自分の誕生日があまり好きではなかった

「今は」そこまででもない。
極端な悲観は無いが、無条件に喜べるかも微妙なところ。


もうじき、箱は、誕生日である。
どうしてあまり好きになれなかったかは、
「12/29」という日付けで察せる人もいるかもしれない。

なにせ、家で祝われた記憶があまりない。
どころか、理不尽な目に遭った記憶の方が多い。

憶えている最古の理不尽は、小学生の頃だろうか。
友達を家に呼んでパーティーをしたら、
「うるさいから誕生日に友達を呼ぶな」
と、母方の祖母にキレられた。

……まあ、誕生日以外でも友達を呼ぶとキレられたし、
それに限らず、なにかと箱のことは蔑ろにする存在だった。
今は実質ほぼ縁が切れているようなものなので穏やかだし、
その辺も、語れる程度には記憶の中の話だが。

そもそもなんで友達を家に呼ぶか、というのも、
理由に「冬休みだから」というのがあった。
学童保育も流石に休みの時期だった。
学校でお祝いされるという機会は、
生まれたタイミングで実質潰れたようなもんだった。

プレゼントを欲しがれば、
親からは「クリスマスにもうあげた」と言われる。
一人っ子ならまだそれで誤魔化せたかもしれないが、
あいにく箱は長子であり、弟や妹が普通に誕生日を祝われ、
そのうえでクリスマスのプレゼントも受け取っている、
という、非情な現実を知っていた。
なんで自分の分だけは誕生日としてのお祝いがないのか。
不公平だとも思うわけである。
親にそれを言っても納得のある解答は無かった。
そんなもんだった。


母方父方ともに、親戚はそこそこいるようなのだが、
お祝い以前に、ほとんど顔を合わせた記憶がない。
おおむね母方の祖母のせいのようではあった。
そこは、個人が、人間的に難があったとしても、
まわりが縁を作る時代だった頃の問題なんだろう、
くらいで捉えている。
会ってみたいという気もするが、
箱がはっきり認識されている、という気はあまりしない。
そもそもむこうも会いに来れなかったとは思う。
それだけ、箱の記憶の中の母方祖母もアレなので。


でも、「家」という枠組みから離れてみれば、
誕生日を祝ってくれる人はいたわけだった。
それを理解することができたのは、
わりと早くからインターネットを触れたからだ、
……と、今は思うが。

ネットで初めて交流を持った、ゲーム内の仲間や、
趣味を同じくする人達。
文字になった「おめでとう」という言葉だけでも、
「なにもない」というよりかはずっと、
自分をちゃんと認識されている、という気持ちになれた。

なんなら、誕生日を迎えたら、
ソシャゲのキャラでも祝いの言葉をくれるような時代になった。
そういうプログラムだから、なのだとしても、
やはり「なにもない」よりはマシなのだ。


そうした、人によっては理解しにくい積み重ねが、
「家族に祝われない誕生日」という呪いのような現実を、
少しずつ緩和していってくれたんだろうと思っている。


自分のプレゼントを自分で探せる。
そのくらいには、前向きになれた。

あなたのひと押しが箱を少し長く生かします。たぶん。 活動が長続きすれば、話せるものも増えるかな。 まあ、お好きなように。強制はしませんよ。