そして、これからも走り続ける
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そして、これからも走り続ける

ヤマバヤシ タカシ

思えば、スポーツとは無縁の人生であったかな、と。
そう。42歳の、男子の厄年の頃までは。
無縁というよりかは、大の運動音痴であったことも手伝って、
そもそも忌み嫌い、出来ることならと回避してきた。
2021年に50歳を迎えたワタシであるが、今は少し事情が変わっている。
「ご趣味は?」と聞かれると、「ジョギングです」と応えている。
ランニングです、と応えられるほどのスピード感がないので、
ジョギングということにしているが、かれこれ10年近くは続いているので、
趣味という位置付けにしても良いのでは?と思うことにしている。

そんなワタシにとっての「#スポーツがくれたもの」とは。
アスリートでもなんでもないワタシがいうのもおこがましいが、
「生き方を変えてくれたもの」であると言って、差し支えないと思っている。
文字通りに、走り始めてから人生そのものが好転していったのである。

走り出す前のワタシはと言うと

冒頭でも触れたが、小学生の頃から、大の運動音痴であった。
幼少の頃は割と細身であったのだが、低学年の頃あたりからか、
いわゆる肥満児になってしまっていた。
球技をすれば鈍臭いし、はたまた泳ぐこともできなかった。
跳び箱も跳べた試しがなく、「跳び箱の向こう側の世界」を未だ知らない。
鉄棒も全くダメで、逆上がりさえできた記憶が、全くもって無い。
もちろん足も遅く、思い起こせば学年でもビリッケツであった。

そのことは中学・高校でも継続することとなり、
いわゆる部活動も当然ながら帰宅部であったし、変な知恵もついたのか、
サボることも(きっちり)覚え、ますます運動とは縁遠くなっていった。
大学受験に一度失敗し、浪人生活に突入した時は、人生で最も太っていた。
確か、体重計の針が一周したことさえあった。
晴れて大学に合格した際は、合格掲示板の前で胴上げしてもらうことはなく、
そういえば、露骨に拒否られたなあという記憶がある。

翻って、大学生となると、運動音痴は相変わらずであったが、
結構、ダイエットには成功した。文字通り“半減“したのである。
浪人生活から開放され、女性にモテたい!というリビドーは物凄かったのだが、
とはいえ、決して運動で痩せたわけではなく、食事制限によるものであった。
かなり無理したせいか、大学に入学してからの体育の時間に転倒し、
右腕を骨折するというアクシデントに見舞われてしまうことになった。
そう、ワタシはずっと体育の授業が嫌いなまま成長し、
その流れで、スポーツも決して好きなものではなかったのである。
(スポーツ観戦も含めて、である。)

大学を卒業し、社会人となってからも、運動嫌いは変わることはなかった。
ただそこに、仕事による“不規則な生活“が待っていた。
若い頃はさほどでもなかったのだが、歳を重ねるにつれ、
代謝の低下もあってか、痩せにくくなっていった。
(過剰な飲み食いもあり、代謝だけではないと思うが。)
それでも騙し騙し凌いできたが、身体が、そして大袈裟にはなるが、
人生そのものが、悲鳴をあげることになってしまった。。。
男性の、いわゆる前厄となる41歳の年のこと、とうとう入院を余儀なくされた。
気管支喘息に、睡眠時無呼吸症候群、そこにうつ病まで加わった。
しばしの入院後も、会社を休職せざるを得なくなり、
何というか、全てが終わったと、真剣にそう思わざるを得なかったのである。

少しずつでも走り出そうと思い、フルマラソンを目指す

かれこれ、3年近くは休職することとなり、とりあえず復職は果たすも、
これまでのように仕事が出来なくなってしまった。
ここに家族の介護が重なったこともあり、正社員から契約社員にスイッチした。
スイッチせざるを得なかったのか、スイッチさせられたのか。。。
こういった諸々あってか、さすがのワタシも色々と想うようになった。
そして、人生をリセットし、何もかもを変えてしまいたいと想うに至った。

「ミニマリスト」が流行語にノミネートされた前年の2014年10月。
実家に戻ったワタシは、断捨離を筆頭に「人生の大掃除」を決意した。
実家の家族のものも含めてであるが、軽トラックで3台分くらいの荷物を
手放したのを皮切りに、売れるものは売りまくったりした。
(ミニマリストを志す人間は、過去にはマキシマリストであることが多い。)

ただ、こういう目に見えて分かりやすいものは、手放すのも割と容易である。(他方で、得やすいことにも気付かされるのであるが。)
他方、断捨離を進めていく中で気になったのが、自分の身体周りのことである。
これまでの不摂生とともにこびりついてしまった体脂肪こそ手放したい!
そこでワタシは、ウォーキングから始めることにした。
食生活の見直しも必須であるとはいえ、大学時代の苦い思い出もあるので、
ここはやはり、運動無しでは厳しいのではないか?と考えたのだが、
兎にも角にも、運動嫌いで運動音痴なので、まずは独りで出来て、
あまり道具とかを必要としないものが良いだろうと思った次第である。
ただ、思い起こせば、とにかくしんどいところから始まったのを覚えている。
すぐにタクシーを使うタイプの人間だったので、動くこと自体がキツかった。
その一方で、自分を変えてしまいたいという想いも、それなりに強かったのか、
徐々にではあるが、(スピードはともかく)距離は伸びていったのである。

こうなると、無謀かもしれないが、「レース」の類に出てみたいと思うようになり、地元の「堺シティマラソン」の10kmランを目指すことにした。
当時は未踏の距離であったが、勝手知ったる生まれ故郷を走ると言うのは
なんとも言えない新鮮な気持ちであったのを覚えている。
それに加えて、沿道の方からいただく応援には、かなり勇気づけられることを
この初めての大会で知ることとなった。
タイムは、かなり平凡というか遅い方であると思うが、達成感は格別であった。

