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蛇行する内外の「間」を貫通し俯瞰する 1

嚴島神社 天神社 (連歌堂)
1556年、毛利隆元の寄進で造営された。歌を詠むために増築された施設。
3間X3間(6mx6m)の九間(ここのま)で構成される室内。
三面蔀戸をスウィングアップすると現れる上下がトリミングされたパノラマ状の水平連続窓。
間のリズム
間口の3分割の柱間、軒先も間口を3分割した柱間であるため、軒先3分割の柱間と部屋の3分割ではスパンが異なる。柱は外の方が細い造りで、内側から見ると、パースペクティブに沿って、外柱が隠れ柱が視界を遮らない。

間の舞台

連歌堂の配置は屈曲するからなる回廊に囲われる形で陸地の中間にセンタリングされている。
回廊の丹色の太い丸柱とは区別され、能舞台と同じく、仮設的な素木の細い角柱で構成されるため経年で黒くなり、黒子として周辺に溶け込む。
一転、はれの日には回廊を桟敷として取り込む大舞台となる。
能舞台『見られる舞台』であるのに対して
連歌堂は『見るための装置』
視線
求心性放射性
連歌堂から能舞台、大鳥居を見通す景色の軸
既存の回廊空間、潮の干満、四季のサラウンドな変化と呼応し営まれる
神事、芸能が時計となり背景として包摂される空間
全体の俯瞰から、構成部材の間(スパン)へと貫かれる
『はるかなる視線』の往復 、離見の見によってもたらされる 
間の分割の構成(木割)そして再編成(リノベーション) 
仮設的な場の占有再定義そして常設化
隔世
によってさらに覚醒される(タイムスパン)の離見の歌枕がそこには秘されているのかもしれない。

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天神社

明治16年の天神社付近
反(そり)橋、梅の大木が印象的で、視線の抜けるオープンな庭

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