移住労働、人身取引、性売買

大野聖良「人身取引研究の展開と課題」『ジェンダー研究』(お茶の水女子大学ジェンダー研究センター年報)13号(2011)

人身取引(trafficking in person、人身売買)とは搾取目的の人の移動である。かつて「人身取引」といえば性売買(売買春)のことであり、主に女性や児童の性搾取被害として問題化されてきた。しかし、搾取の条件が整っていれば家事労働や工場労働でも人身取引は発生する。人の移動という視点をとることで、人身取引を性搾取を超えた国際移住労働の問題として捉え直し、〈被害者VS関連業者〉という図式では見えにくい構造を可視化することができる。

《1》日本における人身取引の議論は、被害者に焦点を当てたNGOなどの民間支援団体によって担われてきた。一方、学問領域では政策や事例の紹介に終始しており、明確な枠組みは未整備のままであった。その中で、性売買を扱うジェンダー研究のみが人身取引への言及を重ねていた。そこで行われていたのは、性売買廃絶派と「セックスワーク」論者の論争である。

廃絶論:
人身取引は身体の処分権(自由)の売買であり、性売買とは当事者の形式的「合意」に基づく身体の一時的・部分的・性的な使用権の売買であるので、両者には連続性がある。性売買が合法である限り、当事者の意思とは無関係に搾取を行う人身取引の論理が常に働く。

「セックスワーク」論:
廃絶論は当事者の立場を無視している。性売買は強制(外的環境)と選択(当事者)の両方で成立し、「性奴隷制」になるか「セックスワーク」になるかは状況によって異なる。性産業に関わる被害を減らし安全な環境を作るには、当事者が労働者としての権利を主張することが重要である。

「セックスワーク」論批判:
「セックスワーク」論は「売春婦」に対する道徳的な非難に対抗しようとしすぎて、近代社会においては「労働」が多くの点で強制的であることを無視してしまった。しかし、賃労働は自己の身体活動を他者の命令下に置くことであり、人身取引の隷属状態に限りなく近い。性売買を「セックスワーク」と言い放つことができるのは、そもそも「ワーク」(労働)が強制性を帯びているからではないのか。

〈参考〉中里見博「ポスト・ジェンダー期の女性の性売買」『社会科学研究』(東京大学社会科学研究所紀要)58巻2号(2007);青山薫『「セックスワーカー」とは誰か』(大月書店、2007);江原由美子「〈労働〉概念に何がかけられているのか」『労働のジェンダー化』姫岡とし子他編(平凡社、2005)

〈32~33〉どの立場も、人身取引を隷属と搾取を伴う極限の人権侵害とみなし、そこから性売買当事者をどのように遠ざけるか、という論理展開をしている。しかし、性売買をめぐる議論では当事者の語りに重きが置かれがちで、人身取引がどのような構造で起こるのかが見えにくい。

〈33~34〉一方、人の国際移動と絡んで展開している点で、人身取引は移住システムの一形態だと言える。移住を媒介する制度に焦点を当てることで、受け入れ国の入国管理や送り出し国の経済状況・移民政策など、国家レベルの要因がブローカーや業者による移住労働の商品化を後押ししてきた点に光が当たる。人身取引においては、当事者の意思に先行して、当事者以外の行為者が決定的な役割を果たしている。特に、受け入れ国側の需要の分析が必要である。

〈参考〉稲葉奈々子「女性移住者と移住システム」『国際移動と〈連鎖するジェンダー〉』伊藤るり・足立眞理子編(作品社、2008)

《2》欧米のフェミニズム研究では2000年以降、人身取引の問題が盛んに議論されてきたが、そこでも焦点は性売買にあり、性売買廃絶派と「セックスワーク」論者の論争が行われる。つまり、人身取引はDV、レイプ、性売買と一続きの「女性に対する暴力」として扱われるのだ。廃絶派は、人身取引が必ずジェンダー化されており、男性の需要がなければ成立しないことを強調する。そして、女性の身体的・精神的ダメージを問題視する。一方、「セックスワーク」論者は、性売買を自分の身体を用いた労働と捉え、当事者の意思に反して売買が行われる場合のみを人身取引とみなし、これを特に労働問題として糾弾する。その上で、廃絶論に女性を受動的な保護対象とみなしてその権利を制限してしまう側面や、少年・男性の被害を見えにくくしてしまう側面があることを問題視する。

〈参考〉キャスリン・バリー『性の植民地』田中和子訳(時事通信社、1984);Jo Doezema, "Loose Women or Lost Women? The Re-emergence of the Myth of 'White Slavery' in Contemporary Discourse of 'Trafficking in Women'," Gender Issues 18, no.1 (2000): 23-50.

〈36~37〉結局、人身取引を性売買と結び付けて議論すると、当事者の異なる現実を切り取るだけで焦点が定まらない。廃絶論者は女性が騙されていると想定するが、実際にはある程度の情報をもって決断している場合が多い。「セックスワーク」論者は女性の決定を強調しすぎる余り、実際に起きている被害から目を背けている。両者が扱えないでいるのは、どのような環境で人の移動が起きているのかという問題である。つまるところ、当事者が被害に遭うのは、性労働の特殊性のためではなく、家事労働や介護労働などでも人権が保障されず市民権を享受できないような状況があるためではないか。

〈参考〉Laura Maria Agustin, "Migrants in the Mistress's House: Other Voices in the 'Trafficking' Debate," Social Politics 12, no.1 (2005): 96-117.

《3》国際移住労働において人身取引が生じる場合、その要因の多くは国民国家にある。たとえば、力関係が不均衡な国家間で〈南〉から〈北〉へ移動が起こる場合、人身取引の被害者と自ら業者を利用して移住する者との違いはあいまいであり、あまり重要でもない。むしろ、資本になる一部の身体の移動を歓迎・促進し、その他を制限・違法化するのは国民国家の役割だ。グローバル資本主義労働市場は国家による国境管理や仲介業者の認可と深く関わっているので、移動の安全は本人の意思とは無関係に決まる。また、移動過程に注意を向けることで、移動者に関与するさまざまなアクターが生み出す搾取構造が見えてくる。問われるべきなのは、なぜ受け入れ国で強制売春などの搾取構造が求められ、受け入れられてしまうのか、なぜ「セックスワーク」など特定の「就労」形態を移住労働者に担わせる仕組みがあるのか、ということなのだ。

〈参考〉Nandita Sharma, "Anti-Trafficking Rhetoric and the Making of a Global Apartheid," NWSA Journal 17, no.3 (2005): 88-111; Rhacel Salazar Parrenas, The Force of Domesticity: Filipina Migrants and Globalization (New York: New York U.P., 2008).

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