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『ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業』の要約


ハーバードビジネススクール教授ヤンミ・ムンの『ビジネスで一番、大切なこと』を読みました。

2010年の本ですが、今なおマーケティングの教材として使われることがある名著です。

今回は、本書の内容を要約したいと思います。

マーケティングについての書籍はあまり読んだことがなかったので、とても新鮮で多くの学びがありました。


○本書の出発点

本書の出発点は、「違い」についての単純な疑問から始まった。

私たちの生活には広告が溢れている。

電車のつり革、ポップアップバナー、テレビ CM、動画サイト、スマホアプリ。

ありとあらゆるところで広告を目にしているが、そのほとんどは印象に残っていないのではないか?

耳障りなBGMにしか聞こえないブランドが巷にあふれる一方で、少ないながらも、意味ある響きを生み出すブランドがある。私はそういったブランドを学問的に追究したいと思った。
本書は、企業がそういう響きを提供することの意味、他社とは異なる存在であろうとすることの意味を追究している。


○マーケティングとは

マーケティングは、企業の機能の中で唯一、ビジネスと人が出会う場として企図された機能だ

だからこそとても大切である。

そして、理屈だけでなく、人間味に溢れていなければならない。

マーケティングは、私たちが消費するものだけでなく、欲し、愛し、憎むもののためにリズムを生み出している。こうした現状は、直線的思考では理解できない。
マーケティングとはつまるところ、消費者に消費するモノを選り好みさせるプロセスだ。


○差別化とは

差別化とは何か。本書はビジネス書にありがちな具体的なアクションを提示してはいない。
私たちがあまり注意を払っていない、可能性を秘めた何かに注意を促すことだと考えているからだ。
ビジネスの世界では、差別化がすべてだ。
しかし私たちは、「違っている」ことの意味を忘れつつある。今日のビジネスにかかわりを持つ誰もが、何が「違い」になり得るかを忘れている。差別化についての考え方は、どこかが間違っている。
実際、ビジネスの世界と消費者の間に広がる意思疎通の欠如ははなはだしい。


○今日のマーケティング・差別化戦略

それでは、その間違っている今日のマーケティングや差別化戦略はどのようなものだろうか。

ビジネスにおいては、差別化はコモディティ化に抗う術だと考えられている。理論的には、競争が激しくなればなるほど、差別化への取り組みが強化されるはずだ。だが、現実にはその逆で、企業が熱心に競い合うほど、その違いは消費者の目から見て小さくなっている。

市場が成熟され、たくさんの製品で溢れかえるにつれ、競争は激化する。

そして、企業は市場調査を行うなどして、他社からの差別化を図る。

相違点を可視化するや、おかしな現象が起こる。当事者たちは、互いの違いを際立たせるのではなく、解消しようとするのだ。私にも覚えがある。これまで研究や指導法について何度も評価を受けてきたが、どんなに傑出した項目があったとしても、全体としてでこぼこがあれば、へこんでいる方を埋めたくなる衝動に駆られる。

一昔前は、日産には信頼性があり、ジープには頑丈さがあった。

しかし、現在では、どちらも頑丈さや信頼性で大差はないであろう。

カテゴリーが成熟するにつれ、中にいる企業は一群になって競い合い、予測可能な一定の方向へと向かい、異質的同質性を帯びるようになる。消費者の選択肢は急増するが、それぞれの違いはほとんどの消費者にとって無意味なものだ。
外から見ると、あたかも集団として目的をもって行動しているように見え始め、中にいる個々人の行動がわかりにくくなる。

結果として、消費者からはカテゴリー全体が群れのように同じ方向に動いているように見える。

面白いのは、群れに参加する者には、たった二つの要件しか求められない点である。第一は感知機能。周囲の参加者が何をしているか察知する。ビジネスでは、ポジションマップがこれに当たる。自社の相対的な位置づけが明確になると、近くの競合に対して過剰なほど敏感になる。第二は反応性。周囲が方向転換したら、それに合わせて調整する。群れ行動に関して言えば、基本的な行動ルールは反応性となる。つまり、近くの鳥たちが左に向かい始めれば左へ、右へとスピードを上げれば必ずそれに倣う。

一度、群れに参加してしまうと、自分たちが群れの中で行動しているとなかなか気づかない。

例えば、ボトル入りミネラルウォーターの企業は加速度的に増えてきたが、各社のスポークスマンの語る他社との違いは、消費者からすると全く度を越した、違いの分からないものだ。

