三ヶ月排気口ワークショップが終わった話。

 まだ暖かいうちに始まり、めちゃくちゃな寒さの中で終わりを迎えた三ヶ月連続のワークショップ。コロナの状況下の中で小人数で行われた愉快な集まりもこうして終わってみると微かな寂しさを覚えます。が、にしても3本書き下ろしはめちゃくちゃに疲れました。はちゃめちゃに大変でした。自分で言い出した手前、自分が憎い。自分がここまで憎かったのはもしかしたら生まれて初めてかも知れないってぐらいに自分が憎かったです。まあとりあえず無事に書き終わり、ワークショップも終わり、ホっと一息ならず、百ぐらい息をついてます。

 改めて参加者の皆さん、ありがとうございました。そして波止場石郷愁氏と澁谷圭一氏の両氏にも感謝。ありがとうございました。

 てんやわんやしていた4月から5月に比べて倍以上の感染者数を記録する今日のてんやわんやシティ東京に住んでいる身としては、この輪郭のない、てんやわんやというムードを未だに掴み損ねている事を正直に吐露致します。

 慣れは人間の環境適応能力の最も普遍的でオールマイティな魅力ですが、それは半身腐ったゾンビになっても動き続ける呪いでもあります。単純な推移は上がりつつあるにも関わらず、数値の上でしか非日常を映していないかのような錯覚を覚えます。その錯覚と上手く騙されるのもまた人間の魅力ではありますが。

 ごく身近な人たちにはこのワークショップで書き下ろす台本はコロナに対する自分の所感を書いてみるつもりなんだへへっ・・・。みたいな感じで言っていましたが、実際はそんな事にはなりませんでした。10月のワークショップ台本は前回の新作短篇『サッド・ヴァケイションはなぜ死んだのか』(というか今年はこの1本と長編しか排気口は新作を発表してないのか・・・)から漏れた勢いみたいなのを掻き集めて、割と排気口の次の新作短篇の原型になるようなものを書こうと意気込んで書いたのです。振り返ると10月は5日間ぐらい時間をかけて書いた覚えがありますが、11月・12月はどれも1日で書き上げました。私の怠けが締切ギリギリまで私の身体を支配していたのです。

 10月の台本を書き上げた時に、自分は本当に直接的な現実を書く事が出来ないのだなと半ばスッキリした気持ちになりました。それと同時に、書きたいものが無くなって11月・12月はどうしよう・・・と途方に暮れました。私はよく途方に暮れます。

 そこで私は10月の台本の基本的な構造、つまりは人物の登場するタイミングやいなくなるタイミングを殆ど同じにして尚且つ違う話を11月・12月に書いてみようと思いついたのです。このようなしちめんどくさい制約を自分に課す事によってさらに自分を苦しめようと思い至り、予想通り非常に苦しんでめでたしめでたし。

 私は台本を書くときにプロットや箱書きを一切書きません。適当に冒頭3ページ辺まで書いて、そこから、さてどうしようと悩みます。2日間ほど悩んでも書けなかったら、その冒頭は間違っていたという事で、また新しく適当に3ページ辺りまで書きます。それを繰り返していく内にいつの間にか気づいたら折り返しまで書いてあって、あとは力を振り絞って本気の適当さでもって結末まで書き上げるというのが常日頃です。

 これは私の自論ですが台本に力を入れすぎると、余り面白くありません。なんでこんな風な事を書いたんだっけ?と自分で思ってしまうぐらいがちょうど良かったりします。やっぱり台本は答えではなく、ひねくれた問題であるぐらいが相応の身の振り方ってもんです。というか書き上げればなんだって良いんです。

