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【不登校体験談】Part2 高校時代、1年間の不登校を経て同じ学校に復学した経緯  ~高校2年生編①~

こんにちは。はいいろペンギンです!。
今回は不登校体験談パート2ということで、一番きつかった高校2年生の時について書いていこうと思います。(長くなりそうなら、分けます。)
高2は最初の2日間を除いて、1年間学校に行けませんでした。
その時の状況や気持ちを書き留めます。
少しでも当事者の方、親御さん、教師の方、うつ病の方々の助けや参考になれば、嬉しい限りです。

また、この記事はパート2になっていますので、まだの方はよろしければパート0、パート1を先にご覧いただくと分かりやすいかと思います。
・パート0(中学時代編)はこちら↓

・パート1(高校1年生編)はこちら↓


はじめに


テーマが「不登校」なのでどうしても暗い話になってしまうことは避けられないのですが、その前に伝えたいことがあります。
それは、
不登校になったからこそ学べたこともたくさんあったし、自分が苦しんだからこそ他の人に優しく出来るようになったということです。

私自身も苦しかったけど、でもおかげで自分のことを良く知れたし、周りの人が辛そうだったら積極的に助けられるようになりました。

今では社会人になって同じように引きこもるより、学生のうちに経験出来てむしろよかった、ラッキー!と思っています。

真面目すぎる性格、自分の中に不安を抱え込んでしまうクセ、「いい子」に見られたい気持ち。不登校という経験は、これらを見つめなおす機会をくれました。また、開き直って、プライドを捨てて生きていくきっかけになりました。

私の場合は1年間休んだ後、同じ学校の1つ下の学年に混じって再スタートを切ったわけですが、不登校になったことにより、プライドを捨てることができました。素直に人のすごいところを認めて、心から褒められるようになりました。私には不登校という経験が必要だったのだと思います。

もちろん、今でも不登校時代の経験を完全に克服できたわけではありません。未だに調子が悪くて家から出られない日や大学の授業を休んでしまう日があります。おそらく引きこもる前と同じ状態にはもう戻れないでしょう。だから、弱い自分を受け入れて生きていくしかないのだと思います。自分なりのメンタルコントロール法、ストレス発散法、信頼できる友人、自信を持てる何かを見つけて一歩ずつ進んでいくしかありません。

しかし冷静に考えれば、一旦社会のレールから外れてしまった私たちにはもう怖いものはないはずです。自分を必要以上に責めないでください。一緒に少しずつ前へ進んでいきましょう。もちろん、後戻りしたって大丈夫です。

不登校になることは、悪いことじゃない。不登校の経験は、将来必ず誰かの役に立つ。私はそう信じています。

高校時代のマイヒストリー


高1:4月から、部活も勉強もめちゃくちゃ頑張る。その結果8月末から10月中旬まで1か月半ほど休んでしまい、そのあとからおかしくなる。
高2:始業式とその次の日に行っただけで、あとは学校に行けなかった。
高2(2回目):1学年下の子たちにまじって、時々休みながらも1年間通うことが出来た。
高3:文化祭準備や周りの受験ムードで精神が疲労し相当きつかったが、何とか卒業できた。また、ラッキーなことに志望校にも受かることが出来た。


4月 引きこもりはじめ


4月になって心身が疲弊しきっていた私は、始業式と離任式の日に行ったのち、授業が始まる日から学校に行けなくなりました。

最初は「今日は行けなかったけど明日は。」「今日もいけなかったけど、まだ今なら風邪だったことにできる」「2週間休んでしまったけど、まだ間に合うかも」と何とか挽回策を考えていました。
でも行けない日が続いていくと、昨日「明日こそ行く」と決めたのに今日も行けなかった自分が嫌になり、どんどん自己嫌悪に陥り始めました。行けなかった日数が増えていくほど、自己嫌悪の度合いが増し、どんどん自分が嫌いになり、どんどん自分を責めるようになりました。
別に学校が嫌いなわけでも、嫌なクラスメイトがいるわけでもなく恵まれた環境にいる自分が、なぜ学校に行こうとしても行けないのか。もっと頑張れよ、気合を出せよと自分の頭の中で何度も考えて鼓舞しようとしました。でも朝になるとどうしても学校に行く気になれず、体も動かず、そんな自分が本当に嫌いでした。

朝は、布団の中でただひたすら時間が過ぎるのを待ちました。時間を見てしまうと「今から1時間目か。」「2時間目が始まったな」と考えてしまうので、目覚まし時計は反対側に向けました。

母が起こしに来ると、布団に閉じこもり、寝ているふりをしました。布団をはがされても、寝ているふりを続けました。母には申し訳なかったと思っています。でもその時は本当に辛かったので、正直詳しくは覚えていません。とにかく、頭で分かっていても動き出せない自分に腹が立って仕方なかったです。

部活の話


さらに私は部活動をやっていたので、同期や先輩、そして入部してきた後輩にどう思われているかが怖くて仕方ありませんでした。(本来みんなすごく良い人達です。好きなメンバーでしたし、尊敬もしていました。)
2年生が中心となって部活を支えていかなければならないのに、そんな重要な時期に同期に負担をかけている。先輩の最後の試合になるかもしれないのに、一緒に練習できていない。ただ心配をかけているだけ。前と同じことを繰り返している。どれだけみんなは困っているだろう、どれだけ迷惑に思っているだろうと気が気ではありませんでした。そのことは痛いほど分かっているけど、どうしても行けないんだ、ごめん、ごめんと思いながら泣いていました。

