排気口通信『夏の終わりと秋の始まり』

 かつて私にも怠そうに首を振る扇風機が生み出す冷風を浴びながら、冷奴片手に甲子園の中継を眺めていた夏の午後があった。特段に野球が好きという訳ではない。ルールもよく知らない。インフィールドフライ?タッチアップ?ホームスチール?

 キリンジの名曲『ポップコーン』にはこのような一節がある。「左利きの風来坊 竜巻のようなフォームは 左利きの風来坊 俺も真似たものだぜ」キリンジの天才兄弟は弟泰行くんの曲である。どうやらパ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得した野茂英雄の事を歌っている。とは、大方のキリンジファンの見方である。かくいう私もそう思っていたのだが、実は野茂は右利きなのだ。それなら左利きの風来坊とは一体誰なのか?2番の歌詞にあるように「左利きの風来坊 この星に降りたエイリアン」なのかもしれない。

 このように、あの曲はあのことを歌っている。この曲はこのことを歌っている。と思い込んで、さて勘違い、あれ?どうやら違うぞ。という事が時々小さなハプニングとして起こる。些細で少しばかりの苦笑と喜びが混ざりながら。

 けれどもどうにも厄介なものだ。思い込みや勘違いというものは。幽霊みたり枯れ尾花。という言葉があるように、私たちは何かを思い込んだり、勘違いしたりするのは、何も珍しい事ではない。枯れ尾花をみて幽霊と思い込んだり、夜道は雨を打つ音を誰かの靴音を勘違いしたり。しかし当の本人はすっかり怯えているものだから余計に厄介だ。あの角に女が立っていると怯えた顔で言われて見に行ったらただの捨てられた鏡で、自分の姿がその鏡に写っていただけ。そんなくたびれるような体験をした事が私にもある。

 この世でまことしやかに語られる怪談の殆どはそんな調子で、実はなんてことないただの勘違いや思い込み。そんな風に考えながらも、結局はビビりまくり、夜にはお手製の魔法陣を作っては震えながらベッドで縮こまる。そんな私はやぎ座のA型もっちろん霊感ゼロ。夏は怪談と意気込むがすぐに怖くなって、泣き出す代わりに飲酒、飲酒、飲酒。震えだすのを誤魔化す喫煙、喫煙、喫煙。夜半を待たずに泥酔して寝落ち。夢の中でハイボールで出来上がった三途の川を渡る。

 かつて存在したそんな暮らしも秋の落ち葉で埋まるように。私たちは夜長を過ごす準備をしだす。夏に巻き起こったドキドキするような事件も、ワクワクするような時間も、永遠の哀しみも。すべて忘れてしまった様に。

 秋の涼風に吹かれて上着の襟を立てて歩いていく。「私たちは何だかすべてを忘れてしまうね」思い込みや勘違いなんかより、もっと、ホントに。あれ?君の利き手は右だっけ?左だっけ?みたいな具合に。でも君が風来坊なのは変わりない。いかなるピンチの嵐でも、小指で弄ぶんだろう?

 

 

 

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