 集まる事がどうしたって困難さと不安がつきまとう状況です。それでもマスクをしながら、手洗いをしながら、開戦前夜のような緊張を少しだけもちながら、私たちは集まる事を禁じえない。それは想像力の欠如では無く、幾多にも広がる想像力とワクワクの枝葉であると、どうか皆さんにも信じて欲しいと思います。面白さは1人でも出来る。でも違う面白さ、1人では出来ない面白さも存在する。他方を否定して他方を肯定するやり方よりも、どちらをもできる限り受け入れながら、どんな姿でも乗り越えてみる。困難さや不安はその後に待っている眩しさの為の暗さでもあります。やってはいけないのはその姿を嗤うことです。そんな人は中島みゆきに叱られて下さい。

 また会えると信じています。参加者の皆さん。本当に。今度はまた新しい台本で。皆さんの姿が何か絶対的なもので演劇は駆動していないことを雄弁に語っていたと私は思います。色んな人の自由に形を変える液状の欲望こそ、私は好きなのかもしれません。

 来年も続くコロナの状況は、組織や劇団の力や機能を無効化していきます。或いは相対化されていきます。何に?漠然としたムード、或いは、現実的な困難さに。その時に出来るだけ身軽に、出来るだけ笑えるように、くだらなく、欠伸なんてしちゃって、渡り鳥のような忍耐でもって。

 出来ればこのように思って頂ければと思います。コロナによって演劇は奪われてはいないと。少しだけ重い友人が出来たと。少しだけメンドくさいクラスメイトだと。何とか上手く一緒にいなきゃいけないのです。仲良くなろうとは思わなくてもいいけど、仮想敵にしても余り良くないと思います。何故ならそれは、そうは思わない人への排他的な態度、或いは、攻撃的な言動に容易に繋がるからです。奪われてはない。何か別の方法がある。放課後に集まってする文化祭の会議のようなお手軽さで、渡り廊下での深刻な打ち明け話のような感じで、今、思い浮かべられる方法をどうか抱きしめられるように、その時に手から良い匂いがしてたら最高さ。だから手洗いは欠かさずに。ちゃんと石鹸でね。

 ねえ、あの時は大変だったんでしょ?そうだね、みんなマスクをしてたよ。今じゃ考えられないね。そうかい?今だってマスクする人は沢山いるよ。あの時、貴方は何してたの?あの時は演劇のワークショップしてたよ、後はお酒を呑んで煙草を吸って本読んで音楽を聴いてたそれからくだらない話もしたよ。それって最高ね。でもその裏では大変な思いや悲しい思いをしてる人もいたよ、苦しんでる人も、そんな事を言葉にも出来ない人だっていたんだ。その人たちは今はどうしてるの?分からない、全然分からない。でもそれが今に繋がってるんだ。今という時間に。何か出来ることってあるかしら?ないよ、具体的にはない、だからいつでも心の片隅で備えるべきなんだ、自分だったらどうするべきかを、それが誰かを傷つけないか?でもワクワクは出来るか、こんな具合に。それって意味あるの?それも分からないけど、意味はあとの世代が考えてくれるさ。無責任ね。

 なんだかどんよりしちゃった。それに答えなんてあるのかしら?

 ないよ。

 なんだか怖くなってきちゃった。何回だってこうやって繰り返すのよね。

 そうだね。

 嫌よ。怖くて、不安だわ。何もかも終わりみたい。

 古いレコードをかけよう。あの時はちょうど、なんだかスケボーに乗れもしないのにスケボーの事ばっか考えてたんだ。で、そうやって音楽も聴いてた。色んな音楽を聴いてた。

 なんで?

 好きなものや面白いものがいつまでも残り続けるって信じてみたかったんだ。どんなに年を重ねようと、どんなに悲惨な状況になっていこうとも。エルレガーデンが呪文の様に歌っていたの覚えてる?

 え、なんて?上手く聞こえないわ。

 ああ、そっか、そろそろ時間みたいだ。

 なんて?

 粉ポカリは薄めるのが基本だよ。

 うん。

 夏場は特にね。

 うん。

 それから、自分の全部を、色んな人に理解して貰う必要なんてないよ。

 

 

 

 

 

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