しかも4月末には、上の大会につながる試合がありました。もちろんそのことは理解していました。そしてペアのいるスポーツだったので、「学校に行っていなくても、試合には行かないとダメだ」「せめて部活にだけは顔を出さないと。みんなに謝らないと。後輩に自己紹介しないと。」と感じていました。(今考えたらひどい精神状態です。)
しかし試合前になってもやはり学校に行けず、部活だけ行こうと思っても怖く、運動する気分にもなれず、やっぱり無理でした。

試合前日になりました。
ペアの子は本当に優しい子だったので、後輩と組んで出ることも出来るのに、「○○(私の本名)と出たい。出来たら来てほしいけど、もし出られなくても大丈夫。」と言ってくれました。本当に救われました。優しすぎて涙が出ます。なんて心の広い人だったのでしょうか。

でも一つ問題がありました。その子は高校1年の間ペアが次々と変わりバタバタしていたために、高校に入ってから公式戦に出たことがありませんでした。私は、「どうしても出なければ申し訳ない。這ってでも行かなければ。」と追い込まれました。

しかし冷静に現実を見ると、学校には3週間くらい行けておらず、部活にも顔を出せていない状況。練習は全くできていません。1日中寝転がっているのが精いっぱいです。勝利するために試合しに行くなんて、とてもじゃないけど無理な精神状態でした。入部してきた後輩の顔も分かりません。「本当は先輩が5人いるらしいのに、4人しかいない。あと1人は誰?なんで来てないの?」と思われているんだろうなと怖くて怖くて、部活のメンバーには合わせる顔もないと病んでいました。
結局試合前日には行くかどうか答えは出せず、寝ました。めちゃめちゃ苦しかったです。

当日の朝。起きましたが、やっぱり、無理でした。表情は死んでました。
ギリギリまで考えて。泣きながら「本当にごめん。無理だった。試合出れない。本当にごめんなさい。」とLINEをしました。
結果、試合にエントリーしたものの棄権扱いです。ケガをしたわけでもないのに。もうどう謝罪すればいいのか分かりませんでした。ペアの子が本心ではどう思っているのかも、怖くて考えたくありませんでした。
思い出すのも苦しい黒歴史です。

自己嫌悪が進み、さらに状態が悪化


そしてその後、自分のことが更に嫌いになった私は、さらに心身の状態が悪化しました。一般的に、「自信をつけるためには自分との約束を守るといい」と言われていますよね。その真逆です。
決意するのに、どうしても実行できない自分。「明日は行こう」「明日こそ早く起きよう」「明日こそ!」と心に決めても、朝になるとやっぱりできない。「今日も無理だった」「今日も無理だった。」「今日も無理だった…。」と自分との約束を破り続けるという状況でした。自分のことをどんどん嫌いになっていきます。

もうみんな私のことを嫌いになっただろうな、顧問の先生もあきれているだろうな、クラスの子たちも、不審に思っているだろうな、もう風邪だったなんてごまかせる期間じゃなくなってきたぞ、どうするんだよ、このまま一生ニートか?みんなの脳内から私の存在を消したい、記憶を消したい。と、頭の中だけがネガティブ方向へ無駄に回転していました。ポジティブなことは一切考えられませんでした。(ちなみに考えている間もひたすら寝転がっていました。)

昼夜逆転


こんなことを1日中考える日々になり、ついに夜眠れなくなりました。「早く寝ないと」と思って10時に布団に入っても、朝の4時までずっと意識があります。寝ようとしても寝られません。
そして4時を過ぎると次は、強烈な眠気が襲ってきます。気合で打破できるレベルの眠気ではありません。病的な眠さです。沼の奥底に引きずり込まれるような意識の遠のき方をします。
親が起こしに来ても、カーテンを開けられ朝日がまぶしくても、日光が当たって汗ぐっしょりになっても、瞼を開けることすらできませんでした。寝ている間、意識は吹っ飛んでいます。
※私は本来早起きが得意で、5時半や5時に起きて勉強していたこともあったような健康的な生活をしていた人間です。早起きの際、眠くても気合を入れて自力で起きることが出来ていました。なのにこの有様です。
かなり異常な眠さだったことが伝わるでしょうか?

そして、午後12時か13時台に起きていました。(起きても全く気持ちのいい目覚めではありません。どうしようもなくのどが乾いたときに起きれるくらいです。頭は重く、体を縦向きにするのがめちゃくちゃしんどいです。)
そして1階に降りて朝食兼昼食を食べ、母と同じ部屋にいることが気まずすぎるのですぐにフラフラと2回の寝室に戻り、また寝ていました。ちなみに昼になるともう学校に行っても間に合わない時間なので、朝よりは気持ちが落ち着きます。4時を過ぎるとだいぶ嬉しかったです。
これが4月~5月の話です。


まとめ


夕方になると気分がましになるというのは、不登校あるあるではないでしょうか?まあ、外出は出来なかったんですけどね(笑)
夕方からやっと体が動くようになるので、そりゃあ夜中に頭が活性化するよねって話です。
ちなみに、私の親は学校に行かないことに対して怒鳴ったりはしませんでした。その点には感謝しています。だいぶ助かりました。こんな精神状態で親からも厳しくされていたら、もう逃げ場がなかったと思います。
また、私は自分自身の部屋はなかったので、部屋に閉じこもることが出来なかったんですね。当時は自分だけの空間がないのが苦しかったのですが、今はそれが逆に良かったのかもしれないと思っています。理由は色々あるので、不登校と自室についてまたいつか書けたらいいなと思います。
(Part3へつづく)

けっこう書いたので、今回はここまでにします。
つたない文章ですが、読んで下さった皆様、ありがとうございました!
次は高校2年生の5月以降の話を書きたいと思います♪

2022年1月26日


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