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自己紹介プロフィール

こんにちは!ハジメです!

この記事に有益性は、微塵もございません。
ノウハウ、テクニックなどもナシです。

では、なぜ?書くことにしたのか?

それは、僕が人生を通して現在抱いている
「理念や信念」「ビジネスをする理由」など

どういう経緯でそこに至ったのか?
知って頂きたい!という思いがあるからです。

僕の自己紹介の記事ですので
超絶暇な時に読む記事でございます。

以上の注意点をご了解いただいた場合のみ
読んでみてくださいませ(^_-)-☆

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■名前:ハジメ

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■出身地:札幌市
北の大地、北海道で育ち

■血液型:AB型
残念ながら、
天才の方ではなく変態の方のAB型。

■性格:怠惰、飽き性、メンタル強め
「怠惰の申し子」と呼ばれるレベルの三日坊主
趣味のゲームすら途中で飽きて放棄する始末。

幼少期の経験からメンタルだけは
そこそこ強めです。

■職業:代表取締役補佐やってます!
勤務先のSNSを担当しています。
店舗管理、人材育成、販売戦略など担当

入社して2ヶ月間:売上げゼロ!

入社1年目:社内販売1位に輝く🏅
2年目:年間売り上げ最高額を叩き出す。
3年目:管理職に最速で出世する。
4年目:新店舗の立ち上げに従事。
5年目:未開拓エリアを任される。
6年目:スタッフの裏切りに合う。
7年目:副業をやり始める。

入社当時から生意気な奴認定されて
「放射能漏れの核弾頭」と呼ばれています。

■趣味:ゲーム、旅行、妻と子供と遊ぶ
最近では、阿寒湖に行ってきました!

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ホテルも綺麗で、すごしやすく
ご飯もおいしいのでオススメです!

親の離婚した結果… 家にお金が1円も無くなる

■幼少期に両親が離婚しました~!

僕が9歳の時、もともと夫婦喧嘩が絶えなかった
両親が離婚しました。

夜中に、湯飲みが宙を舞っていき
「ガチャーン!」と割れる音や怒鳴り声など
幼かった僕には、そりゃー怖い経験でした。

父親は、パチンコ、車、釣りなど
非常に多趣味で散在するタイプの人間で

僕のお年玉など全て使われていました(-_-;)

特に酷かったのは「酒癖」ですね!

酔うと必ず殴られます。
力加減を知らないのか?

歯が折れたり、頭を打って3針縫ったりと
かなりドメスティックな男性でした。

当時の僕には、恐怖の象徴でしたね。

母親は、今思うとダメンズに尽くすタイプ。
厳しくも優しい母親でした。

ただ、潔癖症でしたので当時流行っていた
ベビースターラーメンというお菓子を

床にこぼすと、めっちゃ怒られました。
服を汚して帰ってきても怒られる。

食べ方などにも、口うるさいので
当時は、鬱陶しく感じていましたが

キッチリ躾をしてくれたおかげで
今があるので感謝しています。

離婚のキッカケは、母親が
「いつか、子供が殺される」と

危機感を感じたため離婚を選択したと
中学生の時に聞かされました。

かあちゃん!マジで正解!(笑)
ホントに僕、1回死んでるんですよ。

枕に顔を押し付けれられて窒息してしまい
心肺停止状態で救急車で運ばれて

病院で奇跡的に蘇生してますので。

まぁ、そんな感じで離婚して
母と僕、あと下2人での生活が始まりました。

で!ここからは、経済的に地獄を見ます。

当時、離婚というのは恥ずかしい事。
みたいな風潮がありまして、

世間の風当たりがハンパなかったです。

電話がジャンジャンかかってきて
「我慢できないのか!お前は!!」とか
「片親なんて子供が不幸だろ!」とか。

世間体を気にする親族から
罵詈雑言の電話がずーと続いてました。

かぁちゃんのメンタルボロボロで
ずーと泣いてました。

んで、僕もなぜか?泣くという・・
結構、カオスな状況なわけですが

さらに追い打ちが掛けられます(-_-;)

家の貯金(僕ら兄弟のも含む)と
学資保険すらも、ご丁寧に解約して頂き

お金を全部、綺麗さっぱりと
父親は持ち去りました(笑)

殺す気満々やな。と思いました。

メンタルボロボロの母。
小学生の僕、幼稚園の下2人。

親戚は、すべて敵。

今でも、あの時の母の顔は忘れられません。

親の離婚した結果… 家にお金が1円も無くなる (1)

敵は、身内だけかと思ったら大間違いでした。
甘かった(笑)

友達と遊んでいたら親に
「お前とは遊んじゃダメだって言われた」と。

当時、毎日のように遊んでいた友達が
1人、また1人と遊んでくれなくなり

時代に先駆けて
「ぼっち」を先取りする事になりました。

親には言えないので、いつも一人で
壁相手にキャッチボールとかしてました。

自転車も買ってもらえなかったので
公園の周りを走り込んだりとか!

