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まえばし心の旅⑥映画館

今の様にゲームやインターネット、YouTubeなどがなかった頃、映画は大きな楽しみだった。私が子供の頃は、前橋のまちなかにもいくつもの映画館があった。駅前の文映、Qの広場となった長崎屋の隣の東映、オリオン座、そして、ちょっと離れた男性向けの前橋会館などなど。やがて、西武にWALK館ができると、その中にテアトル西友もオープンした。もう少し上の世代の方であったら、電気館・ひかり座・にっかつなどの名前も馴染みだったであろう。

特に、まちなかにあったオリオン座にはよく行った。周りを取り囲んだ自転車の合間に自分の自転車を入れ、段を登る。そうすると目に入るのは、大きな映画の看板。今から思えば、ちょっとレトロ感が漂う、独特の味わいがあった。その下のガラス張りのチケット売り場で料金を払い、建物に入ると、幅の広い階段があった。そこからいきなり暗くなり、すでに、外から隔絶された、「映画の空間」になっていた。

螺旋状の階段を上り、やがてもぎりをしてもらい、売店でお菓子を買う。定番は、森永チョコフレークかポップコーンだ。そして、大きな紙コップに入ったコーラ。映画を見るホールに入ると、独特の埃臭い匂いが鼻につく。空いている席を見つけ、「すいません」と言いながら、すでに座っている人の前の狭い隙間を抜け、目的の席に着く。さあここから2時間は、なかなかトイレに行きたくない時間だ。

「ブー」というブザーと共に徐々に電気が暗くなり、スクリーンに光が灯される。しかし、ここで期待は裏切られる。見たい映画が始まると思ったら、予告編が長々と映されるのだ。やがて本編が始まると、家のテレビでは味わえない迫力に圧倒される。大きなスクリーンに映される美しい映像、爆弾や道具などを使った特殊効果、スピーカーから流れてくる大きな効果音、そして、独特の手書きの字幕のフォント。それら全てがテレビでもなかなか見られない、壮大なスケールと非日常感を味合わせてくれた。

 映画が終わるとトレイに寄り、来た時に上がった大きな階段を下りる。階段のカーブに従って徐々に明るくなってきて、建物の外に出ると、急に感じる明るさと街の賑わいが、圧の様に迫ってきて、ちょっとクラクラしたものだ。体の中に残る映画で感じた興奮と、周囲のまちなかの日常感。そのギャップを埋めるために、すぐに家には帰れない。寄り道をして、徐々に体を日常に戻してから、家路へと向かう。

 時がたち、他の映画館がオリオン座の中に合併し、いままで2つあったオリオン座の大きなホールは半分に区切られ、4つになった。あの時は、スクリーンも小さくなり、驚いたとともに言いようのない無情感を感じた。今思えば、その頃から徐々に世間が映画を見なくなったのかもしれない。

 以前は、東京で公開された映画は、なかなか前橋までやってこなかった。いつ来るのかを楽しみに、雑誌や街角のポスターを見ながら、上演のスケジュールを心待ちにしていた。待っている間の待ち遠しい気持ちと、それに比例した前橋で上映が始まった時の喜びがあった。今、駐車場やマンションになってしまっているかつての映画館の跡地を見ると、その気持ちや、見た映画のことを思い出す。

今、あれほど何かを心待ちにしたりすることはあるだろうか。簡単にものが手に入る時代。音楽も動画も、ネットでいつでも好きな時に見られる。見逃してもオンデマンドなどで見ることができる。その代わり、時間の大切さが蔑ろにされていないだろうか。もう一度、楽しみな何かを待つことや、手に入れた時の喜びを思い出し、やっとのことで得た、楽しんでいる時間の大切さを感じてみたい。

放送日:令和3年5月12日

音声データはこちらからお聞きください。


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