見出し画像

早く死にたい

 通勤電車に乗っている時間は、行くときが短くて、帰るときが長い。しかし、これでは、楽しい時間はあっという間で退屈な時間はなかなか進んでくれないのだから、「今日もまた」と憂鬱な行きの通勤電車に乗っている時間が楽しく、「やっと」と晴れやかな帰りの通勤電車に乗っている時間が、辛くて仕方がないということになってしまう。確かに試験の日や歯医者の日はすぐに来るのに、クリスマスやお正月はなかなか来ない。楽しい時間はやっと来て、あっという間に過ぎ去っていく。
 いまは仕方なしに生きていて、なぜだかわからないけれど小さい頃はなるべく早く死にたかった。「早く死にたい」が口癖だった私を、母はよく咎めたものだった。あんなふうに死を怖がって、だからこそ魅了されたりはもうしないだろうけれど、あのときと同じように、楽しいことをすると、まだ確かにときは早くすぎる。ならば、楽しいことをして、子供の時の私の夢だった、早く死ぬをしよう。早く死にたい、待ち遠しく待っているものはなかなか来てくれないのだから。
 編みかけのレースがある。録画したドラマを見ながら、続きを編まなくちゃいけない。こないだ届いたばかりのお気に入りのハーブティーがある。まだ新しいまま取ってあって封を切っていない。親友からもらった特大のバスボムというのもある。キラキラのラメとともにからだ中、泡だらけにしなくちゃいけない。だけど、ちょっと待って。泡と言えば、駅の近くの中華屋の、お持ち帰りができる油淋鶏。それに合わせるビールというものがある。その泡も泡だし、お風呂上がりにビールは欠かせない。そう思っていれば、ずっとずっと早く死ねて、最寄駅はもうすぐそこ。ああ、早く死にたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?