おかげさまでマラソンが得意ですよ(笑)

遊んじゃいけない理由が酷いもので
片親の子は、頭おかしいらしいです(笑)

親が離婚しただけで、子供バグるらしいです
頭バグってんのどっちやねん。

ちなみに、その子の家庭も友達が
中学入学時に離婚しまして・・(;^ω^)

「あの時はごめん」って謝られました。

特に幼少期は、
親って絶対的な存在だったりするので
逆らいにくいじゃないですか?(笑)

「全然、気にしてないよ!」って話で
彼とは3年間同じ部活で共に過ごしました。

僕は案外、根に持たない性格なのです。

学校の担任こそ、ひどいもので
良くいびられたり、叩かれたりしました。

親の離婚に関しては、
子供にはどうすることもできないわけで

「ホントに世の中クソだな!」
「大人滅びろ!」とか考えていました。

中学3年生の時の担任に会うまでは
教師という人種がめっちゃ嫌いでした。

ひたすら威張る権力者みたいな(笑)
人格否定も連日されていましたので

この時期は、自分の存在に意味が見出せなくて
苦しかったなぁ~と。

こういう経験があるので「人を大事にする」
「良い人間ばかりではない」という事を学べたので
今では良い養分になってます!

親の離婚した結果… 家にお金が1円も無くなる (2)

経済的には、ほんとにヤバかったです。
家賃は、最高半年滞納しましたし

電気はよく止まりました・・
ガスもよく止まりました・・

水道は、数か月猶予を与えてくれるので
2回くらいで済んで良かったです(笑)

食事は、平日2食、休日1食が
1年位続いて「栄養失調」にもなりました。

平日の「給食」が主な栄養源でしたね。
毎日ご飯食べに行ってたようなもんです。

当時は、女性は専業主婦になるもの。
という風潮だったみたいで(昭和の価値観)

働き口もほとんどなく、
タウンページで仕事探してました。

仕事に就いても、低賃金で生活は厳しく
かぁちゃんは、いつもイライラしてました。

2つ掛け持ちしながら必死で
朝から晩までボロボロになりながら

僕らのために働いてました。
見てるこっちが辛かった。

そこで、何か手伝えないのか?
出来ることはないのか聞いてみたら・・・

「新聞配達」をやる事になったんです!

朝刊を150部、近くの団地に撒くという
アルバイトを初めて経験しました。

小学5年生でアルバイト!
ちょっと大人になれた気分で浮かれてました。

朝が弱い僕には、早起きはマジで辛くて

半分寝ている状態で朝4:00頃に
新聞店に新聞を取りに行ってチラシはさんで

団地までランニングしながら向かい

階段を昇っては降りを繰り返し
最初は、足がガックガクでした(笑)

新聞って重たいんですよ、意外と!
ゴム付きの軍手があると便利です。

気になる報酬は・・!?

1日500円です。月に15000円!
小学生の僕には大金です。

給料日に、おこずかいとして
500円もらえるようになりました。

自分の頑張りを認めて貰えたような気がして
嬉しかったですね~。

新聞配達は、中学3年生まで続けました。
ちなみに給与は上がりませんでした(笑)

これでも、経済状況は良い!
とは言えませんが、好転していきました。

フィットネス、Instagram、投稿

そんなこんなで、中学生になりました。
思春期ですね~。反抗期です。

小学校から自動的に繰り上がるので
知った顔も多く、新鮮さはありませんでした。

この頃になると「片親の不幸な子供」と
言ってくる大人は少し減ってきたので楽でした。

まぁ、教師と一部の外野がうるさいだけで
「ほっときゃいいや」です。

友達が居なくて、ボッチマンだったので
致命的だったのが・・

コミュニケーション能力の欠落です(;^ω^)

言葉が出てこない・・緊張する・・
変な汗をかく・・

せっかく話しかけてくれたのに
返事をするのが精一杯で

「アイツ、暗いな」と言われてしまい
ますます、話せなくなる悪循環に陥りました。

これは、辛かった。
でも、友達欲しいわけです。

そこで僕は考えました。
なにか良い方法はないものかと。

意外や意外!
ヒントは、目の前にありました。

前の席に、無口なイケメンの後藤君。
彼は常に話しかけて貰っているのです。

僕は「これだ!」と閃きました!
無口キャラでいこう!と。

まぁ、僕はイケメンではないので
ただの痛い奴で終わりました。

戦略も戦術も誤ったため、
ますます、人が寄り付かなくなりました(笑)

でも、友達欲しい・・
あわよくば・・モテたい!!!

