コロナ禍・丑(うし)年・牛頭天王
博多家の住所地 宮島町幸町西浜 地名の由来は幸神社
ここにはかつて祇園祭で有名な京都八坂神社と同じく疫病退散の神
牛頭天王(ごずてんのう)が祀られていた。
仏が神の本地とされた時代、薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地とされた仏教、神道、陰陽道が入り混じる習合神。
明治初年神仏判然令(神祇官事務局達)では名指しで嫌われた神であるが、その前の1800年代初頭、幸神社と改められ、牛王町から幸町となっている。
鳥居脇の石碑には博多屋利兵衛 博多屋清兵衛の名が残る。
四度目の年男となるコロナ禍の丑(うし)年、先祖の名と共に想起される忘れられたもう一つの地名。
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