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管絃祭の当日

午前の満潮時に阿賀の漕船によって御座船を大鳥居沖まで曳船する。その後江波の漕船が桝形(客人神社の祓殿と廻廊で囲まれた所)に入り、船を三廻する。その時、漕船で唄う木遣り歌と采振りの動作が見物である。終わると一同本社に参拝する。

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16:00 御本殿出御

嚴島神社の御本社で出御祭が斎行される。拝殿から阿賀漕船奉仕者に渡し、高舞台を進み、行列はそのまま海浜に降り、大鳥居を通って御座船に進む。

管絃祭写真


16:40 大鳥居前の儀

一同乗船が終わると祭典を執行され、引き続いて管絃が奏する。管絃が終わる江波の漕船が御座船を左廻りに三度廻す。御座船が立て直ると阿賀の漕船が江波の漕船の左右に添い、三隻の漕船が管絃船を曳航して地御前に向かう。

18:00 火立岩(ほたていわ)

大鳥居前を発して、およそ一時間、地御前の火立岩の沖に到着。ここで
「江波漕船は御座船を離れて、地御前神社に先行し、太鼓をもって拝殿に上り、踊って神慮を慰める行事がある。」御座船は碇を入れ、阿賀漕船も御座船の傍に停泊する。日没とともに御座船も漕船も提灯、雪洞、篝火等を点灯する。地御前の有志が御座船に乗船し、御鳳輦を拝する。以降この船は御座船の水先を勤め、阿賀漕船の奉仕で地御前神社に向かって出発する。地御前神社沖に至ると、漕船の太鼓がとめ、新楽乱声を奏して「玉の御池」に入る。

19:20 地御前神社

御座船は地御前神社正面の石段に着岸し、祭典が執行される。祭典が終わると江波漕船により御座船を三度廻す。その後船首を宮島に向けた時に、阿賀漕船が江波の左右に加わって、長浜神社に向かう。


20:40 長浜神社

阿賀漕船が御座船を離れ、二隻前後する。祭典が執行され、その後江波漕船より御座船を三回廻し大元神社に向かいます。

近年長浜神社にお集まりの人に無料でちょうちんを配り、御座船をお迎えする。祭典が終わった後、ちょうちんを持ち、表参道商店街を通り嚴島神社へ向かい、嚴島神社で管絃祭の一番クライマックスをみる「ちょうちん行列」も開催されるようになりました。

ちょうちん行列

21:30 大元神社

祭典が執行され、終わって江波漕船により御座船を三廻する。その後本社に向かい、火焼前に着船する。

22:10 火焼前(ひたさき)

江波漕船は火焼前沖で御座船を離れ、枡形に先行する。枡形で三廻を披露する。一方、火焼前で祭典が執行され、終わると御座船は客神社前に進む。

22:30 客神社前

客神社前で祭典が執行され、管絃が終わると、水棹で御座船を枡形に入れて三度廻す。廻廊に人で埋め尽くされ、管絃祭もクライマックスに達する。終わりで御座船を火焼前に返す。

23:00 御本殿還御

火焼前に着岸すると、御鳳輦は阿賀町の奉仕により船から下ろされ、御本殿にの奥深く担ぎこまれる。御霊代還御の儀があって、その祭儀は終了する。

年により多少干満の高低に差があり、時間的にも遅速があり、書いている時刻は多少前後します。

管絃祭の期間中に市立祭が行われ、「管絃祭参集の船舶について」の調査では数のわかる昭和49年に、1321隻の船が参集され、瀬戸内沿岸の広い地域から宮島に来られ、その賑やかさは今日容易に想像できないだろう。平成13年になると68隻の船に減少し、また今日ほぼなくなりました。とても残念に思います。

減少した理由は漁業従事者が減ったこと、宮島有ノ浦が砂浜となり、船がつけにくくなったこと、また船舶モータのモデルチェージによって砂浜での着岸が難しくなったこと。

参考資料:

表題の写真「芸州厳島図会」

「厳島信仰事典」野坂元良 戎光祥出版

「宮島本」廿日市商工会議所

「管絃祭・玉取祭」一般社団法人宮島観光協会


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