思春期ですからね。当然ですよね。

そこで、部活に入る事にしました。
スポーツする男子はモテる!

単純な作戦です。
戦略も戦術もへったくれもありません。

当時は「スラムダンク」「稲中卓球部」
これらが流行っていたので

バスケ部と卓球部が超絶人気でした。

チビガリ童顔の僕には、卓球部だろ!と
たった一人の友人(久保君)と共に
意気揚々と入部届を出しに行きました。

久保君は「あの時はごめん。」の彼です。

入部届を手に、職員室に向かい
顧問に届け出をしようとしたら・・

まさかの定員オーバーです。

しぶしぶ、久保君と「どーする?」と
話していた時に声を掛けてきたのが

バレーボール部の顧問でした。

断るわけにもいかないので
そのまま、部活見学に行きました。

体育館でバコーン!とスパイクを決める
巨人族がたくさんいました。

何喰ったら180㎝超えんねん?
とか思いながら眺めていたら

久保君が「こっち見て!」と
反対側のコートを指さしました。

そこには、女子バレボール部が!!
しかも可愛い子が多いではありませんか!

これは!と、そそくさと
卓球部→バレーボール部に書き直し

「お願いします!」と提出しました(笑)

この選択が僕の運命を左右します。

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当時の僕の成績は、最大5段階評価で
オール2にという成績でした。

自己肯定感も低く、怠惰な性格もあり
勉強に関しては全くしていませんでした。

学生の時期にモテる奴は
・イケメン・高身長
・スポーツが得意
・コミュ力が高い

まぁ、すべて僕には無いものばかりでした。

イケメンではない。勉強できない。
スポーツもダメ。

どうしたら、モテるんだ?
真剣に悩みました・・思春期ですから(笑)

そんな気持ちでモンモンとしながら
日々を過ごしていました。

部活に入部してから1ヶ月程たった頃、
見た事のない先輩方がやってきました。

あからさまに、柄が悪い。

学ランの前を全開にしていて
上履きのかかとを踏んでいるではありませんか。

不良というやつです。極悪です。

「おい!1年!!」と僕に声を掛けてきました。

「超こえー・・なんだろう・・」
ビクつきながら先輩のもとへ行くと

「2年2組の教室に行ってジャージ取ってこい!」
と言われ、即!

「ハイ!」と2年生の教室に取りにいきました。
もちろん、ダッシュです。怖いから。

上級生の階は、ドキドキしますよね。
まだ、入学したばかりという事もありますが。

教室に着くと、
「すいません。先輩のジャージを取りにきました。」

緊張もあり変な汗をかきながら、頑張りました。

すると、大人の女性が(1個上なだけ笑)
優しく「誰のジャージ?」と聞いてくれました。

僕は重大なミスを犯しました。
肝心の名前を聞いてこなかったのです(-_-;)

「これはヤバイ・・」とうつむいていると
今度は「何部なの?」と聞いてくれました。

天使です。好きです。
こんなに優しい人間おるんやな。と。

これが僕の初恋です。

「バレーボール部です。」と伝えると
すんなり手渡されました。

「ありがと、ございます。」と
軽くカミながらお礼を言い体育館へ。

「遅せーよ!」と言われましたが
(自分で取りにいけや!)

恋に目覚めた僕は、幸せいっぱいでしたので
「すいませんでした。どーぞ。」と渡しました。

「誰に貰った?」と着替えながら聞いてきたので
僕の天使の特徴を伝えました。

「あー、あいつか」
「可愛いだろ?俺の彼女。」

「え?」頭を鈍器で殴られた衝撃です。
父に殴られるより痛い。。

10分で失恋でしました。

そこで僕の人生が終わりました。完。
ありがとうございました。

今、思い出しながら書いていますが
悲しくなってきました(笑)

ですが!メンタルマッチョな僕は、
ある重要な要素に気が付いてしまいました。

「不良はモテる」ということに。

勉強、スポーツ、身長、顔面。
どれもダメなら・・「悪になろう!」と。

心に誓いました。まずは、形からです。
ビジネス用語でいえば「モデリング」です。

1つ、学ランの前は全開に!
1つ、上履きのかかとは踏む!
1つ、返事は「あん?」

完璧なプランです。
懐かしい。恥ずかしい(笑)

