「本当の自分」ってなんだ、全部自分だ。

「俺、自分探しって嫌いなんだよ。本当の自分なんてねえんだって」
昔、上司がタバコをふかしながらそう言った。24歳だった私は、ずいぶん乱暴な言い草だな、と思った。

あるんじゃないだろうか、本当の自分。だって今の仕事、好きじゃないし。今の自分、好きじゃないし。本当の自分ってのをちゃんと見つけたら、仕事も、私も、今を丸ごと愛せるんじゃないかな。嘘の自分を演じてるから、今を愛せないんだ。――そうじゃないと、やってられないじゃないか。そう、思っていた。

もやもやした不安や不満を抱えているとき、私たちは「本当の自分」を夢想する。楽しそうで、活気に満ち溢れていて、全力で生きている自分。それが本当の自分。早く本当の自分を見つけて、戻らなきゃ。かりそめの自分を脱ぎ捨てて、身軽になって、理想の生活を始めなきゃ。

29歳になった今、上司の「本当の自分なんてねえんだって」という言葉をすっと飲み込めるようになった。本当の自分なんていなかった。――いや、いつも、本当の自分だった。私はどこまでいっても何をしても私で、私から逃れられない。うまくいかない自分も、息苦しい自分も、みっともない自分も、全部本当の自分だ。愛想笑いしていても、ポーカーフェイスを貫いても、すべて剥き出しの私だ。

人は多面体で、あらゆる側面を持つ。輝かしい側面もあれば、目をそむけたくなる側面もあって、美しいのも汚いのもひっくるめて全部が自分そのものだ。

「本当の私」なんて探すから今の自分をまるごと否定することになり、苦しくなるんだ。嫌いな自分も自分だと噛みしめて、抱きしめて、みっともなさを影のように連れながら歩く。振り返ると、みっともない自分がべそをかいてこっちを見ている。ああ、私だなあ、と思う。しかたないから自分でよしよし撫でてやる。情けない顔でへらりと笑う自分を、まあいいか、と認める。人間そうそう変われない。少しずつ、ゆっくり変わっていけばいいや。

自分で自分を愛せなくても、だれかしらから愛されると思う。でも自分のことくらい愛してやりたい。弱いのもだらしないのも醜いのも卑しいのも、やさしさの養分にすればいい。いつか誇れる自分になれますように。

aki kawori | Twitter


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