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常識という物語

空いた時間に読書をした。
宮部みゆきさんの「英雄の書」
あとはマンガの「ミステリという勿れ」


先日「退職して結婚する」と言っていた次男から、「彼女の地元へ引っ越して新しい家と仕事を見つけた」と連絡がきた。「子供ができたので今月中に籍だけ入れる」という。
私たち夫婦と同じ道を歩んでいる。ありがたいことに彼女のご家族には歓迎されているようだ。ご挨拶をしに行きたいところだが、かなり遠くなのでリモートで顔合わせをすることになった。

夫は「こういう場合は男側が出向くものだ。」とか「授かり婚は謝罪するものかな?」とか失礼のないようにとあれこれ考えている。

「英雄の書」には「歴史は物語である」と書いてある。
元から「英雄」などという存在はいなくて、周りの誰かや後の人々がその人を崇拝し、英雄化させていっただけ。書き手の主観や願望などによって事実は良い風に変わり、ただの「物語」となった。
もちろん「英雄の書」も「物語」。

「ミステリという勿れ」では「世の中の言葉はおじさんが作ってる」と書いてある。(セリフを切り取っているので誤解を産む可能性が大きいので、是非、作品を読んで下さい。すごく面白いです。)
例えば「女の幸せは結婚と子育て」。
そういった「常識」は昔の人が自分の都合の良いように作り、語り継いだもの。
「常識」もまた、ただの「物語」。

私は「常識」をあまり知らない。夫は礼儀やしきたりといった「常識」に詳しいし重要視している。
「常識」は人付き合いにはどうしても必要なものだ。建前上、謙遜したり謝罪したり下手に出たり。
今回のリモートでの顔合わせでも「常識」のあるやり取りがなされるのだろう。それがただの「物語」に過ぎなくても。
まぁそれでも次男が心地よく向こうで過ごせるならばお安い御用だ。

もしも人生に関わるような重大なことが起きたときは「常識」は必要ない。ただの不確かな「物語」なのだから。自分には自分の「物語」を。

久しぶりの雨が降っている。
地球上の水分量は一定で、増えも減りもしないという。雲になり雨になり水蒸気となり、循環しているという。自然の摂理。
これは「物語」ではない「事実」。

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