まぁ、翌日には生徒指導室で怒られ
おっかない先輩に絡まれたので

学ランの襟のフックまでキッチリしめて
上履きもかかとを直し
返事は「はい!」に直しましたけどね。

上級生の大人っぽい雰囲気でコロッと
惚れてしまうこと、ありますよね?(笑)

この怖い先輩には、バイクの後ろに
乗せて頂いたり、タバコを教わったり

いい意味でも、悪い意味でも
とても可愛がっていただきましたが・・

僕には「悪の道」は向いていませんでした(笑)

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中学3年生になりました。
この時、僕の人生で大きな出来事がありました。

母が甲状腺のガンになりました。

「体調が最近よくない」と訴えていたので
「病院行ったら?」と言っていたんですが・・

「お金がもったいないから」と行かずにいました。

でも、明らかに喉に「小さなコブ」があり
腫れ方が異常だったので、
近くの病院に連れて行きました。

僕はその時、待合室で待機していたので
詳しい話は聞けなかったんですが

「大学病院で精密検査を受けろだってさ。
まぁ、大したことないでしょ!」と

明るく話していましたが、明らかに
母の顔は、真っ青になっていました。

数日後、大学病院で精密検査を受けました。

幸い転移は診られませんが、
抗がん剤、放射線治療などを受けて

治療する必要があると言われました。

その時、僕の脳裏によぎったのは
「母が亡くなるかもしれない」という不安。

せっかく、貧しいながらでも
生活が出来るようになった矢先の出来事でした。

まず、僕は祖父母に電話をしました。

「かぁちゃん、ガンになったから。」と。
正直、何も期待していませんでいたが

一応、連絡だけと思って伝えました。

意外にも、祖父母はすぐ家に来てくれて
母の看病を始めました。

下の兄弟二人は久々の祖父母との再会を
喜んでいましたが・・

僕は、ハラワタ煮えくり返ってました。

「こんなんなるまで、何もしないのか?!」
「ふざけんな!」と怒りをぶつけました。

祖父母は「すまなかった。」とだけ言い
家事や生活費などを工面してくれました。

自分の無力さにも腹立たしさもあり
僕は、しばらく祖母の用意してくれた食事に
手を付けることができませんでした。

幸い、母に合う放射線治療が効果を見せ
徐々に回復していきましたが

免疫力がとても下がるので、
風邪をすぐ拗らせ、肺炎で入院することもあり

僕は、高校進学をせず、就職しよう!と
本気で考えていました。

家の事は、祖父母が見てくれているので

部活も無事引退して、
残すは進路だけになりました。

中学3年生で進路を決める
3者面談はいつも担任とマンツーマン。

「就職します。」
「高校はででおきなさい。」

担任とは、いつもこの繰り返しでした。

心の中では「お前に関係ないやろ」
「ほっとけや」と悪態をついていました。

願書の提出期限も迫った頃、
かなり母の体調も回復してきました。

「高校は行きなさい。」と
祖父母に母、担任にしつこく言われ

しぶしぶ、片道2時間の遠くの高校を
受験することになりました。

しかし、全く勉強をしてこなかった僕が
受験して合格できるイメージはありませんでした。

そこで、当時の担任の先生が
放課後、個別に勉強を見てくれることになり

僕は、生まれて初めて真面目に勉強しました。

過去問中心に、問題を解いていき
出来なかった部分を参考書などで勉強する。

至ってシンプルな勉強方法でしたが
短期間で比較的解けるようになってきました。

私立と公立どちらも受験しましたが
意外にも両方とも合格しました( ´∀` )

学費の安い「公立高校」に進学することに決まり
祖父母、母、担任もとても喜んでくれました。

この時、しつこく進学を勧めてくれて
放課後や冬休み期間中まで

何度も投げ出しそうになった僕を見捨てず、
最後まで勉強を根気強く教えてくれた先生には

今でも、感謝の気持ちしかありません。
先生、たくさん悪態ついてごめんなさいm(__)m

色んな事があった中学時代でしたが
まぁまぁ、楽しかったと思っています。

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めでたく、高校生になりました~!

この頃には、母は放射線治療も無事終わり
普通に生活できるまでに回復していました。

ですが、仕事に出るのはまだ厳しいので
交通費は僕が自分で稼ぐ事にしました。

祖父母との関係も良好になりました。
僕は案外、根に持たない性格なのです。

片道バスと徒歩で2時間・・
札幌~東京間の飛行機でかかる時間と同じ(-_-;)

しかも、朝6:30発の始発に乗らなくては
遅刻するという(笑)

入学式当日、早速遅刻した僕は
生徒指導室へそのまま連行されました。

教室に入る前に、生徒指導室に入る新入生。
あまりいないのではないでしょうか?