こうなると、人間というやつは欲が出るというもの。
次はハーフマラソンに出るぞ!と思い立ち、2019年の泉州国際マラソンの、
ハーフの部に出場することにしたのである。
途中に足切りがあることに加えて、とにかく長い距離である。
さてさて?と思ったが、杞憂であった。
勿論、辛さはあるものの、距離に比例してか、応援と達成感は大きくなる。
2時間半近く時間を要したので、フルマラソンの選手ならゴールしている時間であることを思うと、選手の皆さんには素直に頭が下がる思いであるが、
ワタシとしては、何より完走できたことが大きな自信となった。

さてさて、お決まりではあるが、こうなると、である。
やはり、いつかはフルマラソンに出てみたい!と気持ちが向いていく。
思えば、我ながらものすごい変化であるな、と。
人気の大会は競争率が激しくなるが、運の良いことに、
同年の大阪マラソンに出場できることになったのだ。
休日は勿論のこと、会社のある平日も、仕事は定時に終えるようにして、
大阪のランナーたちの聖地(と勝手に呼んでいる)大阪城公園に行って、
独り黙々と走るようになった。
本格的にトレーニングをしている人たちには敵うはずもなく、
時には、明らかにワタシより年配の方にも抜かれてしまうことも多々あるが、
あまりそのことは気にならず、ワタシなりのペースで走り続けて、
心地よい疲労とともにランニングを終えることに悦に入るようになった。
一方で、形から入る人間の特徴ではあるが、シューズやユニフォーム選びには
妙なこだわりを持ちつつ、これまた楽しんでいたのである。

そして、大阪マラソンの日。
周りに引っ張られることなく、むしろいつもより遅いくらいのペースで
とにかく完走するのだ!と思っていた。
大阪の風景を、普段はまず見ることのできない大通りから眺め、
名所などを横目に、大阪の方々の情のある声援を受けて走るのが、
しんどくとも、なんとも言えない心地よさがあった
ただ、フルマラソンの距離というのは、練習でも未経験であったので、
確実に歩は進めてはいるものの、これって終わるのか?との想いもあった。
道中、恐れていたのだが、太ももに膝に、痛みを覚えるようになってきた。
これは堪らんと思い、走るのを辞めて、歩くこともあった。
ただ、棄権をするつもりはさらさら無かった。
沿道から、大阪のオバちゃんが、普段から常備している(っぽい)飴をくれる。
はたまた、台湾の方であろうか、エアサロンパスを振り回しながら、手招きしてワタシを呼んでくれて、思いっきり吹き付けてくれた。
(台湾国旗を振られていたので、おそらく)
そして再び、走り出しては、また歩いてしまったりはするものの、
残りの距離の表示を見るたびに、自分を鼓舞し、足だけは止めなかった。
そして。
大阪城にゴールインし、どうにかこうにか完走することができた。
ドッと倒れ込んだりするのかなとも思ったが、意外と歩くことができた。
他方、涙が溢れて止まらなくなったのも、これまた意外だった。
人生が走馬灯のように、というわけではなかったが、ランニングを始めてからのことや、道中でのことが思い返され、なんとも言いようのない気持ちになった。
ただ、しんどいとか辛いとかはどこかに去ってしまっていて、
次はどこを走ろうかと想いを馳せている自分が居るのが分かった。
「変われば変わるモンやな。」と思わず笑ったのを思い出す。
この、他では得難い体験を、心のどこかで求めているのだろうと思う。
それだけ、貴重な経験を、フルマラソンはもたらしてくれたのである。

そして、これからも走り続ける

まず、走り出してから、わかりやすいところでは、体型が変わった。
標準体重まではあともう少しではあるが、随分と軽量化が図れた。
こうなると、日常の生活が変わってくる。
食べ物については、それほどストイックにはなれないにしろ、
少しは気を使うようになっている。
アプリに入力したりと、途切れることもあるが続いている。

あと、時間の使い方についても然り。走るための時間を捻出するのに、
どこかの時間を削らないといけないことに(今更)気づいて、
無為な時間の過ごし方にもメスを入れるようになった。

さらには、仕事との向き合い方も変わったと言えるだろう。
ダラダラ残業はせず、時間内に仕事は終わらせる一方で、
積み残しや漏れはないようにと、確実性もアップしたと思う。

その日一日が、平日が、休日がと、このように変わってくると、
生き方が変わったというのも、大袈裟なものではないと思える。
人生の底の底まで落ちて行ってしまって、そこから変わろうとして
一歩を踏み出してから、フルマラソンの完走まで。

とはいえ、これが終わりではない。人生は、まだまだ続いていく。
そんな中にあって、ワタシはまだまだ、走り続けたいと思う。
誰かと比べるのではなく、ワタシの中で自己ベストを更新できれば。
ただ、独りで黙々と走るのも良いけど、誰かと走るのも良いかもしれないなと、
ちょっとした心境の変化もある。いずれにしても、楽しんでいるワタシが居る。

今はまだ、コロナ禍の真っ只中である。
昨年から、マラソン大会も中止が相次いでいる。
それでもそう遠くない先には、また大会に参加できるようになるだろう。
その日まで、きっちりと準備しておきたいと思う。
今より、もう少し先に、ワタシはたどり着いてみたいのである。

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ヤマバヤシ タカシ
大阪・堺の生まれ&在住。介護職/執筆家/旅人/ランナー/ミニマリスト お金と時間を整えて、執筆を続けている。 https://linktr.ee/Takashi_Yamabayashi