母になって知ったこと
「不登校」は、人ごとではなかった。
そして、クラスに2〜3人いる。
我が家には、発達特性の過敏さから集団の中にいる事に対して、苦痛を感じてしまう長男がいます。そして彼は、書字に関して困難さを持っており、逆にある分野で吐出した得意を発揮する中学生の子です。
病院にもかかっており、スクールカウンセラーさん、地域の相談員さんなどと連携を取りながら現在は週に一回の担任の先生との面談をしながら過ごしています。
行き渋りから学校に行かなくなる。
まさか、自分の子供が不登校になるとは正直思っていませんでした。
大変申し訳ないことに、若い頃の私、、、不登校イコール親が子どもと向き合っていないから起こると思っていました。
そんなことを思っていた私だったので、私が学ぶために必要な課題として私の人生に起こってきた事だと、今は感じています。
実際に自分の子供が不登校になってきた時、子供が訴えてくる内容に耳を傾け、病院の先生やサポートしてくださる方々と話をしていく中で、子供たちを取り巻く環境が、親世代のイメージするそれと違うということに多く気づかされました。
彼の場合は書字困難を持っていましたので、病院からの勧めもあり学校側とは小学生低学年の頃から学期ごとに支援方針をお話に行っていました。
そんな中で起きてしまった5年生での出来事。
学校の担任の先生が子供に対して「読めるなら書けるでしょ」と言ってしまったのです。たった一言。
元々、こだわりが強い特性を持っていた我が子は、その言葉を深読みしすぎてしまって、学校に行くことを拒み始めました。
最初に「先生に会うのが嫌だ。先生の目は思っていることと違う表情をしているから怖い。学校に行きたくない。死にたい。」と泣きながら言われた時は、正直私も困りました。
そのことを個人懇談の時に話そうと思って出向いた個人懇談で今度は私が
先生から「この子と接しているとイライラしてくるんです。」と言われ。
変に息子の学校へ行きたくないと言う気持ちを理解できてしまいました。
その次の日だったでしょうか。泣きながら児童相談所の相談電話に電話をしていました。学校の息子への対応を聞き取りしていただき、半年間親子面接をしていただいて、事実であることの確認をしてもらって。学校で起きたことが原因で行けなくなっているのだから、無理に学校に行くことはさせない方向でと今に至っています。
不登校の原因は、一つではない。色々な背景がある。
私が子供を持って知ったことです。
自分の子供がその環境になったことで、同じような環境の方と話す機会もあり、一人一人原因は違うであろうことがわかりました。
子供同士のいじめの場合もあるけれど、先生からの対応でいけなくなっている子の割合は肌間で実際には多く。世の中のアンケートとのずれを日々感じ過去の自分の考え方も間違っていたと今では反省しています。
子どもたちと対応のために接して言う中で友達を見るときの感覚も親世代とは違っていると言うことに気づきました。
昭和の親世代の私が感じたのは、
今は、平均的にできない事に対して、過剰に気にする子が多い。というところ。
得意なところが吐出しているので良いのではないかと私は思うのですが、今の子達は、どうやら目立つことを好まない子が多いような気がしています。
みんながやるならやる、やらないならやらない。
一番下の子が支援学級なので、毎日付き添って学校に見ていると
自分たちの子供の頃よりも、常に比較の言葉が多く飛び交っているなと言う印象はあります。
昭和は、パソコンもスマホも当たり前になかった分。
人と比べなくてよかった。
今は簡単に情報を見られてしまうので、子供たちは自分たちの時代よりも大変な時代に生きているなといつも感じています。
子供を持たなければこの感覚は、私の中には生まれてくることはなく
いつまでも、知識不足のままで生活していたのだろうと思うと。
学校で学ぶことだけでは、未知なことが多すぎて
結婚・子育てには進みにくいのだろうなと思ったりもします。
私の場合、子供たちを通して知ることができることがとても増えたので
今の状態に感謝です。
日々移り変わる時代の中で、大人が学んでいかないといけないと思ったこと。
『不登校」でした。