「何考えてるんだ!お前は!!」と
30分くらい教師はプリプリしてましたが

「さーせんしたー」を繰り返し
解放されて教室へ行きました。

当然、式も終わっていて
クラスメイトは着席しており

初日から転校生のような扱いです(笑)

ちなみに、卒業式もサボりましたので
高校の入学式と卒業式を知りません(汗)

ここに進学できたお陰で

僕は、少しずつですが
素の自分を出せるようになっていきます。

【1】超絶!勉強頑張ったよ!!

中学時代、勉強を少しの期間ですが
真剣に取り組んだことにより

自分に合った勉強方法が身に尽きました。

入学してすぐに「学力テスト」ってのがあり
そこで、いきなり快挙を成し遂げます。

なんと・・クラスで1位・・
学年で・・5位です・・信じられませんでした(笑)

確かに、偏差値の低い高校ではありましたが
「え?」って感じです。

クラスの評価は「頭の良い奴」です。
中学校の相対評価ではなく

高校は絶対評価なので、やればランクが上がります。

努力した達成感や人から評価される。
初めて経験したものでした。

その成功体験が気持ちよくて
めちゃくちゃ勉強しました。

・通学のバスの中(4時間)
・夕食後(2時間)

結果的に成績はオール5に4が1つ。
「やればできるんだな!」と自信が付きました。

ですが、残念な性格なので
2年生の後半ではアルバイトが楽しくなり

全然、勉強しなくなります(-_-;)

【2】バイト楽しすぎるわ!

高校に入学後、某ファーストフード店で
アルバイトをする事にしました。

時給630円!新聞配達の比じゃないですね。
所得税が掛かる手前まで

定期や昼食代を稼ぐ必要もあったので
ゴリゴリにシフトを入れてました。

大学生や定時制高校の人もいて
なんせ!可愛い子が多い!!

素晴らしい環境でした。

やればやるだけ稼げる!
役職も上がれば時給も増える!

仕事が出来るとココでも評価される。

楽しすぎて、2年生の後半からは
学校をサボってまで働いていました。

当時お付き合いしていた方よりも
バイトを優先していたので

当然ですが・・フラれました( ;∀;)

本末転倒ですね(-_-;)

ここのバイト経験が元で
社会に出て働きたい!欲求が高まり。

大学進学<就職になりました。

【3】友達を作るのがくそ下手

学校で友達を作るのは、やっぱり苦手でした。

バイト先だと、自分を出せるのですが
学校という環境だと「頭良い奴」認定されていて

そのイメージで振る舞う必要がある。という
変なバイアスに掛かってしまい。

全然、楽しめませんでした。

学費のためにバイトしていたのもあり
放課後一緒に遊ぶ機会が少ないので

なんか壁を感じてしまってましたね。
勝手に。

みんな良い奴ばかりだったので
今ぐらい自分を出せてたら良かったなぁと
たまに思いますが、

その経験があるからこそ
「自分の人生を最大限楽しもう!」と

思える自分が、今あるので
良かったんじゃないかと。(笑)

今は、価値観の近い仲間も出来て
ビジネスも楽しく取り組んでいますので

良しとしましょう!

まだまだ、学校祭の話や、乱闘事件の話
停学くらって大学の推薦取り消しの話
合コンデビューの話など

沢山ネタはあるんですが書ききれないので
オフ会やZOOMでお会いした時にでも

楽しくお話しできたら良いなと思います。
まぁ、需要があればの話ですが(笑)

緑、トロピカル、夏、アウトドア、Instagram、投稿

ここまで、お付き合い頂きありがとうございました!

一回、天に召されてから離婚、母の大病など
そこそこ、スリリングな人生を歩んでおります( ´∀` )

多少なりとも僕の人柄が伝わっていたら嬉しいです。

「自分の人生を最大限楽しむ!」を実現するため
現在、ネットビジネスを軸に活動しています。

人生の時間は有限です。
お金は稼げば良いですが、時間は戻りません。

僕は、自分自身を幸せにしたですし
妻や子供も幸せにしたい。

それと、僕に関わる仲間と共に
笑いながら苦労を共にして歩んでいきたい。

そんな人生を送りたいので
共感してくれる仲間を探すため自己開示しました。

今の僕には、たいした実績もありません。

ですが、こうなりたい!と思える人に出会い
一歩踏み出しました。

その方は、僕からしたら
ニュータイプでスーパーサイヤ人みたいな
超人ですが

いつか!
肩を並べるくらいに成長してやります。

一緒に、自分軸で自由な人生を
歩めたら幸いです😊

では、また!

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