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はじめの生い立ち24〜27:出会いと退社

出会い

建設業時代の同業のよく知っている方が、飲食業界に転身し、前橋のまちなかでお店をされていました。

この方とは、お互い創業一族にありながら、お互いの社内で自分の想いがなかなか表現できないという境遇が似ており、勝手にシンパシーを感じておりました。ですので、その方が業界を離れたことは大変ショックでしたが、開店されたお店には、しばしば顔を出していました。

そのお店である時、「こんにゃく宴会」なる飲み会が開かれました。

それは何かというと、前橋のこんにゃく会社の社長さんが、「日常生活でこんにゃくを普通に食べてもらえるメニューを提案したい」という趣旨で、あるシェフの協力を得て、パーティーを開催したんです。それが「こんにゃく宴会」なんです。

その宴会で、出会ったのが、今の家内です。

たまたま近くにいて雑談をしているうちに、印刷物のデザインなどの話になったんです。ちょうどその頃、以前お話をした着物を着るイベント「和time」のフライヤーを作ってくれる人を探していたんです。その話をすると、家内が「私が作りますよ!」と言ってくれて、数日後に打ち合わせをしたんですね。それから食事に行く様になったのが、きっかけです。

家内は、保険の仕事の傍ら名刺やチラシ等の作成も行っていて、なかなか良いものを作ってくれます。

この時も、3つくらいの案がきたのですが、想像をかなり上回る、というか、とってもいいものが送られて、おかげで素敵なフライヤーができました。

帯状疱疹

その後のある夏の出来事でした。
耳の前、メガネのツルが当たる辺りから、膿の様なものが出てきました。

きっと虫にでも刺されて、ちょっと膿んだのかも、と、放っておきました。

数日経つと、右目のまぶたから上に向かって15cmくらい、膿んだ様な出来物が出来て、顔全体が浮腫みました。

ちょうどお盆で、どこのお医者もお休み。

2日後くらいに当時のかかりつけのお医者さんに駆け込むと、「帯状疱疹」との診断。

「なんでもっと早く来なかったの!」と言われたけど、心の中で「お盆休みでやってなかったでしょ!」とつっこんでいました。

場所的に、視神経に影響があれば失明の可能性もあるということで、眼科の診察も受けました。

この一ヶ月ほど前に、初めての痛風の発作も起きていました。

どうやら、精神的なストレスにより、代謝の低下と抵抗力の低下が起き、そこに尿酸値が高い遺伝的な体質や、子供の頃に水疱瘡を患っている経緯などから、こういった症状が一気に出た様です。

このことをきっかけに、初めて自分の心の声に耳を傾ける様になりました。

ちょっとグロテスクですが、その時の写真です。

覚悟してご覧ください

2014-08-17 21.08.11のコピー

自分の幸せ

体調を崩して初めて考えたことは、自分の人生の幸せでした。今まで考えたことがありませんでした。

ずっと、会社のことや身内のことを、自分よりも優先してきていました。自分が我慢をすればいいんだ、と思い続けていました。

世間的に自分がみられている立場と、実際の社内での立場などのギャップや、外から受けるものと自分の中に生まれるものの摩擦、そういったものが自分を精神的に追い詰めていたということに、初めて気づきました。

そういった精神的なストレスが、体調不良という形になって、表に出てきたんだと思います。

この時38歳でした。ちょうど約80年の人生の折り返し地点が見えてきました。

人生の最後に、「幸せだった」と思える人生を送りたい、と思いました。

じゃあ、何が僕の幸せなんだろうか、と考えた時に、お箏だったんです。

決して会社が嫌になったというのではないんです。会社の仕事は自分なりの仕事の仕方を見つけ、マイペースながらも真摯に取り組んでいました。でも、お箏の方が、自分にとってより充実した人生になと思ったんです。

結婚前でしたが、家内も背中を押してくれました。

そして、いろいろな調整をして、平成27年春、15年間勤務した会社を離れました。

次回、生い立ちシリーズの最終回はこちらからご覧下さい。


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