自身の幸せなストーリーを紡いでほしい。

そう心から願っています。

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