「我が社のミネラルウォーターは、南ノルウェーの自然のままの帯水層から湧き出た水で、何層もの岩や砂によって汚染物質なら守られているため、他に類を見ない純粋さを保っている。帯水層からは、ポンプを使用しなくても、水が自然に地上に湧き出てくる。不浸透性の層で保護されているため、水は空気や他の汚染物質に触れることはない」
「FIJIの帯水層は、工業地域から離れた原生多雨林の未踏の生態系にある。降雨は太平洋を何千キロも渡ってきた赤道風によって浄化されている。地球上の他の地域に酸性雨や汚染物質をもたらす風とも無縁だ。真に純粋な水の味を試したいなら、FIJIを飲んでみるといい」

無意味な区別を巧みに差別化に見せかけているのが、ビジネスの現状である。

本書の原題は、Escaping the Competitive Herdであり、まさにこの群れ化から脱却することを考察している。

こうしたカテゴリーの群れ化は結果的に、私たちの意識を変化させる。

私たちは、現在ほとんどの製品において、多すぎて選べない、という状況に置かれている。

そのような状況においては、特定のブランドの”熱心な愛好家”にはなりにくく、目ざとい”買い物上手”や関心の薄い”現実主義者”になる。

つまり消費に対して、何の感情も突き動かされないマインドレスネスの状況に陥っているのだ。

こうした傾向がより、ブランドロイヤリティを獲得しにくくさせる。


ひと目でわかる違いを出せるか

今日のマーケティング戦略・差別化戦略の問題点から以下のことが言える。

差別化を実現するためには、競争ではなく、競争からの完全な脱却が必要なのだ。

そうした完全な脱却をやってのけた企業がいくつかある。本書では、それらをアイデア・ブランドと定義している。

アイデア・ブランドは競争しようとはしない。他社との比較よりも、離脱に関心を持っている。
私たちを魅了するにしても、激怒させるにしても、彼らは私たちを再びマインドフルな状態に誘うブランドである。

アイデア・ブランドには、3種類あると著者は言う。

リバース・ブランドは、カテゴリー内の拡張傾向を無視する。
ブレークアウェー・ブランドは、カテゴリーの境界を飛び越え、製品の定義に挑戦する。
ホスタイル・ブランドは、顧客を魅了する従来の原理の遵守を拒絶する。


○リバース・ブランド

リバース・ブランドは、何かが足りないが何かは多い、共存は無理だと思い込んでいたものが共存している。というような、ありそうもないものを作り出そうとしている。その根底にあるのは、好ましい矛盾語法である。

例えば、GoogleはYahoo!やAOLがトップページにどれだけ多くのコンテンツ、情報を詰め込めるかを競い合っていたときに、あのシンプルなトップページの検索エンジンを引っさげ現れた。

同様にIKEAもリバース・ブランドと言える。

頑丈さや高品質の家具屋が溢れている時代に、配送サービスも組み立てサービスもなく、全部自分でやらなければならない。IKEAは自社製品を買い換えが必要な非耐久消費財と公言している。

私たちは飽和した世界に生きており、この世界ではときに当たり前のものがない新鮮さが好まれる。

リバース・ブランドの成功例を考えると、これからの消費選好は、いま私たちが過剰に持ち、選択肢の海に溺れているものの何かを取り除くことにありそうだ。


○ブレークアウェー・ブランド

ブレークアウェー・ブランドは製品のカテゴリーや定義を意図的に従来と違うものにするブランドである。

例えば、スポーツドリンクと果汁入り清涼飲料水の原材料はほとんど同じなのに、前者はスポーツ選手の栄養補給源、後者は子供たちのお楽しみになっている。

「ほとんどの場合、私たちは見てから定義するのではなく、定義してから見ている」

この騙し絵を見て、若い女性に見える人も老女に見える人もいるだろう。

意図的に焦点を変えることでこれほどまでに見え方が違って見えるのだ。

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スウォッチはファッションの世界の常識を時計の世界に持ち込んだ。

季節にデザインが変わることや、その日の気分で好みのものを身につけることは、ファッションの世界では常識だったが、時計の世界ではそうではなかった。

キンバリークラークという赤ちゃん向けオムツの会社の例も面白い。

2歳を過ぎてオムツをしているのはみっともないというのが親たちの常識だが、キンバリークラークは「プルアップス」という製品を「幼児の下着」という別カテゴリーで売り出すことで顧客のライフサイクルを劇的に伸ばした。

