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なぜ過去の発信と矛盾する発信をするのか

どうも今回は過去の発信と矛盾する内容をどうして気にせずに発信をゴリ押すのか非常に不思議なんですよね

もちろん過去の発言をすべて覚えているなんてことはないので、矛盾が発生すること自体は仕方ないと思うのですが、それを矛盾していないとゴリ押すのは本当になぜなのかと不思議ですね。過去はこう思っていたが、現在は変わった、または考え方は変わっていないがこの発信は矛盾しているみたいなことはすぐに修正すればいいだけなのにそれをしないのはどうしてなのだろうか。

思い違いとか勘違い、考え方が変わるなんてだれでもあることなのにそれを否定すると完璧超人になるしかないがそんなことができる人間なんていないですからね。

観測範囲で考えるに強い言葉を発したり、主語がやたらとでかい人にその傾向があるので、自分の考えを曲げることは許せないという人なんだろうなと観測をしています。その発信は人によってはすでにあらぬ方向に曲がりくねっているのですが、本人とその周囲はまっすぐな発信だと思っているから強弁するのかと思いますね。

発信が意図と違う受け取りをされることはある意味仕方ないですが、なるほどそんな受け取り方するのかと興味深いサンプルになるし今後の発信で気をつけるきっかけになりますから自らと違う感性の人は自分の考え方の修正のきっかけになります。正しさの補強にもなり得ますが。この世で絶対的に正しいことなんてないですから。正しさの補強で悦に浸るのはほどほどにしておかないとですね。

観測してて思うことは、大多数は矛盾自体はそこまで気にしないと思っていますが、ダブルスタンダードみたいになってくるとそれはちがうでしょうとなるかなと考えますが、普段から強引に進んでいくとそれも見えなくなるのか、聞いてみたいそんなことを思います。

X(Twitter)なんてそんなあちこちでケンカが起こりまくっている世界なのでみてもいいことはあまりないですが、枯れ木も山の賑わい的に感じで見てしまうものです。…いや、やっぱり見なくてもいいや時間の無駄ですね。

受動的コンテンツは区切りをきっちりしてみる分にはいいですが、なんとなく見るのは時間泥棒の沼にひきづりこまれるので容量用法を守って見るのが大切ですな。

今回はSNSで時間泥棒されて思ったことを書きましたが、不思議だが、誰でも陥る可能性があるので考えるきっかけになり、気をつけていこうと思います。

今回は以上です!それでは!!

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