壊れそうな心には、どう触れるのがよいのか? 映画「心のカルテ」感想

この記事はネタバレが含まれます。映画を楽しく見たい方は読まない方がよいかもしれないです。

心に残ったシーン

母親たちが自分の言いたいことをぶつける中、
妹が姉にむき出しの気持ちを吐露する場面、
先生が、妹だけがキミの気持ちになって語っていたという場面

少年が好きという気持ちをぶつけるが、
お互いの弱さが出てしまい、うまくコミュニケーションできない場面

アートに触れて
人生はすばらしいことだと感じて、かたくなになってしまうところ
それを「消えちまえ」と言えたところ
少女がチョコを食べるところ、みんながそれを見守るところ

母親に授乳をせがむところ


感想

親たちは身勝手に少女を蹂躙し、
少女は抵抗と再生を繰り返す。

少女たちに対応する人にとって大事なことは、
すがってくる患者に対して、誠実であること。
ただ、弱さを受け入れるところ、つっぱねるところ、
その使い分けが難しい、と感じた。
ただ、まっすぐにそこに立っているべきなのか?
心に湧き出た気持ちをぶつけるべきなのか?
心が弱って敏感になっている人には、どれも致命傷になりうる。

人が再生する様を見ることは、好きだ。
希望が持てるからか。
崩れた人を見たいからか。

人は、自分の中の勇気を育てて、自分の中の大きな1歩を踏み出す。
そこには、危険な転落もあるが、世界が大きく広がる瞬間になる可能性もある。
その1歩に私はドキドキするし、感激してしまう。

この映画は、その瞬間を丁寧に、リアルに描いているように思えた。

少女は、今までの日常=乱暴に欲望や都合をぶつけられた生活に近づくと、腐った日常に引き込まれる。
それでも、ひっそりとした愛をもらうことで小さな1歩を踏み出す。
その抑揚にいちいち心をゆすられた。

最後ギリギリまで追い込まれる少女は、あと1歩のところで
踏みとどまって、復活する。
そこには、実際には、ケースによって死んでしまうであろう悲しさが
見え隠れして、そこがさみしい感じもした。

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