下着と言いながらも使っている技術は、ほとんどオムツと同じだが、親たちは4歳を過ぎてもプルアップスを履かせることにためらいを示さず大ヒットした。

この製品のキャッチフレーズは「ぼくはもう赤ちゃんじゃない」であり、明らかに親たちの心理的な抵抗を取り除く狙いがあった。

ブレークアウェー・ブランドのポイントは、製品を別カテゴリーに移すときに、既存のカテゴリーに移すことである。

説明しなくとも、消費者がルールを知っている別のカテゴリーに移すことですんなりと受け入れてもらいやすい。

私たちは、ファッションの常識を知っているし、幼児の下着がだいたい2〜4歳児を対象とすることを知っている。

ブレークアウェー・ブランドは、ある種の招待である。新しい定義を通して製品にアプローチするよう、私たちを招いているのだ。先入観を棚上げし、過去の体験にとらわれずに試してみませんか、と誘っている


○ホスタイル・ブランド

最後にホスタイル・ブランドである。

伝統的なブランディングは、全年齢のどんな人も対象に包括的なものとなる。私たちが常日頃目にする広告たちである。平和を訴えたり、幸福を訴えたり、漠然としたイメージを伝えるものである。

コカコーラのこのコマーシャルが代表例である。

このCMが放映されていた1971年当時は、これが最も正しいやり方だった。製品の理想をうつしだし、誰でも入手できると分からせ、そしてブランドと普遍的な価値(包括性、温かさ、一体感)を結びつけている。

しかし、現代は私たちは選択肢の海に溺れており、この種の広告には食傷気味なのだ。

大げさな約束やあからさまな偽りの世界には、私たちはもはや関心を示さない。

ホスタイル・ブランドは好感度に背を向け、特定の顧客にのみ強く訴求するやり方をする。

アメリカのティーンに人気のホリスターというブランドは、特定の顧客以外は寄せ付けないようになっている。

まず、サイズが小さく、着られること自体がティーンエイジャーの優越感を持たせる。

そして、店内は薄暗く、ティーンエイジャーの挑発的なポーズのポスターが貼ってあるなど、親たちが居づらい雰囲気を作っている。


レッドブルがナイトクラブやバーで人気を得始めたとき、味の過激さな健康への影響を懸念する層やボイコット運動を起こすものがいた。それでも、レッドブルの姿勢は一貫していた。

「心配なら、飲むな」


イギリスのスーパーで売られている「マーマイト」という茶色ペーストのウェブサイトは好きな人用、嫌いな人用に分けられている。

こうしたホスタイル・ブランドのスタイルは、好きか嫌いの判断を消費者までに迫る。

それは、群れ化したブランドとは真逆であり、嫌いと判断する消費者が多数いることが余計に熱心な愛好家にとってのアイデンティティになる。

ホスタイル・ブランドはいわば宣言であり、アイデンティティの証となる


○不毛な競争へと駆り立てる慣習からの脱却

こうしたアイデア・ブランドの成功例を受け、本書は以下のように締める。

本文中に分かりやすく纏められているので、多数引用する。

差別化は考え方なのだ。姿勢であり、取り組みであり、人とのかかわり方なのだ。目新しいだけの方法ではなく、重視し、尊重し、祝福できる方法で人とかかわることだ。
アイデア・ブランドは完璧ではない。完璧とはほど遠い、極端で偏りのあるブランドだ。ゆがみに身を捧げるブランドである。しかし、私たちの矛盾を巧みにとらえるため、結局は、還元主義的なツールの欠点を私たちに教えてくれる。途方もないやり方で見返りを与えてくれる。
裕福なホワイトカラーをアウトローバイカーにするハーレー。お仕着せの美しさにうんざりしている女性に普通の美しさを見せるダウ。アップルは、傲慢なユーザーフレンドリー・ブランドだ。いずれも内部に矛盾を抱えているが、だからこそ、これほどまでに私たちの心をつかむ。私たちの内面は、縦横に進み、ぶつかっては結びつき、不均衡や逆流を生み出す複数の矛盾した真実に彩られている。それはアイデア・ブランドも同じである。
これが、実際、人の人たるゆえんだろう。ともに生きるために、内的一貫性は必要ない。私たちは、私たちにとっての真実が様々であり、整然とした秩序に従うには人生は短すぎると感じている。
アイデア・ブランドは、私たちの矛盾を糧とし、私たちの複雑さを賞賛する。私たちに不合理な喜びを与え、ロジックに合わない提案を投げかける。その過程で、消費者に対する考え方や接し方、人間に対する理解についての新たな基準を設定する。

私たち人間はそれほど合理的ではない。

完全に合理的な生き物なら、誰もタバコを吸わないし、夜中に炭水化物を摂ったりしないだろう。

どんな人にも多かれ少なかれ理屈抜きの部分がある。

差別化は手段ではない。考え方だ。姿勢であり、傾聴や観察、吸収、尊重から生まれる。それは何よりも、取り組みなのだ。そして、その取り組みを通して人々に伝える。「ええ、私たちはわかっていますとも」
まだまだ多くのアイデア・ブランドが登場する。間違いない。






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